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げんなりは方言なのか・語源・類語・「うんざり」との違い

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カテゴリ:方言

初回公開日:2018年02月08日

更新日:2020年08月29日

記載されている内容は2018年02月08日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

げんなりは方言なのか・語源・類語・「うんざり」との違い

「げんなり」は方言なのか

なんだか疲れ切ったような、あるいは気落ちしているようなそういう様子を表現する「げんなり」という言葉は聞いたこともある方も少なくないでしょう。その意味は「疲労や落ち込みなどで気力がなくなること」です。

ただ、この「げんなり」という言葉については、どこか方言っぽく聞こえると感じる方も中にはいることでしょう。はたして、「げんなり」は方言で見られる言葉なのでしょうか。そして、もし方言であるとしたら、どの地方の方言ということになるのでしょうか。

実は方言として「げんなり」を使っている地域が2つあります。それは京都と熊本です。

京都弁の「げんなり」

まず、京都弁における「げんなり」について見ていきましょう。京都弁の「げんなり」の意味は「がっかりする、力が抜ける」という意味で使われます。もちろん、使われるシチュエーションとしては、嫌なことやネガティブなことに遭遇した結果、気落ちしてやる気をなくしたり落ち込んだりするといった状況が挙げられます。

このため、例文として使うとすれば「気になったから言うたというだけやから、ほんまにげんなりせんといて(気になったから行ったというだけだから、そんなに落ち込まないで)」というように使います。

熊本弁の「げんなり」

九州の熊本弁でも「げんなり」という言葉は使われます。意味は京都弁における「げんなり」とほとんど同じく「うんざりして気が抜ける」ことを指します。

もちろんこちらの「げんなり」についても、ネガティブな状況などに遭遇した場合に落ち込むなどうしてやる気や力が抜けてしまうといった状態で使われます。

ご当地グルメにもある「げんなり」

「げんなり」の語源

方言としての「げんなり」をいろいろと見てきましたが、いずれも疲れや落ち込みで気持ちや気力がなえるといった意味合いで使われます。その「げんなり」にはどのような語源があるのでしょうか。

実は「げんなり」は、もともと「ぐんなり」という言葉が変化したものであるとされています。「ぐんなり」もまた「げんなり」と同じような「疲れて気力が失せる」ことを意味し、その様子をそのまま音で表したオノマトペという形で表現した結果生み出された言葉です。

もう少し説明するならば、日照りなどで草木が元気をなくしてぐんなりとしおれている様子などから「ぐんなり」が生まれ、それが転じて「げんなり」となりました。なお、「ぐんなり」は「ぐなり」や「ぐんにゃり」とも書き表すことができます。

「げんなり」の類語・言い換え

ここまで「げんなり」という言葉について方言での意味や語源などを見てきました。それでは、「げんなり」という言葉に似た表現を持つ言葉にはどのようなものがあるのでしょうか。

ここでは、「げんなり」の類語を知ることで、気力が落ちるさまについての語彙をさらに増やしていきましょう。

気力が失せる

げんなりは方言なのか・語源・類語・「うんざり」との違い
※画像はイメージです
出典: Depression - Free pictures on Pixabay

「気力が失せる」とは、嫌なことなどに直面して、何らかの物事に取り組む気持ちややる気がなくなってしまうことを指します。たしかに、気力が失せれば、物事に取り組むうえでのモチベーションが下がり、手がつかなくなります。もっと別の言い方をするとすれば「士気が落ちる」という言い方も似合うでしょう。

もちろん、このような状態を音で表した言葉が「げんなり」や「ぐんなり」ですので、そういう意味では「げんなり」の類語であるといえます。

飽き飽きする

一見すると「飽き飽きする」は「げんなり」の類義語としてはどこか違和感があるようにも見えます。が、「飽き飽きする」の意味が「十分すぎたりくどかったりして、すっかり嫌になる」というものである以上、気力が失せて嫌になるという意味を持つ「げんなり」によく似ているといえます。

ただし、「げんなり」の状態になる主な原因として、ネガティブで嫌なことに直面したり遭遇したりすることが挙げられるのに対し、「飽き飽きする」の場合は何らかの物事がずっと続きっぱなしで単調であることが挙げられます。

そういう点から考えると「げんなり」と「飽き飽きする」がお互いに類語であるにもかかわらず、違和感が感じられるように見える原因はそこに求められるといえるでしょう。

投げやりになる

「投げやりになる」もまた「げんなり」と似ています。まず、「投げやりになる」の意味から見ていきますと、「現状に対する不平や不満などから、拗ねた態度ややさぐれた態度を示すこと」となっています。そこから考えると、「げんなり」と同じように現状に対するネガティブな気持ちの表れであるという点では共通するといえるでしょう。

しかし、「げんなり」の場合はネガティブな状況に遭遇した時はやる気をなくして落ち込んだり力が失せたりと何もしたくなくなるのに対し、「投げやりになる」の場合は現状に対する不満やあきらめから、「もうどうでもいい」といわんばかりの行動や態度を示すことを指します。この点が両者の相違点です。

活気がなくなる

「活気がなくなる」とは、「何らかの物事に取り組む元気がなくなる」ことを指しますが、これはまさに先ほども触れた「気力が失せる」と同じような意味です。そのため、落ち込んで元気がなくなる様子を表す「げんなり」と同じような意味を指します。

ちなみに、「活気がなくなる」がよく使われる例として、町全体の雰囲気といった故人よりもどちらかといえば集団など複数の人間が集うところの様子を指す場合に使われることが多いです。ただそれでも、集団全体が「げんなり」している様子を表現するにはうってつけの言葉であるといえるでしょう。