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【階級別】平安時代の食事内容・再現方法・食事回数・マナー

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カテゴリ:文化

初回公開日:2018年01月31日

更新日:2020年02月14日

記載されている内容は2018年01月31日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

【階級別】平安時代の食事内容・再現方法・食事回数・マナー

平安時代はどんな食事をしていたの?

平安時代というと、何を思い出しますか。紫式部と清少納言が代表する女流作家たちでしょうか。当時、貴族は京都の平安京に住んでいました。平安時代の食事には何が並んでいたのでしょうか。

貴族たちの食材

京都は関西にある盆地で山や川、湖には近く、海からは遠い場所です。そこに住んでいた貴族は新鮮な海の幸を食べることは難しかった、と言われています。現在のように冷蔵庫や車がないので、諸国からの献上品はすべて塩漬けか発酵食品など保存食にしてから人が運んでいました。

食事に並ぶ魚は、川から獲れる淡水魚や魚介類、スッポンや海藻で、それらは干物か塩づけになっていました。

食卓に並ぶ食材は

例えば、川魚のウナギは丸ごと串で刺し、素焼きをして、塩で味付けして食べていました。今のようなウナギのかば焼きが登場するのは江戸時代からです。

具体的に食材として、近くの山で摂ることができる猪、鹿、熊、カモシカ、タヌキ、キツネ、山鳥、ウズラ、カモメ、スズメ、雉、鴨、鳩などの他に、アシカ、アザラシなどや、隣の滋賀県にあるびわ湖からのアユなど淡水魚、貝類などを刺身や焼いたり蒸したりして食べていました。一人分としては少量ですが、多彩な食材が食卓を飾っていました。

料理には味付けナシ

平安時代の調理方法は、食材を切ったり加熱したりはしましたが、料理に味付けはしないため、食べる前に塩やひしお(味噌の原型)、酢、酒などを付けて食べていました。汁物は塩汁でした。

そして平安時代には醤油、砂糖、旨みダシなどはないため、現代人にはかなり塩味のきつい料理になっていたことが想像できます。

ご飯はてんこ盛り

平安時代には、強飯(もち米を蒸したもの)か、姫飯(釜で炊いた飯、現在食べているご飯)または、お粥が主食の食事でした。宇多天皇が粥にセリを入れて食べる習慣を広め、その後七草がゆになったと言われています。

ご飯の盛り付け方は塗り椀に盛り切り(丸または四角のてんこ盛り)して、お箸は立てて刺していました。この形は現在では仏様の影膳ですが、平安時代ではいつもの食事の風景でした。

お酒は濁り酒?

日本酒が作られるようになるのは稲作が始まった縄文時代から、その後さまざまなタイプのお酒が造られるようになりました。平安時代には醴酒(甘酒)、御酒槽(儀式や酒宴用の高級酒)、御井酒(朝廷用の酒、濃厚で甘味が強い)、熟酒(フルーティな酒、現在の吟醸酒)などがあります。

日本酒は平安時代から江戸時代に掛けて片白(かたはく)という醸造方法が用いられていました。日本酒の製造には麹米と掛け米の2種類の米が使われますが、片白の場合は麹米には玄米を使い、掛け米だけ精白米を使っていたので、酒の色は茶色に濁っていて、味はみりんに近い甘さがありました。

醴(甘酒)はアルコール度数が低く、江戸時代には夏の滋養がつく飲み物として扱われていました。また、平安時代には麦湯(麦茶)も飲まれています。そしてこの頃から酒税が徴収されるようになりました。

大臣大饗とは

皇族が大臣の屋敷を訪れた時には大臣大饗という特別な食事が出されました。料理のために9日前から準備がなされ、赤塗りの膳に白絹をテーブルクロスのように敷いて、塗りの食器にご飯と調味料(醤・味噌・わさび・ハジカミ・タデ・塩など)、生ものと塩漬けのもの、干物、菓子などが各地から取り寄せられて、贅を尽くした食事が来客を迎えました。

庶民、農民の食事

平安時代になって、遣唐使が持ち込んだといわれる麺類が食べられていて、ウドンなどが庶民の味でした。ラーメンは江戸時代になってから日本に入ったといわれています。京野菜など野菜や穀物は豊富で、生野菜や粕漬、酢漬けにして食べていました。芋や豆なども副菜として食べられていました。

庶民や農民は都へ行って働くか、代わりに布や綿、塩、米を税金として納めるために、白米は食卓には上がることがめったにないのでした。主食は麦・アワ・キビなどで、わずかなお米(うるち米)と共にお粥にして食べていました。

平安時代の食事の再現方法

平安時代に書き残された「類聚雑要抄」に記載されていた大臣大饗の献立が、現代の食材で再現されています。「類聚雑要抄」は当時の食卓を図解入りで解説しています。

平安時代の料理再現レシピ

平安時代のお菓子を再現した花びらもちのレシピを紹介します。味噌餡と白玉を使った、透明感ある和菓子です。

本格!平安御膳

平安時代の食事を再現したレシピをクックパットからご紹介します。

品数は多めで豪華な御膳です。平安貴族の御膳を今手軽に手に入る食材で作っています。それぞれおかずの量が少なめですが、五穀米はてんこ盛りが良いでしょう。平安貴族の気分が味わえます。

どんな味?

平安時代には、醤油、砂糖、旨味だしがなかったので、味付けは味噌、酢、塩でした。菓子の中にはツタから採った甘葛煎の蜜が掛けられている品もあります。

塩辛いか酸っぱいおかずを少し食べて、山盛りの甘い白米を食べるのが当時の貴族の食事でした。貴重だった白米をたくさん食べられることが高い地位の証でもありました。

当時すでに砂糖はありましたが調味料ではなく、薬品扱いでした。砂糖が和菓子などに使われるようになったのは、鎌倉時代の終わりから室町時代に砂糖が輸入されるようになってからです。

カロリーは?

貴族の食事をカロリー試算したところ、1食で893~1492kcal、塩分は22.5gでした。庶民の食事は183~328kcal、塩分は0.5gということでした。塩分摂りすぎで体を動かすことが少ない貴族が、庶民より短命だったことを裏づけています。

食器など

平安時代から木をくりぬいて器にするろくろが使われるようになり、木製の器が普及しました。

平安時代の食事をする回数

平安時代の食事回数は朝と夕方の2回だけ、ときどきは間食をしていました。

平安時代の菓子

平安時代の間食(菓子)は主に果物でした。諸国から貢進菓子として、ヤマモモ、クリ、シイノミ、タチバナ、ビワ、ミカン、ナシ、ナツメ、グミ、アケビ、キイチゴなどの他に、ヤマイモやレンコンなども食べられていました。

平安時代の加工菓子

平安時代の文学作品に登場した加工菓子を集めてみました。土佐日記には米粉を使った揚げ菓子「まがり」が登場します。枕草子には、のし餅「ひろき餅」、ツタ(アマチャズル)の汁を煮詰めた甘葛煎の蜜をかけたかき氷「削り氷にあまあづら」、調理した野菜や卵をもちで包んだ「へいだん」、麦を煎って挽いてから練った「青ざし」がありました。

源氏物語には、甘葛煎で味を付けた餅を椿の葉で包んだ「椿餅」、米・豆・ゴマの粉に甘葛煎を混ぜて丸くした「ふずく」が出てきます。今昔物語には、米粉と小麦粉、塩を使ったドーナッツのような揚げ菓子「むぎなわ」も登場しました。

平安時代の食事マナー

貴族のための宴会料理「大饗料理」では、大きなテーブルに箸とさじを置き、飯は左側に置いて、横には塩・酢・酒・醤が入った器が並び、食べる前に味付けをしていました。テーブルの真ん中には焼きタコ、蒸しアワビなどの魚介類、雉、鯉、鯛、柑子、梨子などが並びイスに座って食べていました。蒲鉾が食べられるようになったのもこの頃からです。

庶民の食事は手づかみではなく、箸を使うようになっていました。個別の食台を使い、一汁三菜という構成で飯は左に置いて箸を立て、汁物は右へ置いていました。この頃から、さじを使わず器に直接口を付けて汁を飲むようになっていました。

精進料理をいただくときの心構えを説く書である「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」が書かれたのも平安時代です。食事を食べる際の作法について厳しく書かれています。

平安時代の食事を体験できるおすすめの場所

平安時代の貴族の料理を再現したお店を紹介します。

平安時代の食事を再現しつつ、現代人の口にも合うようアレンジされています。当時の貴族と同じように旬の食材がふんだんに使われています。

皇族を迎えるために贅を尽くした大饗料理を現代風にアレンジして再現しています。

平安時代の食卓は豪華

平安時代の貴族の食事は日本全国の旬を集め、贅を尽くした食事です。現代人の好みに合わせた味付けをしていれば、私たちにも堪能できる料理です。

そして平安時代の庶民の食事は一汁三菜ですが、どれも新鮮な旬の食材を使い体にいい麦飯や五穀米です。機会があればぜひ現在風にアレンジされた平安時代の料理を味わってみてください。