Search

検索したいワードを入力してください

家紋が橘の苗字・種類・家系・家紋が橘の意味・有名人|丸

Author nopic icon橘ケイ
カテゴリ:文化

初回公開日:2018年05月18日

更新日:2020年02月28日

記載されている内容は2018年05月18日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

家紋が橘の苗字・種類・家系・家紋が橘の意味・有名人|丸

黒田官兵衛孝高(黒田如水)の黒田氏

播磨国の国人・小寺氏に仕えた黒田氏は宇多源氏佐々木氏流を称しますが、孝高の祖父・重隆より以前の系譜はよくわかっていません。孝高の父・重職が小寺氏の養女を娶った時に小寺姓を名乗ることを許されて小寺氏の家紋「橘に藤巴」も賜りました。

黒田氏の家紋というと「黒餅」や黒田藤といわれた独特の「藤巴」紋が知られますが、小寺氏の家紋から「藤巴」紋を抜いた「三ッ橘」(黒田橘)を替紋として使用しました。黒田氏は主家の小寺氏が織田信長に敗れると織田信長、豊臣秀吉に仕え、筑前国福岡藩の大名になります。

室町幕府の重臣 薬師寺氏

藤原秀郷流小山氏の後裔という、小山長村の子・政村が薬師寺五郎三郎を名乗って薬師寺氏の祖となります。足利尊氏の執事・高師直に側近として仕え、康永3年(1344)関東管領となった高重茂(髙師直の弟)を補佐して関東に下向し、武蔵国守護代となります。

薬師寺公義の時、配下の武蔵武士団を率いて常陸国に出兵しますが、逆に常陸国の上杉能憲の侵攻を受け、髙氏を見限って京都に出奔しました。

その後、薬師寺元長の代には室町幕府の管領・細川家に仕えて摂津の守護代になり応仁の乱で活躍します。細川京兆家の内紛で薬師寺国長が細川晴国と戦って討死すると次第に没落。三好長慶に城を追われて播磨国守護職・赤松氏の与力衆となります。家紋は薬師寺橘(丸の内に三本橘)です。

最近では薬師寺氏の祖を因幡国の国司で因幡薬師堂(平等寺)を建立した橘行平とする説があります。

橘紋は日本人の奥ゆかしさの象徴

桜が散り際の美しさから「潔さ」を象徴したのとは対照的に、橘は冬でも寒さや雪に耐えて育つことから「奥ゆかしさ」や長寿の象徴として、古くから文人や武士に愛されてきました。橘紋は橘氏の代表紋ですが、橘氏が早くから没落したため中央から地方へ流れた一族が多く、橘の苗字と共に橘紋も全国に分布していきました。

橘紋は縁起の良さから橘氏以外でも使用する家が多く、主家が家臣に褒美として与えたり、使用する家に無断で他家が家紋を使用する「潜用」などもあって、家柄とは関係なく家紋の移動、やりとりが頻繁に行われ広まっていったと言われています。源氏の「笹竜胆」紋や平氏の「揚羽」紋など、他家の代表紋にはない橘紋の特徴です。