Search

検索したいワードを入力してください

忍者は実在したのか・身体能力|無門/海外/名前/しない

Author nopic iconばいおる
カテゴリ:文化

初回公開日:2018年01月11日

更新日:2020年08月29日

記載されている内容は2018年01月11日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

忍者は実在したのか・身体能力|無門/海外/名前/しない

忍者とは何者か

忍者は大名などに仕えて諜報活動や奇襲、暗殺などに特化して活動していたと言われる、現代で言うところのスパイのような役割を持った人たちのことです。その起源は飛鳥時代にまで遡り、「日本書紀」に初めて忍術を使用したという記述が登場します。

「忍者」という言葉自体は小説に登場したことが起源とされ、比較的近代の言葉です。実際に忍者が活躍していた時代では「乱破(らっぱ、乱派とも)」などという呼び方をされており、リアル志向のゲームや漫画ではそのように表記されていたものも存在します。

無門忍者は実在したのか

「のぼうの城」の作者でも知られる和田竜氏の小説、「忍びの国」という小説をご存知でしょうか。2017年7月に映画化され、嵐の大野智氏が主人公の「無門」を演じたこともあり、忍者にさほど興味のなかった若い方でも見に行った方もいることでしょう。

この「忍びの国」は有名な忍者集団である伊賀忍者たちの物語であり、時代でいえば「天正伊賀の乱」というできごとを描いた物語です。映画の中には、織田信雄や伊賀忍者の頭である、百地三太夫という実在の人物もいましたが、主人公の「無門」という人物も実在したのでしょうか。

残念ながら実在していません。彼は「忍びの国」の中の創作の人物です。このように、日本には名前は有名でありながら、本当は実在していない忍者も数多く存在しています。有名エピソードも、小説の設定が独り歩きしていたり、情報不足で実在した確証が持てない忍者が多くいます。

実在しない空想上の忍者

2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」にも登場していますが、真田幸村に仕えていた猿飛佐助という忍者は日本人の中でも圧倒的に知名度の高い忍者ですが、残念ながら彼も架空の人物の1人です。

真田十勇士という真田家のスペシャリスト集団も、モデルはいるとはいえ、架空の存在とされえいます。同じく忍者である霧隠才蔵や鎖鎌の名人の由利鎌之助も実在しません。真田十勇士意外の忍者では、日本で有名なくノ一である望月千代女も実在しない可能性があると囁かれています。

もちろん、あらゆる妖術や幻術と言った類を使い、大名たちを震え上がらせたという伝説が残っている果心居士(かしんこじ)も、架空の人物であり、伝説だけが独り歩きしている存在です。

実在した忍者の身体能力

忍者といえば、分身の術が使えたり、大きなガマに乗って呪文を唱えるというイメージが強い存在ですが、実際の忍者の使う忍術はもちろん、そのようなことはできませんでした。忍術というものは存在していましたが、それはあくまで諜報活動などを円滑にこなすためのものでした。

実在する忍者の心得のようなものが書かれた忍術書である「萬川集海(まんせんしゅうかい)」には、「忍術は一種の盗術と同じである」と書かれています。敵の城へ潜入する時や、撹乱や奇襲を仕掛ける時に役立つ行動や、道具について詳しく記されている指南物のようなもので、昭和の戦時中に陸軍が参考にしていたほどに実用的です。

結果的に忍者は並の人とは違う身体能力を持った存在であることは間違いありません。また、萬川集海には、忍術は正義の心を持って使わなければ、結果は悪党と変わらないということも書かれていて、そこが忍者と盗人の違いと考えられます。

男女別実在した忍者の名前

それでは実在した忍者ではどのような人物がいたのか、数人ばかりですが紹介しましょう。どの忍者も、実在忍者の中では有名なエピソードを持つ忍者ばかりです。

服部半蔵

服部半蔵と聞いてどのような姿を思い浮かべますか。多くの方が徳川家康に仕えた凄腕忍者の姿を思い浮かべたのではないでしょうか。実際にそれは正解ではありますが、実は「服部半蔵」という名前は個人の名前ではありません。

服部家の当主は代々「半蔵」という名前を受け継いで行ったことでも有名で、実際に「服部半蔵」は12代目まで受け継がれていきました。そして、徳川家康に仕えた「服部半蔵」は2代目の当主の正成で、「徳川十六神将」の1人とされています。

織田信長が本能寺の変で自害した時に、徳川家康を200人もの伊賀忍者の護衛隊を組織し、無事に和泉国から三河国へ送り届けたというエピソードがあります。

石川五右衛門

伝説の大泥棒である石川五右衛門も実在の人物であると言われ、また泥棒ではなく伊賀忍者の1人ではないかとも伝えられている人物です。有名なエピソードといえば「五右衛門風呂」のルーツになった釜茹での公開処刑です。

実際に釜に入れられた液体は水ではなく、油であったと言われており、豊臣秀吉の石川五右衛門への怒りが計り知れないことを感じさせます。しかし、盗みを働いたとしても、油を注いだ釜へ一族を根絶やしにする勢いで、子供まで投げ入れるほどの怒りになるでしょうか。

一部では五右衛門が伊賀忍者であったがゆえ、五右衛門が秀吉の暗殺任務を請け負っていたという説などといった説も出ています。

また、石川五右衛門が実在する根拠は、当時日本にいたイエズス会の宣教師の日記に「Ixicava goyemon」という人物が、油の入った釜で処刑されていることが記されているためです。

加藤段蔵

また、実在の根拠を示す資料は少ないものの、生存していたであろう時代と、死亡した年齢がはっきりとしている忍者に「加藤段蔵」という人物がいます。とても優れた幻術を扱う腕を持ったとされている人物で、戦国武将をも震え上がらせたと言われています。

段蔵は上杉謙信に仕えたいがために春日山城を訪れ、牛を飲み込むなどのさまざまな術を披露し、謙信と面会することができました。しかし、謙信の命令どおりに彼の家臣の薙刀を盗むついでに、その家臣の娘を起こさずに一緒に連れてきてしまったことで謙信に恐れられ、暗殺されそうになっています。

越後から逃げてきた段蔵は後に武田家へ仕えようとやってきますが、結果的に自分の凄腕の盗術が仇となり、首をはねられる結果となりました。

また、漫画「落第忍者乱太郎」に「加藤団蔵」という名前の忍たまが登場しますが、彼のモデルは言うまでもなく、加藤段蔵です。

大原数馬

実在する忍者では最も時代が新しく、大原数馬は幕末の時代に生きた甲賀五十三家の大原家の末裔です。江戸時代になり、平和に近付いてきた日本では忍者はもはや存在する理由がほとんどなくなってしまいました。

忍者衰退の危機を恐れた数馬は「萬川集海」などの忍術秘伝書の写しを持ち、江戸へ行き幕府へ忍術衰退について訴えたものの、聞き入れられることはありませんでした。

以降数馬は後の子孫たちに医術を教え、大原家は代々薬の知識で人々を助ける道を選び、生きて行きました。

くノ一はほとんど文献に登場していない

忍者は実在しているものも含め、多く名前が記されているのですが、くノ一に関しては情報が非常に少ないのも事実です。

その中でも武田家に仕え、くノ一集団の育成をしたと言われる日本で有名なくノ一に、望月千代女という女性がいます、甲賀忍者の甲賀五十三家のひとつである望月家の出身ともいわれています。

孤児などの少女たちを集め、女という利点を活かした諜報活動の術や、諸国を自由に行き来できる巫女になりすます方法を身につけさせるなど、甲賀の里の出身であるノウハウを活かしていたとも言われていますが、近年では実在していないのではないかという説も出ています。

海外では忍者は実在していると思われているのか