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三つ巴の家紋の武将・神社・三つ巴の家紋の種類・意味と由来

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カテゴリ:文化

初回公開日:2018年04月29日

更新日:2020年02月13日

記載されている内容は2018年04月29日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

三つ巴の家紋の武将・神社・三つ巴の家紋の種類・意味と由来

家紋について知りましょう

みなさんは自分の「家紋」をご存知でしょうか。

家紋について詳しくは知らなくても、時代物のドラマや映画、または神社などで目にしたことがあるでしょう。

現代では一般家庭では見ることのなくなった家紋とは、家別の紋章です。家紋は世界中に存在し、日本国内では2000種類以上と言われています。

自らの出自や家柄、さらには地位を表すために使われており、昔の人々はその家紋を見るだけでどこの家の者なのか判断ができたと言います。家紋はそれだけ人々の間に浸透していました。武具や鎧などに好んで付けられたのも、自分がどこの誰であるのか一目で判断できるためと言われています。

今回は数ある家紋の中で、特に有名な「三つ巴」の家紋について詳しく見ていきましょう。

三つ巴の家紋とは?

まず「三つ巴」とはどのような模様なのかを知りましょう。

「巴」とは英語で使うコンマや勾玉のような、丸にチョンとしっぽのついた日本の伝統的な模様の総称です。その巴模様を3つ集めたものが三つ巴模様と呼ばれています。

神社の神紋や漫画などでも使用されていたので、目にしたことがある方も多いでしょう。

三つ巴の家紋の武将や幕臣は?

三つ巴の家紋は、武運の神八幡神の神紋として使用されていることから、武将や幕臣たちにとても人気がありました。どのような武将たちが使っていたのか見ていきましょう。

三つ巴とよく似た「二つ巴」の家紋を使っていた有名な武士もご紹介します。

「剣豪」宮本武蔵

言わずと知れた剣豪、宮本武蔵の家紋は九曜巴紋(くようともえもん)です。

現在の兵庫県に当たる播磨国出身の宮本武蔵は、二天一流兵法の祖とされ、佐々木小次郎との源流島の戦いはあまりにも有名です。芸術にも長けており、水墨画家としても名前を知られています。

そんな宮本武蔵の家紋、九曜巴紋は中央に大きな三つ巴紋があり、その周辺に8つの小さな三つ巴紋をほどこしたものです。

九曜とは陰陽道などの占いに使われた天体を神格化した模様です。その九曜と三つ巴紋を合わせて家紋としていました。

「五大老」小早川隆景

あの豊臣秀吉の五大老の一人であった小早川隆景の家紋は、左三つ巴です。

小早川隆景は名字が違うので分かりにくいのですが、現在の中国地方全域をおさめた毛利元就の三男です。

豊臣秀吉からの信頼がとても厚く、豊臣政権を担う五大老の一人として任命されました。

「鬼の副長」土方歳三

新撰組、鬼の副長として名高い土方歳三の家紋は「左三つ巴」です。

現代でも人気がある土方歳三は、実は農家の出身です。もともと武士の身分ではありませんでしたが「武士になる」と言う目標を持ちそれを叶えた人物です。

新撰組を結成後も身分にとらわれず、たくさんの浪士たちを隊員として迎え入れました。その元浪士の隊員たちをまとめ上げるために「局中法度」を設け、破った者には切腹を命じていたことから「鬼の副長」と呼ばれるようになりました。

そんな土方歳三の家紋の「左三つ巴」には、「厄災から身を守る」と言う意味が込められています。

「忠臣蔵」大石内蔵助

赤穂浪士、大石内蔵助と言えば名前を聞いたことはあるでしょう。

大石内蔵助はいわゆる「忠臣蔵」の主人公で、歌舞伎や人形浄瑠璃、現代では年末年始にドラマが包装されるなどとても人気があります。

ドラマや歌舞伎では君主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念を晴らすために、その家臣であった大石内蔵助ら47人が吉良上野介を打ち取り、その後幕府の命に従って切腹すると描かれていますが、本当の動機などは不明とされています。

そんな浅野家家老、大石内蔵助の家紋は三つ巴ではありませんがよく似た「右二つ巴」です。

大石内蔵助を含む家臣らを祀っている兵庫県赤穂市にある「赤穂大石神社」に行くと、大石内蔵助の家紋である右二つ巴を多く目にすることができます。

三つ巴の家紋の神社

三つ巴は神社の神紋として多く使用されています。

火災除けとしての意味をもっていたり、武神である八幡神の神紋として広がったことが理由として上げられます。

三つ巴の神紋を持つ神社を見ていきましょう。

石清水八幡宮

京都府八幡市にある石清水八幡宮は、必勝祈願にご利益のある神社として知られています。

名だたる名将も訪れたことで知られ、現在も日本全国から参拝者が訪れています。経営の神様と呼ばれるパナソニックの創始者、松下幸之助が信仰していたことでも有名な神社でしょう。

石清水八幡宮は平安京において鬼門を守る神社として、皇室や朝廷からもとても重要視されてきました。

そんな石清水八幡宮に参拝すると、至るところで三つ巴紋を見ることができます。

主に左三つ巴ですが、一箇所だけ右三つ巴が隠されています。完全に完成させてしまうと後は朽ちるのみなので、あえて未完成の場所を作り、これからの発展を願うと言った意味が込められています。

ぜひ石清水八幡宮へ足を運び、右三つ巴を探してみてはいかがでしょうか。

八坂神社

京都祇園にある、あの有名な八坂神社の神紋も左三つ巴です。神紋が2つあり、一つは左三つ巴、もう一つは「木瓜(もっこう)」と呼ばれる花を描いたような家紋です。

言わずと知れた八坂神社には足を運んだことのある方も多いでしょう。円山公園と隣接しており、桜の時期などは観光客とお花見客でとても賑わっています。

毎年7月に行われる八坂神社の祭礼である祇園祭の時には、山車に描かれている左三つ巴と木瓜をとてもよく目にします。

ちなみに京都の人たちは、この祇園祭の間は木瓜と断面が似ているきゅうりを食べないと言うしきたりがあります。神紋と形が似ているきゅうりを食べることは「神様を食べること」と考えられており、そのしきたりの名残が今でも残っています。

日光二荒山神社

三つ巴を神紋としている神社は、京都だけではなく日本中に存在します。世界遺産「日光の社寺」の一つに登録されている、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)もその一つです。

二荒山神社はその文化遺産としての価値ももちろんですが、近年女性の間でパワースポットとしても人気を集めています。

伊勢神宮に次ぐ、広大な敷地を持つ日光二荒山神社は大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)の親子の神様を祀っており、良縁成就や安産祈願、夫婦円満、一家繁栄など、家庭に関するご利益があると言われています。

三つ巴の家紋の種類

三つ巴の家紋は一種類ではありません。私達が三つ巴と聞いて想像するものは、シンプルな左に渦を巻いた三つ巴でしょう。それは「左三つ巴」と呼ばれています。

三つ巴は家紋として使用される中で、オリジナルの三つ巴とは少し違う形にデザインを変えて進化をして来ました。同じ巴を使用していても数の違いで「二つ巴」や「四つ巴」が生まれ、巴模様の尻尾を長くした「尾長三つ巴」なども存在します。先程ご紹介した、宮本武蔵の家紋である「九曜巴」もその一つです。

次は三つ巴の種類に注目してお話ししていきましょう。

右三つ巴

巴模様が右向きに渦巻いて並んでいるものは「右三つ巴」と呼ばれています。

左三つ巴との違いは、平安時代に儀式に用いた太鼓の模様と言われています。右の太鼓には右三つ巴が、左の太鼓には左三つ巴が描かれていました。

右三つ巴も左三つ巴と同じように人気のある家紋で、巴の数や向きで家柄や身分の区別などにも使われたと言われています。

隅切り角に左三つ巴

八角形の枠の中に三つ巴が描かれた家紋を「隅切り角に左三つ巴」と呼びます。

この隅切り角はとても種類が多く、二重に重なったものや少し内側に曲がっているもの、角に模様を施したものなど、様々なものが残っています。昔の日本人の家紋に対する興味の深さが伺えます。

八角の場合は神様にお供えする「折敷」に形が似ていることから、その名前で呼ばれることもあります。

三つ藤巴

日本には2000以上の家紋がありますが、その中でよく使われるのが植物の「藤」を模した家紋です。

この藤紋、見た目も素敵ですがとても歴史が古く、最初に使用したのは、飛鳥時代に絶大な権力を持った藤原氏の祖である「中臣鎌足」だと言われています。その後、藤紋は藤原氏にあやかろうと言った人々の間で広がって行きました。

藤の花は寿命が長く演技が良いとされ、形を変えて「上り藤」「下がり藤」「藤蝶紋」などたくさんの家紋が生まれました。

藤三つ巴もその中で現れたものです。藤の葉っぱを中央に置き、そこを中心として3本の花が渦を巻くように描かれている、迫力のある家紋です。豊臣秀吉に仕えていた黒田官兵衛の家紋として知られています。

三つ巴の家紋の意味

巴の起源ははっきりせず、弓の道具や日本の古代の祭具「勾玉」を図案化したものと言う説があったり人の魂の形状を表したものと言われていました。

その巴が3つ集まったのが三つ巴模様です。3つになったことで水が渦を巻く様子を表しているとされるようになり、平安時代には火災除けの模様として使われるようになりました。

また、後に武運の神として崇められる八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)の神紋として使用されるようになり、このことから多くの武士や武家などが家紋として使用するようになったと言われています。

神社は火災除け、武士たちは武運の願いをこの三つ巴の家紋に込めていたと言うことができるでしょう。

三つ巴の家紋の由来

三つ巴家紋を最初に使用したのは、西園寺実季だと言う記述が残されています。

平安時代、藤原氏の子孫で貴族であった西園寺実季は、自分の牛舎に目印として三つ巴模様を描きました。それが家紋の起源だと言われています。日本の家紋は三つ巴から始まったとするのが通説です。

家紋は日本の文化です

今回は家紋、特に三つ巴の家紋に注目してお話ししました。少し昔の日本人の価値観に触れていただけたでしょうか。

現代では日常生活で見かけることの少なくなった家紋ですが、神社や重要文化財などにはたくさん残されています。次に神社を訪れたときには、少し上を向いて家紋を探してみましょう。家紋からその神社の由来を知ることができるでしょう。

昔の日本人は花や木、水などの自然から発想を得た模様を好み、家紋として大切に使っていました。それは、自然豊かで四季が楽しめる日本ならではの感覚です。現代に生きる私達も、その日本の文化を後に繋げて行きましょう。