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平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

Author nopic icon伽羅
メイク・コスメ / 2017年10月06日
平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

平安美人という言葉を聞いて、どのようなイメージをもたれるのでしょうか。色白のはんなりとしたイメージを持たれる人もいれば、頬のふっくらとしたぽっちゃりとした雰囲気を思い浮かべる人もいることでしょう。そして、良いイメージを持つ人もいれば、あまり良いイメージを持たない人もいることでしょう。

平安美人という言葉は、どのような時につかう言葉なのでしょうか。普段の生活の中でつかうことはあっても、あまり深く考えずにつかっていることが多いのではないでしょうか。

平安美人とは、そもそもどういう顔だちをさすのでしょうか。なんとなく知ってはいても、実際にはこうだということまでは考えたことはないという人もいることでしょう。そして、平安美人という言葉は、本当にほめ言葉なのでしょうか。

平安美人の顔の特徴

平安美人の顔だちといわれると、思い浮かぶイメージはだいたい共通して、色白な肌に切れ長の目という感じなのではないでしょうか。現代の美人といわれる顔だちとは違うイメージを持つ人が多いでしょう。

平安美人の顔だち

平安美人の特徴はいろいろありますが、まずは顔だちについてみていきましょう。

まず、肌についてですが、色白できめ細やかな肌が良いとされていました。そして、しもぶくれで柔らかそうな、ぽっちゃりとした頬が好まれていました。目は、切れ長の方が好まれていて、当時の女性は眉は全て抜き、引き眉にしていたとされています。

鼻は、小さくても筋の通った形の良い鼻が好まれていたとあり、口は小さめの方が良いともされていました。そして、なんといっても、長くて艶のある黒髪。これらが、平安美人の特徴とされています。

平安美人は教養も大切

平安美人の顔だちは、色白でふくよかな頬、切れ長の目、小さくても形の良い鼻や口、といったところですが、美人といわれるには、他にも大切な要素があったとされています。

当時の女性は、家族以外に姿を見せることはなく、他の人とは御簾ごしに会話をしていたため、きれいな声であることも大切なことでした。家族以外に姿を見せないということで、容姿以外にも内面も重要視され、和歌を詠むことの巧みさや会話の巧みさなど、教養もしっかりと身につけていること、しかも、その教養をひけらかさない奥ゆかしさ、といったようなことも平安美人には大切なことであったとされています。

世界三大美女の1人に数えられている小野小町も、容姿の美しさはもちろんのこと、和歌をよむことや筆跡の美しさなどの教養の高さも魅力のうちだったのではないかといわれています。

平安美人の化粧

平安時代は、現代のように電灯はなかったので、夜は真っ暗な中でお互いの顔を見なくてはなりませんでした。そのため、女性は顔におしろいを塗っていました。しかし、これは現代のように健康を考えて作られたものではなく、水銀や鉛など有害なものも多く含まれていたとされています。

そして、暗い中で会う人のために、顔をより白く塗る必要があったため、何度も何度も重ね塗りし、相当な厚さに塗っていたと考えられています。ですから、あまり笑うとおしろいがひびわれて剥がれ落ちてしまうようなことがあるので、笑うことは避けたり、扇で顔を隠すようなことが必要であったのではないかとされています。

眉はすべて抜いてしまって引き眉にし、眉と眉との間はなるべくはなして描く方が良いとされていました。口元には、朱色に近いような赤が好まれていたようです。

平安美人は実際美人?ブス?

平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

平安美人の特徴は、・色白の肌・切れ長の目・長くて艶のある黒髪、などがあげられます。見た目以外にも教養の高さも重要な要素であるともされています。

では、平安美人といわれる人たちは、現代の私たちが実際に見たとして、やはり「美人だな」と感じるのでしょうか?または、美人というのとは違うなと感じるのでしょうか?

時代によって変わる美人の基準

平安美人といわれる人たちの容姿の特徴としては、ふっくらとした頬・切れ長の目・うりざね顔(卵型)、などがあげられます。それらは、現存している平安絵巻などでも見ることができます。

現代の美人とされる人たちの容姿の特徴は、ぱっちりと大きな目・高い鼻・小顔、などというところでしょうか。平安美人の特徴とは違うところがあるのがわかります。

しかし、肌がきれいなことや卵型の輪郭などは、現代の女性でも「いいな」といわれるものです。そして、平安美人たちもまた、現代の女性たちと同じように、加齢による容姿の変化を気にしていたともされています。

平安美人は、今の時代の美人とされる人たちとは違う点もありますが、それは、時代によって求められる女性像の違いから生じるものではないでしょうか。

暗闇の中で顔を合わせなくてはならなかったり、自分で動くことははしたないとされるので運動不足気味だった平安美人たちと現代の女性たちとでは、女性として生きるための背景が違います。平安美人は美人なのかそうでないのかというよりは、平安美人は現代の美人とは違うところもあるということでしょう。

平安美人は褒め言葉?

平安美人は美人?ブス?平安美人の顔の特徴・平安美人は褒め言葉?

「あなたって、平安美人ですね」そういう言葉をかけられたとき、素直に喜んでいいものかどうかわからないこともあるでしょう。平安美人とされる基準と現代の美人の基準との違いを考えると、ほめ言葉としてとらえていいのかどうかわからない、というのがその理由ではないでしょうか。

では、「平安美人ですね」という言葉を誰かにかけるとき、どういう気持ちでかけるのでしょうか?言われた方は、どうとらえればいいのでしょうか。

ほめてもけなしてもいない

「平安美人ですね」といわれて、複雑な気持ちになるのは、平安絵巻に描かれている人のような姿を思い浮かべるからはないでしょうか。色白でふっくらとした頬、切れ長の目、離れた眉毛などは、現代の美人とされている姿とは違います。しかし、平安美人という言葉を誰かにかけるとき、それらのイメージだけで言葉を発するでしょうか?

平安美人という言葉を思い浮かべるとき、確かに平安絵巻に描かれているような人たちの姿を思い浮かべます。しかし、それだけではなく、そこに描かれている人たちの上品そうな貴族的な雰囲気も頭に浮かんできます。きめ細やかなきれいな肌につややかな黒髪、小さいな目鼻立ち、そして上品そうな雰囲気、それらを合わせて「平安美人」という表現になるのではないでしょうか。

平安絵巻に描かれている人の姿というだけでは、確かに複雑な気持ちにもなるでしょうが、そこに貴族的な上品な雰囲気というものが含まれていると考えるだけで、とらえ方も変わってきます。本当は、ただ平安美人という印象を受けたからそういう言葉を言っただけで深い意味はないことの方がほとんどでしょう。

歴史上の平安美人と言われている人たちの紹介

歴史上に存在した平安美人といわれた女性たちを紹介します。平安時代の女性たちは、家族以外の人前に姿を見せるのをはしたないとされていたため、その姿をはっきりと知るようなものはほとんど残されていません。

しかし、和歌を詠むのが非常にうまかったり、機転のきくことがうかがい知れるエピソードなど、単に容姿が優れている女性ということだけではなかった、ということがわかるものもあります。

平安美人といわれていた女性たち、どのような人たちだったのでしょうか。

小野小町

世界三大美女の1人にも数えられるほどの女性です。しかし、姿がはっきりとわかるようなものは残されておらず、描かれている肖像画も後姿のものが多いといわれています。謎なのは姿かたちばかりでなく、生没年も生誕の地、亡くなった場所もはっきりしていません。お墓は、日本全国に十か所ほど「ここではないか?」と言われている場所があるほどです。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

小野小町の詠んだ和歌の1つで、百人一首にもおさめられています。このように小野小町は、非常に和歌を詠むのが巧みで、六歌仙の1人に数えられていました。今の時代にも、小野小町が詠んだとされる和歌はたくさん残っています。

このようなことから、小野小町は容姿だけでなく、その和歌を詠む巧みさ、教養の高さから、平安美人と称されたのではないか、とされています。

和泉式部

当時、ものすごくモテモテで「浮かれ女」とまでいわれていた和泉式部。現代なら「小悪魔系」というところでしょうか。和泉式部も、やはり生没年や生没の地、容姿などははっきりとわかりませんが、それでも恋のエピソードは数多く残されています。

「あらざらむ この世のほかの 思ひでに 今ひとたびの 逢ふこともがな」

和泉式部が詠んだ和歌の1つで、百人一首におさめられています。和泉式部も和歌を詠むのが非常に巧みで、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の1人に数えられています。夫と別れたり、皇族の男性2人に熱をあげられたり、波乱に満ちた日々でしたが、和歌の才能や教養の高さから、藤原道長に認められ、道長の娘の女房として仕えることになります。

和泉式部もまた、容姿だけでなく教養の高さや和歌の巧みさから、平安美人とよばれ、たくさんの人に愛されてきたのでしょう。

常盤御前

源義経(牛若丸)の母である常盤御前は絶世の美女といわれていました。近衛天皇のもとに嫁ぐ九条院に使える女房を募集した際、1000人の応募があり、常盤御前もそのうちの1人でした。

美女の女房がいる、というのは当時の貴族たちにとっては一種のステータスであり、常盤御前はその1000人の中から選ばれた美女の女房だったのです。1000人の中から選ばれるほどの美女でしたが、身分が低かったため、それまではあまり目立たない存在でした。

その後、常盤御前は源義朝の側室となり3人の子どもを産みますが、平治の乱で敗れ、源義朝一族は平氏によって殺されます。常盤御前は子どもの命を助けるため、平清盛に嘆願します。平清盛は、その願いをきくかわりに常盤御前を側室にした、といわれています。

この時の平清盛の選択が、後の平家の滅亡につながったのではないか、といわれています。常盤御前の持ち前の美貌で自分の身は助かったけれど、そのことが平家が滅ぶきっかけとなったからです。

平安美人は外見も内面も優れた女性

平安美人とは、単に見た目の美しさということではなく、高い教養や教養をひけらかさない奥ゆかしさなど、内面の美しさも含めての美人を指す言葉だということでした。

当時は、お互いに顔を合わせる前の会話や和歌を詠みあうことも、とても大切な恋の駆け引きでしたから、そこで女性の人柄を知ることができる、ということもあったのでしょう。

平安美人といわれると、「現代にそぐわないということなのかな」と少し心配になることもあるでしょうが、平安美人というのは外見だけでなく、教養の高さや気品のある雰囲気など、内面からくるものも含めての美しさである、ということなので、自信を持って対応しましょう。

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