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禅問答の意味・例|禅問答に関する本の紹介・禅問答の中の猫

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カテゴリ:言葉の意味

初回公開日:2017年07月20日

更新日:2020年08月21日

記載されている内容は2017年07月20日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

禅問答の意味・例|禅問答に関する本の紹介・禅問答の中の猫

禅問答ってなに?

「禅問答」という言葉を聞いたことがありますか?はじめて聞いた!という方も少なくないのではないでしょうか。世の中には未知の言葉が溢れていますが、禅問答について詳しく知っている人は少ないでしょう。

では、今回は「禅問答」について、その意味や例など、項目にわけて詳しく紹介していきます。

仏の智慧や悟りのヒント

「禅問答」という言葉について、どのような印象があるでしょう?「第三者からするとわけが分からない会話」と思っているのではないでしょうか。実は仏教、それも禅宗において仏道の悟りに通ずる大事な物なのです。弟子が師匠に質問し、帰ってくる答えは大抵意味不明な物ですが、仏道の極意、真理や悟りに通ずるものが隠されています。

禅宗の極意は、座禅を組んで瞑想すれば得られるような物ではありません。何気ない日常の中でふっと悟るケースもままあるようで、禅問答にまつわる物語には、本当にごく些細なことで悟りに至ったパターンが多々あります。禅問答は分かりやすい方法で、悟りに至る道を教えてくれるのです。

禅問答を多く行った、中国禅宗の第六祖慧能

禅宗では言葉や文字はあくまで「手段の一つ」でしかなく、それをこねくり回すと却って真の悟りへはたどり着けない、という考えがあるのです。

さて、禅問答の元となった禅宗ですが、これは開祖達磨大師から、直々に後継者と定められた慧可を第二祖とし、以降大三祖、四祖と伝道師が続いてきた禅宗です。第六祖に当たる慧能は貧しいが為にロクに勉学を学ぶことができず、第五祖弘忍の下に行っても弟子としてではなく下働きとして僧侶としての修行どころか時の勉強すらさせてもらえませんでした。

これには慧能が中国の南方から来た「南蛮者」と呼ばれ蔑視される身であったことも関係しています。といって、弘忍が師匠として劣っていたわけではなく、彼が優れている、第六祖となる素質があると見抜いたからこそ敢えて継がせないと見せかける意味もありました。

実際、修行を受けていないにもかかわらず第六祖の最有力候補とされていた先に悟りを得ることに成功します。その証が、他者に壁に書いてもらった詩でした。弟子たちは感心しましたが、弘忍は「大した物ではない」と言い消させます。

夜中にこっそり慧能を呼び出し、『金剛経』や禅宗の極意を聞かせ、後継者の印である衣を持たせて夜中の内に逃がすのでした。南の者に衣を継がせたと分かれば弟子たちが怒り、騒ぎになると踏んだためです。

案の定、学もない下働きの者に大事な衣と後継者の座を渡したと知り、弟子たちは激怒して慧能を追うのでした。15年間の潜伏期間を経て、ようやく認められて正式に仏門入りが叶いました。

僧侶になっても慧能は相変わらず字を知らないままでしたが、多くの高僧を育てるほどの大人物となりました。彼に関する禅問答も数多くあります。

禅の極意

一言で言えば無の境地です。「分かりません!」とすでに匙を投げる人もいるかもしれませんが、禅問答をいくらか覗いて見れば、何となく見えてくるかもしれません。

「無」とは言っても、「煩悩を失くそう!ひたすら座禅座禅!」とただ雑念を払おうとするのもいいとは言えないのです。

禅問答の世界を覗けば、見えてくるのは平常心、日常生活の中に悟りのヒントがある、余計な物をとり払うとの考えが見えてくるようです。

色々な禅問答を見てみる

禅問答について少し分かってきたところで、いろいろな禅問答をみてみましょう。

月を示す

無尽蔵尼という尼僧が慧能に教えを乞いました。彼女は『涅槃経』という経文について研究していましたが、もう少しの所で理解、悟りに至らなかったようです。そこで、慧能にお知恵を拝借となります。慧能は言いました。

「私は字が読めないんだ。あなたが読んでくれれば、ある程度意を汲み取って教えてあげるくらいはできると思う」無尽蔵尼は驚き、「字が読めなくても悟れるのですか」と返します。これに対し、慧能は何でもないように応えました。「文字は文字。悟りとは基本的に関係ないよ」と、月を示しました。

慧能は続けます。「悟り、真理というのはね。丁度あの月のような物なんだよ。で、私が月を示している。この指が文字だと考えてはどうかな。指は月を示すことはで来ても、月そのものではないだろう?それに必ずしも指で示すことだってないんだ」

この禅問答の中で、慧能が言いたかったのは、そのまま「字が読めなくても悟れる」「経文を読むばかりが悟りの道ではない」ということのようです。むしろ、経文の研究ばかりしているとそこにかかれていることにとらわれてしまう、別のアプローチをしなさいとの意味もあるでしょう。

このように、目的塔が分かっていれば、意外と禅問答も分かりやすいと思いませんか?慧能がちゃんと悟っていたからこそ、この禅問答できちんと例えを示して悟る為の道しるべとなったのです。

言葉で語らず

言葉を必要としない禅問答の例はまだあります。

ある人物が琴を弾きました。美しい音色を奏で、弾き終わった所で聞き手に感想を求めます。聞き手は「この曲にはどんな意味が込められているのか」と尋ね返しました。考察好きな人は昔からいたようです。弾き手は黙ってまた最初から引き直し、一言。「この曲の意味は今弾いた通りです。それ以上でもそれ以下でもありません」

現代では「この曲に込められているのは若者の持つ煩悶とそれから来る行動、それを見守る老人の歯がゆさとがどうのこうの」とつらつら述べる人もいるかもしれませんが、禅問答の世界ではそのようなことはありません。曲に込められた意味は、曲でしか表せないのです。この禅問答のたとえ話は、そのように語っています。

溢れるほどに茶を注ぐ

禅問答の意味・例|禅問答に関する本の紹介・禅問答の中の猫
※画像はイメージです
出典: People in Couch · Free Stock Photo

ある所に学者がおりました。この人物が、南隠と言う高僧に、禅の教えを乞いに行った時のことです。「お茶をどうぞ」と言いながら、南隠はお茶を注ぎました。この時、注ぎ過ぎて、お茶は溢れてしまいましたが、それでもまだ注ぎ続けでした。

「こぼれてますよ!」との言葉に、南隠は答えます。「あんたの頭には、この茶碗と一緒だよ。余計な考えや知識でいっぱいだ。この茶碗を空にするように、余計な知識を捨ててから質問に来なさい」

ここで言うお茶は先入観などの象徴です。「そう言った物のせいで歩い見目が曇っている、それでは仏の道は理解できない」との意味を持ちます。こちらも、分かりやすい禅問答ですね。

火の神が来て火を求める