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自然の摂理の例・反している例・社会との関係性・メリット

Author nopic icon宮田ふみ
学習 / 2018年04月23日
自然の摂理の例・反している例・社会との関係性・メリット

自然の摂理に反している例とは?

物事を支配することや、自然界を支配する理・法則のことなどを「摂理」といいます。その中でも、どれだけ文明が発達し科学が進歩しようとも、そう簡単には覆らないのが自然の摂理です。

しかし、時に人間は力を尽くして自然の摂理に逆らうことで、それまでは不可能とされてきたことを可能にしてきました。このような自然の摂理に反していることの例には、どのようなものがあるでしょうか。

科学を味方につける不妊治療

避妊をせずに性行為を何度も行っていれば、そのうち子どもを授かるでしょう。しかし、女性でいえば子宮内膜症や排卵障害、また男性でいえば性機能障害や精液性状の低下など、その他さまざまな要因により自然に妊娠することが困難な場合もあります。

このような状態は、一昔前までは単に「不妊症」として捨て置かれ、適切な処置法などが解明されていませんでしたが、現在では不妊治療に取り組むことにより妊娠の可能性を上げることができるようになりました。これは、子供ができないことを自然の摂理だからといって諦めきれなかった多くの夫婦の切実な願いに、科学の進歩が味方した結果といえます。

そのため、自然に妊娠することに比べれば、不妊治療をして妊娠をすることはこれまでの自然の摂理に反しているという人もいます。しかし今後は、不妊治療が人の世の新たな摂理として受け入れられていく見込みが強いでしょう。

人の知恵と科学の産物である医療

不妊治療だけに限らず、そもそも医療とは、自然の摂理に従っているだけでは助からない命を救うためにあるものといえます。つまり医療全般が人の知恵と技術、そして科学の産物である以上は、自然の摂理に反している側面があるのは仕方のないことです。

その最たる例として挙げられるのが、クローン技術です。クローン技術とは、ある個体と同一の遺伝子をもつ個体を作製する技術で、これを用いれば農業や畜産分野などで特定の種を安定的に生産することができます。しかし、倫理面が考慮され、ヒトを作るためのクローン技術の開発は国際的に規制されているのが現状です。

他にも、義足や義眼のように身体の一部を物で補う技術や、機械によって生命活動を維持する脳死など、医療には自然の摂理に反する事象が数えきれないほどあります。事の是非はともかく、それによって生活がしやすくなったり気持ちが救われたりする人がいることは事実です。

聞いて納得!生き物が本能的に行う4つの自然の摂理

自分の意思で行っていると信じていたことでも、実は抗いがたい自然の摂理の力によって動かされているとしたら、どうでしょう。ここからは、生き物の本能的な行動の根拠となっている自然の摂理について紹介していきます。

生殖活動のパートナーを得るための恋愛

生き物にとって、種の保存は大きなテーマです。もちろん人間もそれは同じで、生殖活動のパートナーを得られるように、無意識的に異性との恋愛を望む傾向にあります。

つまり、よく「彼女(彼氏)がほしい」と口にする人や、出会いを求めて合コンなどに積極的に参加している人は、単に恋愛脳というわけではなく自然の摂理に従おうとする意識が強いことが考えられます。

特に男性は、女性を好きになりやすいように遺伝子がプログラムされているため、恋愛感情を抱くスピードが女性よりも早いです。それに対して女性は、どのようにしたら男性に好意をもたれるかということを察知する能力が遺伝子のプログラムに組み込まれています。この絶妙な男女のバランスこそが、恋愛をして種を残そうとする自然の摂理の一部ともいえるでしょう。

より魅力的な遺伝子を求めるがゆえの浮気

実は、種を保存するといっても、それがどんなものでも良いというわけではありません。人間に限らず、生き物は、できるだけ上質な遺伝子を残そうとします。そのために相手を選び、容姿や強さ、知力など、さまざまな面から相手の価値の高さをはかります。

人間の場合、仮に交際している相手がいたとしても、その相手を上回る人物が現れると魅力を感じずにはいられません。価値の高い相手と子供を作った方が優秀な遺伝子を残すことができることを、本能的に知っているからです。

また、同じ相手との間に子供をもうけ続けるより、別の相手とも子供を作った方が、多様な遺伝子を残すことができます。そのため、本能的な面でいえば、ある意味浮気は自然の摂理ともいうことができるでしょう。

しかし、たとえ浮気が自然の摂理に適っているとしても、モラルの面では良しとされない行為であることに変わりはないので注意しましょう。

種を保存するための出産

出産は、まごうかたなき自然の摂理の一つです。種を保存するために必須の行為であると同時に、自分の遺伝子を継ぐものを残すための大切な手段です。

出産の中でも自然分娩は、特に自然の摂理に沿った生殖方法といえるでしょう。医療現場によって自然分娩の定義は異なりますが、大方は、帝王切開はもちろん投薬などによる医療技術の介入をせずに子供を産むことを自然分娩といいます。

一方で、帝王切開や陣痛促進剤などを使った出産方法もあります。現代では母体の調子やさまざまなリスクを考えてこれらの方法で子どもを産むケースも増えており、いくら出産に医療の手が介入しているからといって「自然の摂理に反している」などと非難されるいわれはありません。

どのように授かりどのように産む命であっても、出産はそれ自体が自然の摂理に則った行為であるといえるでしょう。

命のサイクルをまわす食物連鎖

食物連鎖とは、生態系の中における生き物同士の食べる・食べられる関係のことを指します。具体的には、草食動物が植物を食べ、草食動物を肉食動物が食べ、肉食動物の遺骸をバクテリアが分解して土に戻し、そこから育った植物をまた草食動物が食べるというふうに、命のサイクルがまわっていく関係性を意味します。

このようにうまく食べる・食べられる関係性が維持されていくのは究極的な自然の摂理といえるでしょう。それぞれの動物の力関係や寿命、個体差などによってバランスが保たれ、生態系は崩れることなく維持されています。

万が一生態系の一部に異常があれば、食物連鎖のサイクルもあっという間に崩れます。このように自然の摂理とは、人智が介入できない範囲に及ぶ自然現象を指していう場合もあります。

社会における自然の摂理とは?

厳しい自然界の掟や生物的な理とはまた別軸に、人間社会独自の自然の摂理が存在します。そこでここからは、社会的な自然の摂理の例を紹介していきます。

年上が偉い

これは日本社会やアジア圏に限ったことではありますが、社会で生活していく以上は年上を敬う姿勢を示すのが当然とされています。学校でも会社でも、年功序列や長幼の序などの考え方は自然の摂理です。

そのため、年上を敬う気持ちに欠ける人は、自動的に組織の輪からはじかれてしまう傾向にあります。最近では若手社会人に占めるゆとり世代の割合が徐々に増えつつあるため、一昔前に比べると何が何でも年上が偉いという風潮ではなくなってきていますが、まだまだ年功序列の考え方は根強く残っています。

経験が必ずしも真理と結びつくわけではありませんが、これから先もしばらくは年上が優遇される社会的ルールが適用されていくでしょう。

「ダサい」人が淘汰される

容姿もファッションも心意気も仕事ぶりも、残念ながらダサい人は淘汰されるのが社会における自然の摂理です。これは何も自己流を貫くのが悪いというわけではなく、何もかもを流行に合わせていかなければならないという話でもありません。

ただし、見た目も行動も立ち居振る舞いも、その場や状況、一緒にいる相手にふさわしい形に整えるのがマナーとされることが多いのは事実です。レストランでは清潔な身なりで上品に振る舞ったり、職場ではオフィスカジュアルでキビキビと動いたりなど、時と場を弁えて行動するのが洗練された大人であり、それができない人は後ろ指を指されて仲間から外されてしまいます。

社会人として生きていくためには、環境に合わせた身の振り方をする必要があるのは確かでしょう。

自然の摂理に従うとどんなメリットがある?

あえて自然の流れに逆らいながら生きるのも一つの人生ですが、自然の摂理に従って生きることにもメリットはあります。無理をしない生き方をしたい人におすすめです。

精神的な負担が少ない

自然の摂理に身を任せるということは、ある意味本能に身を任せることでもあります。意に沿わないことをあえてせず、大きな流れに身を任せることで、精神的にかかる負担を大幅に減らすことができます。

個人の自由が尊重される時代になってきたとはいえ、世間的にはまだ保守的な考え方をする人が大勢います。「自然の摂理」の定義を曖昧にしたまま何となく神のように畏れ、そこに逆らうことを根拠もなく重罪であるかのように見なす風潮も色濃く残っています。

こういった流れに対抗することでストレスを感じてしまうくらいであれば、自然の摂理に従って物事を深く考えすぎないようにするのも一つの手です。

マジョリティに属すことができる

自然の摂理に逆らうのは良くないことだと考える人が多いということは、つまり、自然の摂理に従ってさえいれば自ずとマジョリティに属することができるということになります。どんなことに関しても少数派よりは多数派が優遇されることを考えれば、これは大きなメリットです。

恋愛に興味を示さないよりは積極的でいた方が、また、子供を欲しがらないよりは欲しがった方が世間の多くの人と意見が合うため、生きやすくなるといえるでしょう。

人間と自然の摂理の絶妙な関係性

人間も動物である以上は、ある程度は自然の摂理に従わなければ生きにくいでしょう。しかし、他の動物とは違い、人間には理性があります。人間として快適に生きるためには、理性と自然の摂理との間にちょうど良いバランスを見つけることが必要です。

たとえば、ご飯にありつこうとしたときに見知らぬ小さな子供が空腹で泣いていたとします。生き物としての自然の摂理に従えば、本能的に空腹を満たすことを重視して構わず食事をするでしょうが、それでは他の動物と同じです。しかし人間ならば、たとえ他人であっても子供に食べ物を譲ろうとする理性を働かせ、それを選ぶことができます。

子供を見捨てて自分が食べれば生存競争には勝つことができますが、人間の特徴である社会性は失われます。「自然の摂理」を盾に全てを本能的に決めるのではなく、理性によって物事を決められる可能性をもっていることが、人間のアイデンティティともいえるでしょう。

理性をもちつつ自然の摂理に沿って生きよう

一言で自然の摂理といっても、その内容はさまざまです。恋愛や出産など、自然の摂理に従った方が良い場面がある一方で、医療などのように、自然の摂理に逆らって人の理性が生み出したものに縋らなければならない場合があるのも事実です。

身も心も軽やかに人間らしく生活をしていくためには、自然の摂理を受け入れる素直さをもちつつも、いざというときには理性が本能に勝るように、自分自身で物事を考えられる芯の強さを身に着けることが大切なのではないでしょうか。

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