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卑怯な人の特徴・心理|卑怯な人への対処法

卑怯な人の意味とは

国語辞典で卑怯者という意味を調べると「勇気がなく、物事に対して正面から取り組もうとしない事」「正々堂々としていない事」などと言った意味が出てきます。
こんな意味を持つ「卑怯者」と呼ばれている人達のイメージは、自信がなくて、生きることに後ろ向きな人達のイメージが浮かび上がります。

私達は自分に対するセルフイメージは常に良いものでありたいと思って生きています。ですが、長い人生つまずく事や、誰かと比較して自分に対して自信をなくしてしまうこともあるでしょう。そんな時に、前向きにその思考の壁を乗り越えて生きていける人と、後ろ向きな考え方に囚われて、そこにとどまってしまう人もいます。

卑怯者とは、後ろ向きな生き方から抜け出せない人とも言えるのではないでしょうか。そんな卑怯な人の特徴や、実体験、対処方法をご紹介します。

卑怯なこと・人の特徴

日本人には、「和を以て尊しとなす」と言う、ことわざがある通り他人と強調して生きていくことはとても尊い事だと教わってきました。事実、地震や災害など起こった時に色んな地方から、ボランティアの人達や、寄付金、物資の支給など助け合って窮地を乗り越えています。これは困っている人を見たら助けたい隣人愛や人間愛からの行為です。

この隣人愛や人間愛は素晴らしいものですが、中にはずる賢く卑怯な人がこの愛を解きながら、人を感情的に縛ってしまう人もいるのです。アメリカの心理学者シーベリーという人が「血縁関係に付け込まれるな」という言葉を残しています。

これは、「愛」という言葉に人間はとても弱い事を表しています。そして、ずるくて卑怯な人は、「あなたのためを思って」など、嫌な事をさせる為に愛のある言葉は有効な手段だと知っているからです。

欲望を正当化するのが卑怯な人の特徴

卑怯な人は「愛」とか「正義」とか、大義名分の下に自分の欲望の正当性を解くことが多いのです。この正当性を説かれることに人間は、ことのほか日本人は弱い傾向にあります。これは日本人が助け合い精神が強いことに原因があります。

自分が誰かの役に立つ事で自分に価値を見出すことができます。それ自体は悪いことではないのですが、度が過ぎた相手の要求を飲んだり、自分を犠牲にしてまで相手を立てたり、そこまでしてしまうのは、相手の自分への評価に依存しているからです。

卑怯な人はそこを敏感に感じ取ります。誰かの評価に依存している状態は誰かに操作されやすい状態にあるということです。自分のしたいことをとるより、誰かから評価される方、誰かに嫌われない方をとってしまうのです。それは自分の心を押し殺しているのと同じ状態です。

卑怯な人との距離感を見極める事が大事

自分の従順が誰かを癒しているということはとても怖いことです。どんな人でも必ず自分の意思があり、自分の感情があります。それを認めてもらえない人生はどんなに悲しいことでしょうか。どんなに憎しみに満ちることでしょう。

卑怯な人は心の不安や欲求不満を多く抱えて生きています。そのはけ口があなたの従順だったら、あなたの正常な反抗は「生意気!」と言って打ち消されてしまう事もあるでしょう。卑怯な人は狡猾に人間を思い通りに動かすことで自己効力感を得ている人だといえます。

あなたが素直で従順なタイプならば卑怯者とは適切な距離感で接することをお薦めします。人間として適切な心理的成長をするためにです。

卑怯な人の行動

自己正当化に長けている

卑怯な人は口がうまくて周囲を丸め込める力があります。どんなに卑怯なことをしても大丈夫だと少しばかり慢心しています。そして、自己正当化をすることはお手のものなので、周囲を自分の思い通りに動かします。

表面と裏の顔が違い過ぎる

ペルソナと言って人間は誰でも社会的な表の顔とプライベートな内なる顔を使い分けて人間関係を保っています。普通の人は基本的な考え方は同じなのでそれほど大きく差はないものです。ですが、卑怯な人は外と内との差が激しいので、うっかり信頼してしまわないように注意してください。秘密を打ち明ける相手には向いていません。

自分の欲望に忠実

卑怯な人は恐ろしいほど自分の欲望に忠実です。誰かを自分の欲望のために陥れる事など何とも思っていません。自分がいい思いをするために誰かが犠牲になることに躊躇しません。

幼児的願望を持ち合わせている

そもそも卑怯な人は幼児的願望が満たされていません。人を思いやれるだけの経験がないので、他人を思いやるよりも他人に母の様に甘えたいと思います。母なる願望を他人がかなえるのは到底無理な感情ということを理解しません。卑怯なことをしても許す人もいれば、許さない人もいる。無償の愛情を他人が施してくれることは、まずないのです。

理想と現実の埋め合わせをしない

他人からちやほやされたい。その心理から可哀想な人を演じてみたり、自慢話をしてみたり、
理想と現実のギャップの埋め合わせをしなかったり。他人からの称賛を求める割に自分に対して努力をしない傾向にあります。そのかわり下方比較の相手にどっぷり依存して過ごしている事が多いです。

実際にあった卑怯なこと

メール無視

事例として北海道で起こったある女子中学生の話をご紹介します。

仲の良かった友達がその子の悪口を言った事が発端で、仲間はずれが始まりました。母親が子供の様子がおかしい事から、調査団にイジメ調査の依頼をしましたが、その調査中に事件は起こりました。

母親のもとに学校から午後の授業に出ていないという連絡があり、その後、彼女は無事に帰宅しましたが、全く生気がなく魂が抜けた様でした。

彼女は玄関からそのままベランダに向かって歩んでいくのを、慌てて止めに入り、我に返った本人と母親はその場で座り込み泣き崩れました。

自殺未遂は一番主張の強いリーダー格の女子生徒に「そろそろ気が付けよ!お前うざいんだよ!」と言って突き飛ばされた事が原因でした。彼女が何よりもショックだと感じたことは、彼女が親友だと思っていた人が卑怯なことに、このいじめの傍観者であった事です。

テロ

この卑怯なアメリカ同時多発テロ事件は2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した航空機を用いたを用いた4っつのテロ事件の総称です。場所はニューヨーク・アーリントン・シャンクスビルで起こりました。標的になったのは、ワールドトレードセンターの北棟と南棟、ペンタゴン、ワシントンD.C.、第4の標的は不明。アルカイダは合衆国議事堂が第四の標的だったと主張しています。

この事件で3025人の死亡者と6291人の負傷者が出ました。容疑者は、モハメド・アタをはじめとするアルカイダの一味です。航空機が使用された史上大規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えました。その後アメリカ軍は報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を勃発させました。

この様に国と国との抗争によるテロ事件はまだまだ後を絶ちません。多くの人の犠牲を伴うばかりか、報復行動として、戦争にまでつながる恐れもあります。ひとたび戦争が起これば沢山の人々が死に、たくさんの子供が家と家族を失い、戦争が終わってあとに残されたものと言えば、ただの瓦礫と虚無感しかありません。

誰かが快く生きるために「犠牲は付きもの」と言った卑怯な世の中であってはならないのです。

匿名性

名古屋で起こったネットでの匿名性から起こった凶悪犯罪をご紹介いたします。事件はお互いに本名を名乗らない闇の匿名サイトから起こりました。

事件の首謀者達は、3人のいずれも30代〜40代の男性です。インターネットの通称「闇の職業安定所」と呼ばれる携帯電話の匿名サイトでの犯行でした。この三人は犯行のわずか一週間前に知り合って、互いに本名を名乗らず、ネットでの偽名で呼び合って犯行に及びました。

事件の全貌はこのようなものでした。名古屋で通りすがりの女性を拉致し、金品を奪い、2時間後には殺害し岐阜県山中に死体を遺棄しました。

今回の事件は容疑者の一人が警察に通報したことで発覚しましたが、通報がなければ犯人が誰だか特定するまでにかなりの時間がかかった事と思われます。ネットでの匿名性は自分が誰だか相手に伝わらない分、卑怯な反社会的勢力にも利用されやすいのです。

この事件をきっかけにを業者には通信記録の保存を義務付けるなどの、対策を掲げてきました。ですが、まだまだ匿名性から起こる事件は後を絶ちません。今後もこういった事件が起こらないように対策を考えていかなくてはならないでしょう。

参考資料:中日新聞 
2007年8月29日「女性拉致殺害 凶悪犯罪招いた匿名性」より

毒親

「毒親」という言葉は聞いたことはありますか?子供の精神を支配してしまう親のことです。心の隙間をこどもの服従心で埋め合わせてしまう親のことです。子供は一人でも生きていけるように自立しなければいけません。

ですが、毒親と呼ばれる人は子供へ与える効力感がなくなってしまうことを恐れて子供の自立を阻みます。子と親という関係性を笠に着て、「支配と服従」の関係性を築くことが何よりも卑怯なことではないでしょうか。

ミュンヒ・ハウゼンヒ症候群

ミュンヒ・ハウゼンヒ症候群は、他人からの賞賛欲求が欲しいために自分の子供を病気にしてしまう事で知られています。

子供が病気になった時に献身的に看病する事で、周囲がけなげで可哀想と注目してくれます。その満足感を得たい母親が、病気が治って健康体になった子供の点滴にバクテリアを混ぜたり、飲食物に毒を混ぜたりして、再度病気に仕立て上げて注目を集めようとする行為です。

世界各国で問題になっていて、日本でも児童虐待の現場では取りざたされています。
育児とはとても大変な仕事です。しかも当たり前だとして賞賛されることも少ないでしょう。

ですが、病気にされてしまう子供のことを思うと胸が痛みます。助けを求めることもできずに、信頼するべき母親が自分の命をおもちゃにしてしまう子供の気持ちはいかなるものでしょうか。

母親の心の隙間というものは、周囲に多大なる影響を及ぼすのだと、改めて実感します。そして現代社会の助けを求めるべき縁の希薄さを深く考えさせられるばかりです。

卑怯な人の対処方法

長い人生の中でたくさんのいろんな考え方の人に出会うと思います。卑怯な人にも必ず出会ってしまうことでしょう。そんな時に卑怯な人に振り回されず、自分の感情を余裕を持って、対処できたならどんなに人間関係の幅が広がるでしょうか。そんな豊かな人生を楽しむために卑怯な人への対処方法をご紹介します。

卑怯なことの露見をする

卑怯な人の代表格「モラルハラスメント」をする人は、悪事を露見させることを嫌います。相手の顔色を見て「私は告げ口しません」なんて態度は何の解決にもなりません。相手の心理的な成長のためにも露見する事は大事なのです。

感情的にならず確認をする

相手の卑怯な発言や行動に対して、「今なんて言いました?」と本人の口で再度発言してもらうように尋ね返し、その人がもう一度卑怯な発言や行動に出たらメモに取ります。そして、本人に「こう言いましたね」と確認をとります。恥ずかしいかもしれませんが記録と確認をする事はとても有効なのです。

その場やその人から離れる

卑怯なことをする人は案外、幼児的願望が満たされていない人が多くみられます。それらの願望は本来、幼児期に母親との関係で無償の愛を体験することで満たされます。ですが、幼児的願望を、親に満たしてもらえなかった人は、その願望を優しくて弱い人にぶつける傾向があるのです。

その人の精神は依存と敵意でできています。ですから、手に負えないと思ったら離れることです。「欲望が欲望に欲望にする」というくらい絶対的な愛に渇望しているのです。そして、無理な愛情欲求に応えてもらえないことに、卑怯にも激しい憎しみを抱きます。憎まれたくなかったらかかわらないことです。

適度な距離感を保つ

嫉妬深い人や卑怯な人は、他人との精神的距離感が適切に取れない人とも言えます。依存傾向にあるため、常に他人が自分の人生に影響を及ぼしています。そして、他人を操作しなければ心地よい自分でいられないために、人間関係がドロドロします。

この手のタイプの人は高いセルフイメージを保つために、身近な人を引きずり下ろします。そうすることで嫉妬心の緩和を図るのです。相手が適度な距離を取らないなら自分から適度な距離をとるしかありません。

ピンチはチャンスの精神で乗り切ろう!

卑怯な人は、他人とのコミュニケーションに失敗している人ともいえます。度重なる対人関係の失敗で卑怯なことをする人間になってしまったという人もいます。

自立とは、経済的にも精神的にも自分のために生きていく事が出来る状態や他人が自分の為に生きていく事を許せる心理状態を言います。ですが卑怯な人は相手の自立を喜びません。相手を無力化して自分の意のままに取り込もうとするのです。

卑怯な人はどんな場所にも存在し、様々な場面で出会うことがあります。卑怯な人に出逢ってピンチに陥っても、その時に感じた色んなエネルギーを無駄にしないで自分が行動する動機の一つとして考えてみると、きっと人生の幅が広がります。人間にはそれができる力があるのです。

「ピンチはチャンス!」という言葉をよく聞きますが物は考えようです。ピンチな人生をピンチと思わず生きて行ける人は素敵な人だと思います。視野を広げて実りある人生を是非とも送りたいものですね。

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