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【男女別】60年代のファッションコーデの特徴・通販・ブランド

Author nopic icon知木潤
コーディネート / 2018年12月26日
【男女別】60年代のファッションコーデの特徴・通販・ブランド

日本の60年代ファッションの特徴とは?

みなさんは、1960年代についてどんなイメージがありますか?オリンピックがあった、元気な時代だった、景気がよかった、レトロなイメージ、教科書で見た、オードリー・ヘプバーンやツィッギーが活躍した、ビートルズがかっこよかった。それに、ドラマの舞台になっていたこともあるので、見覚えがある方もいらっしゃるでしょう。

そしてなによりも、とてもおしゃれだったのです。現代にも影響を与えるだけのおしゃれなファッションがたくさんあったのも、この時代でした。ではさっそく、1960年代の日本のファッションの特徴についてみていきましょう。

ジーンズ

1960年代はじめ、アメリカ屋と呼ばれる米軍放出物を売る店が売りだしたジーンズを若い世代が履くようになり流行しました。そして、規制緩和によりジーンズの輸入がはじまります。製造工程で残ったままになっていた「のり」を一度洗ってから出荷するウォッシュ加工のジーンズが世界で初めて発売されました。岡山では国産ジーンズの生産が始まり、1967年にはデパートでも売られるようになります。

ジェームス・ディーンなどの映画のヒーローたちが反抗する若い世代の着る服というイメージで、反抗のシンボルとなっていきましたが、日本でも1960年代から70年代初めまでに起こったたくさんの政治的・文化的な出来事と結びついていきます。特に学生運動や公民権運動、政治的な抗議運動などに参加する人々はジーンズを履いていました。

シャーベット・トーン

1960年代初めの流行色に、シャーベット・トーンが挙げられます。シャーベット・トーンとは、文字通りシャーベットを連想させる淡い色のことを言います。

1962年、東レがこの色を果物になぞらえて、下着からコートまでこのシャーベット・トーンで統一したファッションを発売します。不二家のお菓子、東芝の家電製品など、他の業界も巻き込んでの共同キャンペーンの先駆けとなり、一大流行色となります。

ニットスーツ

1960年代、とりわけ1963年の日本ではニットが流行しました。あたたかいだけではなく、肌触りもよく機能性に優れるので、サマーニットなども人気になりました。60年代以降も定番のファッションとして、すっかりおなじみです。

ミニスカート

1960年代のロンドン、若者文化やストリートファッションの発祥の地であるキングスロードのチェルシー地区がありますが、そこの地区のファッションを着こなすチェルシーガールと呼ばれる女性たちがいました。彼女たちのスタイルの中から自然と生まれたのが、ミニスカートです。したがって、特定の誰かやデザイナーの発明ではないという説もあります。

また別の考えによると、ミニスカートはマリー・クヮントが考案したというものもあります。

日本では1966年ごろから着実に広まりを見せ、翌1967年のツィッギー来日がきっかけで、60年代、大ブームのファッションとなりました。

ミリタリー・ルック

1966年、ベトナム戦争の激化と反戦運動が盛んになっていくなか、日本の若い人たちの間でも、アメリカ兵の軍服調のファッションが流行します。60年代にかけて、日本のエレキ・グループであるグループサウンズ(GSと略される)のメンバー、とくにザ・スパイダースも好んで着用しました。

モッズ・ルック

イギリスのロンドン生まれのファッションです。1960年代の日本でのファッションの特徴としては、長髪、マッシュルームカット、花柄シャツや水玉やカラフルな幅広ネクタイ、派手なストライプなど細身のスーツ、カラーとカフスが白のシャツ、股上の浅いスリムパンツ、サイドゴアブーツなど。

日本では、1966年にビートルズが来日した際、メンバーが着ていた格好が注目され若い世代に広がりました。60年代以降でも人気のファッションです。

ヒッピー族

1960年代後半、アメリカで発生したのがヒッピー族と呼ばれる若者です。そのムーブメントの特徴は、自然・愛・平和・芸術を愛することと言われています。おもに自然回帰を唱え、伝統・制度などの既成概念、価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、それがフリーセックス・同性婚などの権利、反戦運動などにつながりました。

1960年代における日本のヒッピーファッションの特徴は、長髪、ひげ、ジーンズ、ミニスカート、ブーツです。日本でも同調する若い世代が多く見られました。彼らはヴェトナム戦争をきっかけにあらわれ、反権力的な態度をとり、反戦を唱えました。

サイケデリック

60年代終わりに近い1968年はカラーテレビの普及とともに日本中が色鮮やかになり、若者の間でサイケデリックやそれらのファッションが大流行します。LSDを飲んで得られる陶酔と幻想などの感覚を、さらに思想的な面から、絵や柄などに「サイケ調」としてあらわすアートも隆盛します。

「アングラ族」に対して「サイケ族」という言葉も登場しました。また、テレビCMもサイケデリックアートやポップアートが多くなったのもこの時期です。それらのアートがファッションにもなり、1960年代後半にかけ、ペイズリー柄などが大流行します。

ミニからマキシへ

1960年代の終わりの1969年、日本では、ファッション業界はミニ一辺倒から長いマキシへと丈の変化の兆しが現れます。秋・冬のパリ・コレクションでは膝を隠したミディ・スカートやマキシ丈のコートが多く見られました。ただし、あくまでもこれらは、デザイナーやファッション業界の思惑であり、着る側の女性たちには、60年代におけるミニの大流行はまだまだ続いていきます。他には、パンタロンが流行しました。

海外の60年代ファッションの特徴とは?

1960年代は、それまでのパリのオートクチュール(高級衣装店組合)の影響がありながら、世界各地で若年層のファッションへの関りが大きくなっていった時代でもありました。政治的な出来事などが相次ぎ、そこに参加する若い人たちは、音楽やファッションに自分たちの表現方法を考えていきました。

とくに60年代のイギリス・ロンドンではビートルズの活躍があり、それとともに若い世代の精力的な活動により、次々と等身大のファッションが放たれていきました。

プレタポルテ

フランス語で「すぐに着られる」の意味で、既製服のことを言います。一般には既製服のなかでも高価なものをさすため、日本では「高級既製服」と訳します。

プレタポルテは、1960年代の世界的なファッションの大衆化の流れで、少数の人々を対象とするオートクチュールにかわって、目覚ましい発展をみせました。この60年代にファッションの方面で活動を開始し現在もよく知られているのは、フランスではカール・ラガーフェルド、ソニア・リキエル、アニエス・ベー、日本では高田賢三、三宅一生、森英恵などです。

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第二次世界大戦後、既製服産業の急速な発展により、それまで安物の代名詞であったコンフェクションconfection(既製服)の語にかわって、高級なイメージをもった既製服の意で、「プレタポルテ」が1945年にパリで新語として登場した(英語のレディ・ツ・ウエアready-to-wearにヒントを得たといわれる)。

モッズ・ルックのはじまり

1960年代に、ロンドンのカーナビ―・ストリート発祥のモダン・ジャズのモダーンズ(モダニズム)を略して「モッズ」と呼ばれたファッション。反体制を自己表現するために、レディースファッションの要素を大きく取り入れられました。特徴は、長髪、花柄や水玉など派手な色彩、細身のスーツをテーラーで仕立てて、細身のシャツ、股上の浅いスリムパンツ、ブーツなどです。

テーラーメイドのスーツが好んで着られていたものが、60年代ごろ広く一般のスタイルとして受け入れられるようになり、現在のような「ウエスト位置が高いジャケットに、細身で股上の浅いパンツ」というような、今のシルエットが定着しました。当初はスーツは18世紀から実用着として着られていましたが、その当初の目的はなくなり、やがてファッションとなり、体制社会のシンボル的な存在になっていたのです。

一世紀以上も安定していたメンズファッションにも、60年代にはストリートファッションの流れがやってきます。その代表的なものがモッズ・ルックといえます。

アメリカントラッド

トラッドとは和製英語で本来はトラディショナルという意味をもち、アメリカの伝統的なファッションのことを指します。いわば、流行に左右されることのない保守的なスタイルです。

アメリカントラッドのファッションブランドとして有名なのが、19世紀に誕生したブルックスブラザーズと60年代末に活躍しだしたラルフローレンです。アメリカントラッドは60年代の比較的高めの所得層をターゲットとして普及した、アイビーファッションがブームとなり有名ですが、主にアメリカの伝統的スタイルを言います。ちなみに、ブルックスブラザーズは自社ではトラッドとは言わずにクラシックと言います。

アメリカントラッドはイギリスの伝統的なスタイルの影響を強く受けており、アメリカの発展によるヨーロッパへの旅行者の増加により、イギリスのスタイルを見たアメリカ人が影響を受けてできたと言われています。

60年代、アメリカでは高貴なものとしてのイメージを作り出しました。それらには安定した、流行に左右されることのない保守的でノスタルジックなイメージがあります。

ピーコック革命

1966年ごろのアメリカで登場したのが、ピーコック革命です。男性ももっといろいろな色の服を着て、服装に個性的を取り入れようという考えかたです。雄の孔雀(ピーコック)に例えてこう呼ばれています。

1960年代の日本でも影響を受け、紳士服業界では男性のワイシャツとネクタイがよりカラフルになるよう、推し進められました。

ワンピース

1960年代ファッションのワンピースの特徴は、シルエットはAライン、カラフルな色、水玉の柄やストライプなどが挙げられます。

ビートルズが60年代ファッションを変えた

1960年代のファッションを語るうえで外せないのが、言わずと知れたイギリスの伝説的ロックバンド、ザ・ビートルズです。彼らの登場とともに世界中のファッションが変わっていったといっても過言ではありません。ビートルズがしていた服装をまねすることで、当時の若者ファッションは動いていたのです。

1960年代日本とビートルズ・ファッション

1960年代からのグループ・サウンズは、ほぼビートルズの影響を受けつつも日本ならではの音楽シーンを創り上げていきます。その元となるビートルズ・サウンドは21世紀の現在にまで絶大な影響を及ぼしています。

1966年のメンバーの来日によって、モータウン風のスーツ、マッシュルーム・カットなどのモッズ・ルック、ミリタリー・ルック風のファッションが上陸し、若い世代に大流行します。(来日したこの年、くしくもビートルズのライブはフィリピンをもって最後となりました。また、ほかにも彼らにとって散々な事件があった年でした)。

先に述べた60年代のグループ・サウンズも、ビートルズと同じくメンバーお揃いの黒のスーツが印象的でした。

マッシュルーム・カット

モップ・トップ・ヘアとも呼ばれます。1960年代より以前の話になりますが、元ビートルズメンバーに、スチュアート・サトクリフがいました。その恋人である実存主義者のアストリッド・キルヒヘアが彼の髪の毛をエグジス風の髪型に切ったのがはじまりとされています。

スチュアートのヘアスタイルを見た他のメンバーが、「それはいいね」と一人ずつ取り入れていったと言います。それがのちの60年代になって、若い世代に爆発的に流行したのです。

60年代ファッションが買える通販サイトは?

オススメの通販サイトをご紹介します。

クリスチャン ルブタン Christian Louboutin

フランス発、真っ赤な靴の裏の「レッドソール」が特徴的な、女性用ハイヒールでおなじみのハイ・ブランド。2017年春夏コレクションの「60's collection」は1960年代の音楽やファッションから着想を得た、カラフルでサイケデリックな色使いが特徴となっています。

マリークヮント MARY QUANT

1960年代ファッションを語るうえで外せないのが、マリー・クヮントです。

1955年、イギリスのロンドンにて、マリー・クヮントがアレキサンダー・ブランケット(後の夫)とその友人の3人で共同して設立したブランドです。

1959年にミニスカートを発表し、ストリートを中心に人気を博します。のちの1965年にハイファッションのデザイナー、クレージュに取り上げられ、世界中にミニスカートブームを巻き起こすきっかけになりました。現在でも、1960年代テイストを最先端にアレンジした、ロック感溢れるファッションを精力的に提案し続けています。

マリー・クヮントとミニスカート

前述のミニスカートですが、1960年代に特定の誰かが考え出したわけではないという説と、マリー・クヮントが考案したという説があります。ここでは後者についてみていきましょう。

マリー・クヮントについて

マリー・クヮントは、1934年にイングランドのロンドンにうまれます。ゴールドスミス・カレッジでイラストを学び、卒業後、高級帽子店に勤めます。21歳の時、ビジネス・パートナーのアレクサンダー・グリーンとともに、最初の店を出店します。

ミニスカート誕生のきっかけ

23歳でグリーンと結婚し、二号店を出すなどとすでに活躍していたクヮントは、24歳の時にミニスカートの誕生のもととなるインスピレーションが浮かびます。

街の中を歩いていたクヮントは、ファッションに敏感な若い女性たちの会話を耳にします。

「なにさ、サン・ローランだの、クリスチャン・ディオールだのって、あんなのはアメリカの金持ちのデブデブオバサンの着るデザインよ。私たちイギリス娘はもっとヴィヴィッド・アンド・セクシィ(vivid and sexy = はつらつとしてお色気のある)なデザインが欲しいわ」と話していました。

これらの会話が頭から離れないクヮントは、その会話をもとに、朝から晩まで、ずっとデザインをし続けます。2・3日して、疲れた彼女は、ふらっと街へ出かけます。そこでまたファッションのインスピレーションが湧く出来事と遭遇します。

そしてミニスカート誕生

その出来事とは、ロンドンの二階建てバスに乗ろうと、階段に足をかける中年の女性を見かけたことにはじまります。その女性がバスの二階に行こうと階段を上ろうとしたとき、スカートの端から、ちらっと膝小僧が見えたのです。それが、女性であるクヮントの眼にも色っぽく見えたのです。その様子があまりに衝撃的で、またしても頭から離れなかったのでした。

そのことがあってから、ミニスカートという画期的なファッションは誕生したといわれます。

60年代で人気のファッションブランド

それでは、1960年代に人気だったファッションブランドにはなにがあるのでしょうか。みていきましょう。

クレージュ COURREGES

クレージュは、1960年代から大変人気がありました。1961年にアンドレ・クレージュが自身の名を冠して設立したファッションブランドです。

同年初のコレクションでは、ミニを基調としたスポーティな作品で有名になります。65年に「ミニ・ルック」とよばれるミニスカートを発表し、60年代を象徴するような世界的な大ブームを呼びます。同年のミニスカートの爆発的なブームに伴い、粗悪なコピーが氾濫したことに大変失望したクレージュは、3シーズンにわたり、ファッション活動を休止します。その後の67年、伸縮性に優れた「ボディータイツ」を発表します。

なお、現在、日本から撤退しています。

60年代ファッションに関する本は?

『ファッションの歴史』千村典生

古代エジプトから始まり、2008年秋冬コレクションまでを、シーズンごとにイラスト付きで詳しく解説されています。ここではもちろん、1960年代のファッション界の動向を探る解説に注目したい一冊です。

60年代に人気のファッションモデル・アイコンは誰?

1960年代、たくさんのスターたちが活躍しました。今回は三人の女性たちを紹介します。

永遠の女優オードリー・ヘプバーン、元祖スーパーモデルのツィッギー、伝説的大女優・ブリジット・バルドーです。

オードリー・ヘプバーン

プロフィール

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■生年月日 : 1929/05/04
■出身地 : ベルギー/ブリュッセル
■没年 : 1993/01/20
■本名はAndrey Kathleen Ruston。貿易商の父とオランダ貴族出身の母の下に生まれ、5歳の時に戦争のためイギリスへ渡りロンドン郊外の寄宿学校に通う。10歳の時、両親が離婚したのをきっかけに、母と共にオランダに移住しバレエのレッスンを始めた。以後、戦火の中、モデルなどをして生計を立て、48年、単身ロンドンに渡りマリー・ランバート・バレエ学校に入学。プロとして舞台デビューを果たす。50年に端役として映画に出演。以降、数本の作品に出演した後、51年、撮影中に『ジジ』の原作者であるコレット女史と出会い、同作のブロードウェイ公演で主役に抜擢される。その舞台を見たウィリアム・ワイラーにより53年「ローマの休日」にて主役の座を獲得。作品の大ヒットと共にアカデミー主演女優賞を受賞し、一大ブームを巻き起こす。以後はスター街道を突き進み「麗しのサブリナ」、「尼僧物語」、「ティファニーで朝食を」、「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。メル・ファーラーとの間にショーンをもうけた後、68年に離婚。翌年精神科医と結婚するも一児を残してこちらも離婚に至っている。晩年はユニセフに親善大使として参加。ソマリアで難民救済に力を注いでいた。93年直腸ガンのため、63歳でこの世を去った。しかし今なおCMなどに彼女の映像が使われているように、“永遠の妖精”はいつまでもその清純な美しさで我々を魅了し続けてくれるであろう。

オードリーにも劣等感があった

1953年の「ローマの休日」で、少女のような魅力を出すことで大成功をつかんだオードリーでしたが、そんな自分自身に対し、自信がもてないままでした。60年代以前にあたる当時の価値観ではゴージャスでグラマラスなな体型がもてはやされていたため、彼女は自身の華奢な体型に対し「貧相だ」と悩んでいたのです。

劣等感をばねに変える

スター街道を突き進むことになるオードリーは、「麗しのサブリナ」では劣等感を逆手にとるような、あっと言わせるような工夫を凝らして大注目を浴びます。

それは細身でくるぶしが出たパンツである、「サブリナパンツ」でした。コンプレックスだったスレンダーな体形が目立つ格好でしたが、それがかえってスタイリッシュに見えるようになったのです。細身のオードリーにぴったりで、かつアクティブさが際立ち、共感をよんだのです。

それまでハリウッドはゴージャスな美が主流でしたが、オードリーはシンプルな美しさを持ち込んだのでした。

女性たちの生き方に勇気を与える

さらに、当時新進気鋭のデザイナーだったジバンシイの衣装も取り入れて、シンプルで端正な美しさも広めていき、ファッション・リーダーにもなっていきます。自立したその姿を示すことで、当時の50年代、60年代に生きる女性たち、とりわけ社会に参加しようとする女性たちにの生き方に勇気と指針を与える役割も果たしました。

ツィッギー

1960年代、元祖スーパーモデルとして知られるツィッギーは、マリー・クヮントのミニスカートというファッションで世界的に有名になりました。

略歴

1949年9月19日、イギリスはロンドン郊外のニースデン生まれ。本名はレズリー・ホーンビー。子どものころから「ツウィッグ(小枝)」というあだ名で呼ばれていました。とてもファッションに敏感な彼女は、1966年、17歳になる少し前に、雑誌「ウーマンズ・ミラー」のカバー・ガールをつとめます。

きわめて細く芸術的ですらあり、子どものように華奢で、無性別的な姿だったので、当時60年代の若者文化やファッションの「スウィンギング・ロンドン」の雰囲気とぴったり合い、また当時発表されたミニスカートのブームともぴったり合ったため、たちまち注目され、トップモデルとなりました。

身長は165㎝で体重は41キロ、まだ18歳だった彼女の年収は一千万ドル(当時のレートで36億円)と言われます。これは60年代に人気絶頂だったビートルズの年収以上ともいわれます。

コンプレックスが原動力

彼女はこう言います。「みんな私の見てくれ(外見)を嫌っていた。だから、みんな頭がおかしくなってしまったと思ったわ」。

この言葉のとおり、彼女は自分の細い身体を嫌っており、もっと太りたくてたくさん食べたり、胸に詰め物をしていたという話すらあります。ツィッギーは、その劣等感をばねにして自分自身で新たな時代の価値観を創り出し、60年代の世界的なファッションリーダー、つまり元祖スーパーモデルとなったのです。

ツィッギーが変えたもの

1960年代、彼女の着た膝上20㎝のマリー・クヮントのミニスカートは世界的に大流行し、それまでの「グラマラスが美人」という概念を覆しました。そして、彼女の着るカラータイツやローヒールのモッズ・ファッションは代表格となりました。モデルの概念もまた、覆します。

それまでのモデルは口を閉じてすました顔をしてばかりで自己表現がなかったといいますが、ツィッギーは口を大きく開けて笑ったりと、表情豊かでした。さらに、コーディネートにも自分のファッションセンスを取り入れたといいます。それが、60年代におこったスーパーモデルの走りとなったのです。

ブリジット・バルドー

1960年代、マリリン・モンローと並んでフランスのセックス・シンボルと言われた、BB(べべ)ことブリジット・バルドー。その奔放な性格やファッション、そして恋愛遍歴すらも、今なおカッコいいとファンになる女性が絶えません。彼女には、いったいどんな魅力があるのでしょうか。

伝説的な“BB”

60年代を代表する女優であるブリジットは、18歳でデビューします。それから映画監督たちにとって、ミューズ的存在になります。

私生活や恋愛遍歴、ファッションの面でも自由奔放であった彼女は、常にパパラッチや大衆の注目の的でした。というのも、映画の中の役柄とともにスキャンダラスな生活を送る、というよりかは、意識してそのように「演じた」のです。

常に憧れとともに視線を向けられ、そして語られる、大女優BB。彼女の周りは華やかだけれども、いつも騒がしかったのです。

ファッション

ブリジットは、普段からのファッションもカジュアルで質素なものと言えました。カンヌ映画祭開催中、ニースにて撮影をしていた彼女は、そこに集まったたくさんのマスコミ陣に応えるときも、デニムにTシャツを合わせるという極めてシンプルな装いでした。

カンヌ映画祭というのは、女優たちはこぞってきらびやかなドレスで着飾ってレッドカーペットを練り歩くものですが、それとはまるで違うブリジットのファッションには、彼女の気さくな一面が出ていたと言えます。この出来事があってから、彼女に対する大衆の好感度が上がったといいます。

ポリシーの強さ

マリリン・モンローは「ダイヤモンドは女の親友」と言いましたが、一方でBBはこう残しました。

「自分にとっての宝石は髪の毛や肉体であり、お金で買えるものに価値などない」。

このことば通り、彼女はきらびやかな装飾品やファッションに興味は示しませんでした。恋人からもらった高価なアクセサリーも、別れる時には返したというほどです。

プロとしての魂

ブリジットはまさに、女優人生を極めたといっても過言ではありません。BB自らが創り上げた「自分を演じる」という生き方、プライベートを仕事に捧げる姿勢、恋までも極め、すべてにおいてチャレンジ精神で臨むBB。

新しい女性像を創り上げもした彼女は、人生が決して平たんな道のりではないにも関わらず、楽しんでいるようにすら思えます。

60年代ファッションの映画はなにを観ればいい?

オススメのファッション映画をご紹介します。

『イエロー・サブマリン』

1969年公開、ザ・ビートルズのメンバーを主人公としてキャラクター化したアートアニメ映画で、60年代独特のサイケデリックアートとしての評価も高いです。ミュージカルとしての要素も強く、全編にわたってビートルズの曲が使われており、ファンならずとも彼らの魅力を堪能できます。

大きな魅力の一つは、なんといっても、おしゃれでサイケデリックなアートワークにあります。現代の日本のアニメ文化にはまず見られない、今観るととても新鮮な作品となっています。そして、登場する人々の60年代ファッションにも注目したいところです。

ちなみに、ビートルズは、『アニメ・ザ・ビートルズ』で、この映画とは別の作品として、子供向けアニメ作品にもなりました。そちらでも1960年代の空気を満喫できます。

『シェルブールの雨傘』

今なお、60年代悲恋映画の金字塔として名高い、フランス映画『シェルブールの雨傘』。全編を通して、台詞が曲に合わせたミュージカルとなっており、フランス語の美しさを感じることができます。フランス映画ならではの繊細な心理描写と日常の様子、ファッションに、今でも釘付けになる人は後を絶ちません。

当のファッションの面では、服装はもちろんのこと、冒頭における、たくさんのカラフルな雨傘を真上から捉えたシーンにはじまり、60年代インテリアの鮮やかな色彩感覚を味わうことができ、この映画は何回観ても新鮮であると言えます。

色鮮やかで力強い、それが60年代

1960年代は、日本に限らず世界的に見ても若い世代が活動的で、学生運動や公民権運動が盛んでした。それらの活発な動きがファッションの面にも顕著にあらわれたと言えましょう。

とくに60年代のスウィンギング・ロンドンやモッズ・ルックにも象徴されるように、街角の若い世代のファッションが世界を動かしていきました。これは現代では珍しいことではありませんが、当時はパリの高級服店「オートクチュール」が中心的だったので、そういったもう一つの大きな流れを起こせるだけのパワーには、特筆すべきものがあります。

そんな1960年代は、教科書の中の話でもうすでに50年以上前のこと。昔話や歴史上の話に見えることもあるでしょう。そんな当時の「若者」は70歳代。せっかくなら、身近な年配の方に話をきいてみるのも面白いでしょう。