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「くべる」は方言?くべるの意味や使い方・由来・例文

Author nopic icon水町博忠
言葉の意味 / 2017年09月12日
「くべる」は方言?くべるの意味や使い方・由来・例文

「くべる」は方言?

くべるは標準語です

「くべる」という言葉を聞いて今の人はどんな反応を示すでしょうか。もしかしたら、初めて聞く言葉だと言う人がいるかも知れません。「くべる」はれっきとした標準語で、方言ではありません。この言葉になつかしさを感じ、「くべる」はきっと方言だと思っている人も多いことでしょう。それくらい「くべる」という言葉は今ではあまり使われていないようです。

この言葉が使われなくなった理由は、日本人の生活スタイルの変化によります。「くべる」は薪や紙を燃料にして火を使うときにだけ使う言葉であり、日本人が薪や紙を燃料にすることがほとんどなくなったためです。今ではどんな田舎に行っても、台所ではガスかIH調理器を使っています。昔のようにかまどで火を起こしたり、庭でたき火をする光景が見られなくなりました。

くべるという言葉はいつから始まった?

くべるは「くぶ」から始まった

くべるは古くは「くぶ」と言っていました。

平安時代前期に初めてかなで書かれたという竹取物語の中に「くぶ」の連用形「くべ」が出てきます。かぐや姫に求婚した五人の公達のうちの一人に「火鼠の皮衣」という稀少なものを持ってくるよう要求するくだりがあり、その公達は唐の商人から求めたものを持参しますが、それが真っ赤なニセモノだったのです。

本物の火鼠の皮衣は火にかけても燃えないことになっていますが、物語は「火の中にうちくべて焼かせ給うに、めらめらと焼けぬ。」と書かれており、ニセモノであることが判明します。この古語の「くぶ」が変化して、いつの頃からか「くべる」になったのです。

くべるの語源として、かまどなどの焚口を人の口に見立てて、燃料が少なくなると「腹減る」つまり「ふくへる」から薪などを焚口に追加してやることを「くべる」と言うようになったという説があります。しかし、くべるの古語が「くぶ」であることから、「腹減る→くべる」は語源としては後付けになり無理があります。

くべるはどこにアクセントを置いて発音するの?

くべるの発音はほかの動詞と同じように、東京は最初の「く」にアクセントを置くのに対し、関西では二番目の「べ」にアクセントを置きます。各地方での発音も東京式と関西式に分かれます。概して二番目の文字にアクセントを置く方がやわらかい印象を受けます。

竹取物語の作者も関西風のイントネーションをイメージして「くべて」と書いたことでしょう。

くべるの意味と使い方を知ろう

まず燃やすのが前提

くべるの意味は「燃やすために火の中に薪や紙を追加する」です。火が消えないように燃料をつぎ足すことで、この「追加する」がポイントです。燃料を追加するという行為に「くべる」という動詞が用意されています。日本語の奥の深さを感じます。

くべるという言葉を知らなくても「薪や紙を追加する」と言え変えれば事足りますが、くべると言った方が断然味のある言い方になります。

ところで、この燃やすという行為を現代人はほとんどやらなくなりました。今の子どもたちは危険なこともあってマッチすら知らない、使えない時代です。かまどなどは古民家の展示場でしか見ることができません。防火の観点からたき火やどんど焼きなども廃れつつあります。

落ち葉をかき集めて燃やすたき火もあまり見かけなくなりました。「垣根の垣根の曲がり角、たき火だたき火だ落ち葉たき、あたろうかあたろうよ、しもやけお手手がもうかゆい」という唱歌を今の子どもたちも歌っているでしょうか。ある程度の年齢の人にとってはその情景がなつかしくよみがえってきます。

落ち葉たきは、ついでに紙屑などもくべてゴミの整理を兼ねていました。また、落ち葉たきの余熱を利用して焼き芋を作ったりしました。今では落ち葉は袋詰めにしてゴミに出すのが普通です。

たき火を詠んだ俳句に久保田万太郎の「一人退(の)き二人よりくる焚火かな」があります。たき火には「たき火奉行」というか、たき火を仕切る人がいて、くべるタイミングなどをとりしきっていました。

薪などの燃料は

薪と書いて「たきぎ」とも「まき」とも読みます。これは、火の中にくべるものです。火をおこすときは薪を組んで紙など燃えやすいもので火を付けます。この場合、最初に薪を組んでセットすることは「くべる」とは言いません。くべるはあくまで火の中に薪などを追加することです。

薪は廃材や間伐材などを乾燥させまきわりで適当な大きさに割って作ります。農家やアウトドアなどでの実体験でまきわりに挑戦する機会もあります。薪を使ってご飯を炊いたり、薪をくべる体験などはアウトドア以外の日常生活ではほとんど見られなくなりました。

ナナカマドを火にくべたらどうなる

薪は燃料として炭素と酸素を結合させて完全燃焼させるのが目的ですが、木の中には薪にしないで木炭の材料になるものもあります。炭素と酸素を結合させないで炭素分を残したものが炭になるのです。これは、炭焼き窯の中で蒸し焼きにして作ります。炭の材料になる木はカシ類、コナラなどですが、ナナカマドも良質な炭になります。

ナナカマドはバラ科の落葉樹で、秋に赤い美しい実をつけることから、北海道や東北地方では市町村の木に指定したり、街路樹にしたりしています。ナナカマドの名前の由来は、七回かまどにくべても燃えないという説からです。それほど固い木なのでしょう。

くべるを使った例文を紹介します

小説に出てくる「くべる」

くべるの古語である「くぶ」が使われたものとして「竹取物語」を例に挙げましたが、近現代の小説の中で使われている例として、「吾輩は猫である」と「助左衛門四代記」を、また、川端茅舎の俳句も一句紹介します。

細君と迷亭先生の会話

夏目漱石のデビュー作として有名な小説「吾輩は猫である」は1905年に雑誌ホトトギスに発表され、好評を博しました。誰でも一度は読んだことのある作品でしょう。この小説は実際に夏目漱石の家に飼われるようになった野良の黒猫をモデルにして、猫の目を通して見た人間世界を風刺とウィットに富んだ文章で綴られています。

第一話から第十話までの構成になっていて、登場人物は夏目漱石自身をモデルにた苦沙弥、苦沙弥の細君、友人の美学者迷亭などです。くべるは第三話で使われています。

ある日の細君と迷亭の会話です。細君がこぼすことには、苦沙弥はほかの道楽はないものの、むやみに読みもしない本ばかりツケで買ってきて、去年の暮は月々のが溜って困りました。それを聞いた迷亭は、苦沙弥に訳を話して書籍費を削減させると言います。

細君は、そんなことを言っても苦沙弥は言うことを聞きません。この間などは、貴様は学者の妻にも似合わず、少しも本の価値が分からない。昔ローマの七代目の王様にこんな話がある。向学のため聞いておけと言います。迷亭は、どんな話か興味深々です。これから先の会話は小説の本文を紹介します。

ローマの七代目の王様の話

「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焚いてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」

「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」「へえー」

「王様は九冊が六冊になったから少しは価も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。

九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない。それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出して焚け余りの三冊を買ったんですって……どうだこの話で少しは書物のありがた味が分ったろう、どうだと力味むのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」

少し長い紹介になりましたが、さすがに迷亭も返答に窮したとなっています。「くべる」や「くべて」が3回使われています。作者の夏目漱石は明治維新の直前に江戸の牛込で生まれた生粋の東京人ですから、明治期に東京でくべるが普通に使われていた言葉だと分かります。

助左衛門四代記

助左衛門と祖母の会話

この小説は、有吉佐和子(1931年~1984年)が1963年に発表した歴史小説です。有吉の母親の実家があった紀州の木本村(現在の和歌山市木ノ本)を舞台に、宝永4年(1707年)の大地震から昭和まで2世紀半にわたる垣内家の歴史が描かれています。当主は四代目まで助左衛門を名乗りますが、内容は六代目の当主になる垣内二郎によって書かれた形をとっているのです。

作品は序章、第一章から第五章そして終章と全7章で構成されていますが、「くべる」が出てくるのは第3章です。三代目助左衛門になる捨吉の母は家格の高い紀家から嫁いできた円(まどか)という人ですが、その円を姑の妙が高く評価していたことを捨吉が回想する場面があります。その場面は次のとおり小説の本文で紹介します。

竈の前で火をくべる

だが捨吉の成人前に最も深く記憶に残ることといえば、それは彼の祖母にあたる妙の死とその葬礼であった。初代助左衛門の妻妙は、天明四年に死んだ。享年七十五歳。病むことを知らず、小まめに働き通して、その日も離れの縁で、秋の日溜りの中に坐り、拾ってきた落穂から丹念に籾を落していた。「おや、捨吉さんかのし。お母さんは何をしてなさる、え」

「めし炊いてなさるわ」「お母さんがかのし」「ふん。竃(くど)の前で、火イくべてなさるでエ」「そうかのし」捨吉が離れに祖母を訪ねると、きまってこの会話があるのであった。
(中略)「捨吉さん」「何よし」「捨吉さんのお母さんはのし、偉い偉いお人ですえ」「ふうん」「この正福院が格の高い家になるのは、捨吉さんの代になってからや。

お母さんを大事にしなさいや。あんたのお母さんは紀イさんから来なしてのし、今ではまま炊きまでしてなさる。それはのし、仲々出来んことですよし」原文の紹介はここでいったん中断しますが、この会話があった日の夜半に妙が息を引き取ります。妙の葬礼が行われますが、また「くべる」が出てくる地の文が出てきますので、その部分を次に紹介します。

竈の前で薪をくべる

竈の前で薪をくべ、女衆と一緒になって働いていた円は、煤けて身なりも構わず、着物の着つけも不器用で、帯などが一度でも形よく締められていた例しはなかった。しかし、流石に葬式の為には女衆に手伝わせて喪服を身につけたのであろう。厨の暗さの中では想うことも出来ないほど円は美しく、白無垢に着負かされないほど気品のある態度を持していた。

原文の紹介はこれで終わりますが、三代目助左衛門の母親は格式の高い家のお嬢さまであったにもかかわらず、嫁入り後は竈に薪をくべるというような台所仕事までやるようになったという話です。蛇足ですが、小説の中の竈はかまどとは読まず「くど」と読みます。くどという言い方も広く使われており、京都ではわざわざ「お」を付けて「おくどさん」と言っています。

この小説では、くべるが2回効果的に使われているのです。作者の有吉佐和子は東京育ちですが、くべるという言葉をふだんから使っていたので、作品中にも自然に書けたのでしょう。

俳句に使われた「くべる」の例

大正から昭和初期にかけて活躍した川端茅舎(ぼうしゃ 1897~1941)という俳人がいました。画家川端龍子の異母弟で、はじめは岸田劉生に師事し画家を志しましたが、のち高浜虚子に師事して俳句の道に入ります。ホトトギスの同人となり、茅舎浄土と称される独自の境地を開いた人です。脊椎カリエスによる闘病生活を強いられたことで正岡子規の境遇に通じるものがあります。

その川端茅舎の句に「湯ぶねよりひとくべたのむ時雨かな」があります。時雨は初冬の季語です。外は肌寒い初冬のそぼふる雨が降っています。湯ぶねのお湯が少しぬるくなってきて出るに出られない、そんな時にもうひと焚き頼みますというわけです。季節感がよく出ています。もう1回くべることを「ひとくべ」と表現したところにこの俳句の面白さがあります。

くべるは味わい深い言葉です

これまで、くべるはれっきとした標準語であること、竹取物語にも出てくる古くからの言葉であること、発音におけるアクセントの置き方が東京と関西で違うこと、くべるは燃料を追加するという意味でのみ使う言葉であること、くべるを使った例文を2編の小説と俳句1句紹介したことなどを書きました。

くべるは燃料を追加するとか燃料を加えるとか、他の言葉に置き換えても十分意味が伝わります。

繰り返し書きますが、燃料を追加するだけのことを意味する言葉として「くべる」が存在していることに日本語の奥の深さを感じます。あまり使う機会がないこともあわさり、「くべる」は味わい深い言葉です。