感性とは
物事を感覚で受け止める事
例えば、曖昧な表現で書かれた歌詞に共感した事はありませんか? 抽象的な絵を見て、タイトルを見て、なんとなくどういった事を描いているのか理解したり、他人の表情の変化でその心中を察したり、そういった明確な正解がわからない事に対して理解しようとする感覚です。
つまり「なんだかよくわからないけれど、なんとなく解った!」という感覚が感性です。なんとなく解っていただけたでしょうか?
感性を発揮している時
絵を見るとき
人物や風景などから感情を読み取りやすい絵はもちろん、静物画の配置や色使いなどからもそういったものを読み取る事ができます。そういった感性が豊かな人の中には、ただ色が塗られているだけに見える抽象画にも感情に訴える何かを感じ取ることができる人もいるのです。また絵だけに限らず彫刻や造形などの芸術作品を見て、その意味を汲み取ろうとする時に感性が発揮されます。
音楽を聴くとき
4分33秒を作曲したジョン・ケージはある日、無響室に入りました。しかしそこにも「音」があったのです。それは自分の体内の音でした。そこで彼は「私が死ぬまで音はあるし、私が死んでも音はある」と悟ったのです。無音に音楽を感じ取るとは、さすが作曲家の感性です。
物語に触れるとき
現実の出来事を元にしたノンフィクションや、現実に似ているけれど作り話のフィクション。そして全く現実とは似ても似つかないファンタジーなど様々な物語がありますが、それらを読んで「楽しいな」「面白いな」と思うのも感性ですし、「つまらないな」「私には合わないな」と感じるのもまた感性です。
どの物語を楽しいと感じるかは、感性の違いというだけで、正しいとか間違っているとかではなく、良い悪いというものではありません。ましてや優劣なんてありません。
楽しいと感じた物語も、つまらないと感じた物語も大切にしましょう。
自然に触れるとき
日常生活でも、暑い日にふとそよいだ風の涼しさや、秋になって色づく紅葉の美しさ、冬の寒い帰り道を帰る心細さや、春に咲いて散っていく桜の儚さなどに心を動かされる時などに感性が働いているのです。感性を大切にしているアーティストや作家たちは、こういった何気ない日常にある自然の変化も注意深く見ているのでしょう。
食べるとき
アレルギーや病気などで食事に制限がある場合ではなくても、好き嫌いがある人も多いでしょう。その好き嫌いが感性です。好きな食べ物を一口食べるとテンションが上がったり、苦手な食べ物を食べてテンションが下がるのは感性が働いています。偏食は問題ですが、一つ二つ程度のどうしても食べたくない嫌いな食べ物があるのも、感性の違いと考えれば仕方のない事でしょう。自分が美味しいと思うものを、美味しく食べられる事が一番なのです。
匂いを嗅ぐとき
人に限らず動物は、自分に危険が及ぶような匂いを「悪臭」と感じます。草食動物にとっての肉食動物の匂いがそうであるように、人間もガスの匂いや石油の匂いを「臭い」と感じる人がほとんどでしょう。けれどそんな本能で感じ取る危険な匂いだけでなく、感性で感じ取る「好きな匂い」と「苦手な匂い」もあります。匂いもまた、音楽や物語のように心に作用します。心が落ち着く匂い、元気が出る匂いなど、アロマオイルやお香を炊いて心を上手く調節している人もいるでしょう。
そんな匂いに敏感な人がその感性を活かすと「料理人」になったり、香水やお香を作る「調香師」として活躍しています。
他者とコミュニケーションを取るとき
「他者」というのは人間だけにとどまりません。動物や植物を理解しようとしている人もいるでしょう。自然現象や歴史などの漠然としたもを学問や研究によって理解を深めようとする人もいます。またそれらから受け取った自分の心の動きを音楽や物語で表現しようとしている人もいます。
五感をフルに活用して受け止めたときに生じる心の動きが、感性なのです。
感性が豊か・感性的な人の特徴
感性的とは?
例えば物事に対して「なんだかよくわかんないけれど、なんとなく解った」と回答する時が感性で受け止めていて、「OK全部理解した。つまり○○って事だね」と回答できる時が理性で受け止めたという事なのです。なんとなく解っていただけましたか? それとも「つまり○○って事だね」と思っていただけましたか?
感性的と同じく、理性的の反対語として使われる言葉には「感情的」という言葉がありますが、それは後ほど紹介いたします。
感性的な人の特徴
そして想像力があふれて、こぼれそうになると今度は創造する事に向かいます。心に思い浮かんだイメージを誰かに物語にしたり、絵にしたり、音楽で表現したりします。ファッションで表現しようとしたり、料理で表現しようとする人もいるでしょう。なので、芸術家タイプの人には感性的な人が多いのです。
感性的と感情的の違い
理性的・感性的・感情的
では感情的はどういうものかとというと、物事を「感情で受け止めて、理解しない事」となります。例えば極端な話をします。「ここに猫がいます」と言った時に、理性的な人は「いや、いないじゃん」と思った後、「例え話なんだな」と理解して、次の言葉を静かに待ちます。感性的な人は、想像の中で猫が見えていますので「黒猫かな? 三毛猫かな?」という事が気になり、次の言葉をわくわくと待つでしょう。しかし感情的な人は「私は猫が嫌いなんだから、猫の話なんてしないで!」と突然怒り出したり、「去年死んだ猫を思い出した」と言って泣き出したりして、なかなか次の話に進まないのです。
理性的と感性的は「性質」を表す言葉ですが、感情的は「精神」を表す言葉になります。
感性的な人は感情的なのか
例えば、世界で有名な画家の一人「ゴッホ」も、小さな頃から癇癪を起こしては大人たちを困らせていました。大人になってからもこの癇癪で周りの仲間とたびたび衝突して、最終的に孤立してしまいました。また、音が聞こえない音楽家「ベートーベン」も感情の起伏が激しい人だったと言われています。親切で無邪気に振舞う反面、カッとなると身近なものを投げつけてくる事がよくありました。
感性が豊かな人はこのように「ちょっと扱いづらい人」なのでしょうか。
感情的とは
もちろん感情が豊かで喜怒哀楽を素直に表現する事は、けっして悪い事ではありません。しかしあまりに感情に振り回されてコントロールしきれずに、周囲の迷惑にさえなってしまっているという場合は「精神的に未熟である」と言わざるを得ないでしょう。
これは体の成長に心の成長が追いついていない、幼児期にある「イヤイヤ期」や思春期の「反抗期」を迎えている子どもと同じなのです。
芸術家に感情的な人が多いのは、感性を研ぎ澄ませるために、純粋な子どものままの心でいようとしているからなのでしょう。
芸術家はみんな感情的?
ベートーベンと同じ時代に活躍した「ドイツ歌曲の王」、シューベルトも小さい頃から明るくて人に優しい性格で、周囲の人に慕われていました。なので感性の豊かさと性格の善し悪しは、切り離して考えなければいけません。芸術家には「作風そのままな性格の人」もいれば「作風とは正反対の性格の人」もいるのは当たり前なのです。
ルノワールは暖かそうな光あふれる作風そのままの穏やかな人ですが、明るくて優しい性格のシューベルトは「魔王」や「死と乙女」など名前からしておどろおどろしい曲も作曲しています。
感性とセンスの違い
センスとは
音楽を聴く人が全員音楽を作れるわけではないですし、漫画をよく読むからといってみんなが漫画を書けるわけではありません。しかし優れた音楽家は人より多く音楽を聴きますし、漫画家は他の漫画もよく読んでいるものなのです。
センスがある人の特徴
「センスがある」と言われる人は、オシャレな服を着ている人だけではありません。仕事上で言われる事もありますし、会話している中でも「センスのある言葉選び」と言われる事もあります。
それらの人の共通している事は、どうすれば良く見えるのか分かっている事です。ファッションセンスが良い人は、全員がスタイルが良いわけではありません。自分の強みとコンプレックスを熟知していて、体型が悪い所は上手く隠し、良いところはより良く見せる事ができます。それは仕事上でも言えることで、観察力と判断力があり、納期や仕事量を調整できる人が「仕事センスがある」と言われます。言葉のセンスが良いと言われる人も効果的な言葉の使い方が分かっているのです。
センスは感性的? それとも理性的?
感性はものごとに実際に触れて「磨く」ことしかできませんが、センスは書籍からでも「学ぶ」ことができます。まずは作法やマナーを知る事から始まり、現在の流行を研究して、自分なりに落とし込む事で、誰でもセンスを高めることができるのです。
つまりセンスは頭で理解をする理性的なものと言えます。
感性が豊かかテストできる診断はあるのか?
感性を測ることはできるの?
色々な写真やイラストを見てどういう風に感じるかを答えていくもので、不機嫌そうな女性の写真を見て「嫉妬をしている」「焦っている」という項目から選んだり、同じものを違う角度から描いた絵を見て「○○という題名にはどちらが相応しいのか」と選んだりします。けれどこれで解る感性は「コミュニケーションに対する感性」や「イラストや写真に関する感性」というように、ほんの一部分だけです。学力のテストに教科があるように、感性も様々な分野で診断することが必要です。
コミュニケーション感性を測るEQ
ネット上でもよくある「性格診断」とよく似ている部分もよくあり、被験者が自分を良く見せようと答えを正直に言わない問題も指摘されています。それから何を「一般的」とするかは国の文化によって違う事もあるので、日本人にとってよくある傾向でも他国の研究者の作った項目では「偏っている」と出てしまう場合もあります。
このように感性に関する判断は専門家でも難しい事が伺えます。
感性が強すぎる人
元々「シャイ」とか「内向的」、「○○恐怖症」と少しネガティブな言葉で表現される人々をポジティブな言葉で表せるということで少しずつ広まっています。音や匂い、光の強弱などの感覚に鋭く、他者の表情や空気を読むことが得意。「なんとなく解る」事ができるので人より理解する速度が早い。空想が好きなどHSPの診断結果が高い人は感性がとても豊かと言い換えることもできます。
ただHSPは感性が強すぎるので、周りの全てから刺激を受けてしまい、体力的にもメンタル的にも疲れやすいという特徴があります。感性が強すぎるのも大変ですね。
感性が豊かかチェックしてみましょう
好きなものが多い
感性が豊かな人は、「これは好き、これは嫌い」とハッキリしている場合が多いです。
受け取ったものを理屈ではなく、心で感じているので、よりダイレクトに「好き・嫌い」が表れます。また、心がポジティブに刺激されるのを好むので、より多くの物事に触れようとするのです。その結果、元々専門としているジャンルや趣味として持っているジャンルだけではなく、全く違うジャンルの事も多少なりとも知っているという状態になります。
ラッキーが多い
他にも、SNSを眺めていて「今はこんな事が流行ってるのか」「数年後には評価されてそうだな」と感じて、関連会社の株の銘柄を買って大当たり! という事もよく聞く話ですね。「なんとなく、こっちの道は嫌な予感がする」と思い回り道したら、嫌な予感がした方で事故があったというオカルトめいた話も、何故そう思ったかは本人は説明できないけれど、微妙な変化を感じ取っていたのかもしれません。
考察や推理が得意
そういった考察が得意な人も、感性が豊かなのです。ちょっとした情報でも敏感に察知して想像を膨らませる事ができます。推理ものを見ていると画面のちょっとした違和感に気づいて探偵役より早くトリックを見破る事ができたり、犯人が解ったりする人もまた感性が豊かと言えます。
中にはトリック云々のまえに、役者の演技で気づくという人もいるでしょう。
共感力が高い
また「なぜその感情になっているのか」を察する事も得意です。なんだかちょっと不機嫌そうな人がいて、その人がちょっと汗を拭ったら「ああ、暑いのか」という風にその人の不機嫌の理由を察してエアコンの温度を少し下げてあげるといったように、先回りして人に配慮する適切な行動を取ることもできます。
こういった事が出来る人は、人に対する感性がとても豊かであると言えるでしょう。
感性の上手な使い方
感性は一人一人違う「受け取り方」のなので、「上手」「下手」というものではないのです。でも「この人は日常から自分の感性を上手く使ってるんだな」「センスいいな」と感じる人はいませんか? その人は「感性の発信者」なのです。感性の発信者というと、なにか特別な存在のような気がしてきますが、そうではありません。現代では携帯電話やスマートフォンにカメラがついていて、ネット上ではSNSが普及しているので誰でも感性の発信者となれるのです。
レストランで食べた食事が美味しいと感じて、パチリと撮った写真をSNSに上げたら、みんなから「おいしそう!」とコメントをもらったり、「いいね!」を押してもらった事はありませんか?自分が感じ取ったものを伝える時にはセンスも必要ですが、センスはコツを知ることで高める事ができます。
視覚
このように視覚効果を狙った撮り方をすれば、より自分が感じたものを効果的に伝えることができるのです。もちろん、絵が得意な人はイラストを使ってこのように表現するでしょう。
言葉
その時に必要なのが、自分の五感で感じたことを書くのです。「視覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「嗅覚」のうち、伝えたい情報が味覚なら、他の四つの情報を文章にすると、読者に味を想像してもらえます。例えば「外はカリカリ、中はふわふわ。ナイフで切ったらアツアツの鉄板にとろけたチーズがじゅうじゅうと出てきて、ハーブを使った特性ソースの香りが広がりました」と書いた文章があったら、「おいしそう」と共感してくれる人もより多いでしょう。
聴覚
それは音楽でも一緒で、クラシック音楽には「風の音」や「乙女の泣き声」などを表現した音があります。ベートーベンの「運命」のあの印象的な音は「運命が扉を叩いている音」です。もちろん、運命が扉を叩く音なんて誰も聞いた事なんてありません。ましてやベートーベンは聴覚障害者です。けれど、あの「ジャジャジャーン」という音を聞くと、多くの人がドキドキするような、ちょっと怖いような、これから起こるだろう「何か」を感じます。その心の動きこそが、ベートーベンが伝えたかった「何か」なのです。
嗅覚
好きな食べ物の匂いを嗅げば「お腹すいたなぁ」「食べたいなぁ」と思うものですし、臭いにおいを嗅いだら「不愉快」「危険」と反応します。花の匂いや空気の匂いに懐かしい思い出を呼び起こす人も多いでしょう。それを利用して「リラックスする」「元気が出る」効果を出すのがアロマやお香にあたります。アロマテラピーなどを活用している女性も多いのではないのでしょうか。
日本にも古来から「香道」というものがあります。和歌や古典文学をテーマとしたお香を作り、それをみんなで嗅ぎ合うというなんとも風流なものです。香道では「嗅ぐ」という表現は無粋とされ「香りを聞く」と表現します。まるで音楽のように匂いを楽しんでいるのです。
味覚
肯定的に使われる場合、素材の味だけでなくこういうプラスアルファを感じると、料理を作った人の想いも感じられる気がしてくるでしょう。「料理は愛情」と言われるのは、こういった理由からなのです。
触覚
それでも、まったく無いわけではありません。たとえば本物そっくりのぬいぐるみを作る職人は本物そっくりの毛並みを追求するでしょう。それで動物好きの人はぬいぐるみを撫でたり抱きしめることで、実際の動物をそうするような疑似体験ができます。またミヒャエル・エンデ作の「はてしない物語」では、本の表紙の装丁にこだわっています。作中に出てくる本を再現していて、主人公が本を手にとった感触がそのまま読者にも伝わります。それがあたかも物語の中にでてくる本がこれなのだという演出となっているのです。
感性を活かす仕事・感性豊かな人に向いてる職業
アーティスト
自分が作ったものを他人に買ってもらうわけですから、芸術的なセンスの他に商売的なセンスも必要でしょう。なので芸術家はお金持ちの人にスポンサーになってもらったり、組合的なものに入って売買のサポートをしてもらっています。現在の日本にはそういった芸術家に対する支援が少ないと言われていますが、江戸時代や戦国時代では大商人がお抱えの芸術家を雇ってお店の宣伝に使っていました。武士も美術品がそのまま部下への恩賞として機能していたのです。
クリエイター
アーティストは自分の感性を表現しますが、クリエイターは依頼主の感性を、依頼主に代わって表現します。なのでより繊細に他人の気持ちが解る人に向いていると言えるでしょう。デザイナーやイラストレーターがそれに当たります。商業小説家や商業漫画家も「出版社の利益になるように売れる本を書く」ので、クリエイターと言えます。歌手や音楽家もプロとしてやっていくにはそう言った面が多々あります。芸術関連を職業にすると好きなものを好きなように作れなくなるので、趣味にとどめておいた方がよいと言われるのは、そういった部分なのです。
マーケティング
クリエイターは依頼主が「いいね!」と思うものを作りますが、マーケターはクリエイターよりも更に多くの不特定多数の人に「いいね!」と思ってもらわなくてはいけません。マーケターも「会社の売り上げを伸ばすために商品を売る」事が仕事なのですが、まず多くの人に買ってもらうにはどういった人をターゲットにすればいいのかを考えます。そこからどんなクリエイターに発注すべきなのか、出来たものはどういった風に宣伝するのか、どんな方法で買ってもらうのかまで考える事がマーケティングです。
俳優
観客や視聴者に感情移入させ、一緒に泣いたり笑ったりと共感させる力は、まず自分がどんな所で泣いたり笑ったりするのかを知らなければなりません。なので俳優たちは豊かな感性を、自分なりに分析しているようなアーティスティックな部分があります。そして、自分の人生と全くちがう人生を演じたり、自分と正反対の役を演じても「この役はこういう人なのだ」と説得力を持たせるのは、他者の感性に訴えかけるクリエイティブな部分でしょう。
接客業
よくSNSで「従業員がこんな事までしてくれた!」というほっこりとしたエピソードを聞くのは、感性が豊かなスタッフが対応の賜物なのです。より人に近いところで接客し世話を焼く、という意味では美容師やメイクアップアーティスト、芸能人のマネージャーや社長秘書などにも向いてます。
感性を磨く・鍛える方法
感性は生まれつきの才能なの?
もちろん芸術家には生まれたままの純粋な感性のまま、大人になったような特別な人もいます。幼い頃からピアノの腕を評価されて「神童」と呼ばれたモーツァルトは、大人になってからも「おしり」「うんち」というような言葉が大好きでした。モーツァルトは神童と呼ばれた子供の頃の感性を失わないようにした結果、生前書き上げた多くの曲の中には、「子守唄」や「きらきら星変奏曲」など、プライベートの言動とはかけ離れた上品で美しい名曲の数々があるのです。かといって芸術家全員がそこまで純粋すぎる感性の持ち主だったわけではなく、切磋琢磨して磨きぬかれた感性を持って芸術作品の制作に当たる人もいます。
ではそんな感性は一体どうやって磨くのでしょうか。それはやはり「多くの物事に触れる事」に尽きるでしょう。それもただ触れるだけではなく「心の動きを観察する」事も大事です。
音楽を聞く
それらの感覚に正解不正解はありません。それがあなたの「感性」なのです。聞くときになぜ「いい」と感じたのか、どの部分が良かくないと感じたのかをメモに残しておくと、後で読み返すと新たな発見があるでしょう。こうした感性の分析も、自分を磨く一つの方法となります。そして他の人の感想と比べることによって、自分の感じ方の個性も分かってくるのです。
絵を見る
美術館では作家の筆使いが伝わりますし、画集では人目を気にせずにじっくりと見られます。またネット上では画像の拡大もできるのでより細かいところを見る事も可能です。とにかくいろんなジャンルの絵を見てください。そしてこれも音楽を聴くときと同じなのですが、「良い」と感じたものや「いまいち」と感じたものには正解不正解はありません。その時動いた心を知る事が肝心なのです。
好きだなと感じた絵があったら、その作者の絵をもっと見てみましょう。画集があったら買ってみたり、展示されている絵を見に行ったりしてみてください。同じ絵でも実際見る場合と本を見る場合、そしてネット上の画面で見る場合とでは受け取り方も変わってくる事に気づくでしょう。
本を読む
また本は「文字だけの本」だけではありません。漫画でも構わないのです。絵本でも大人になって読み返すとハッと気づくものがあるでしょう。図鑑や図録だってあなたの心が動いたのなら立派な本です。「本を読むのが苦手」な人も、自分の読みやすい本からページをめくってみましょう。きっと新しい世界が開くでしょう。
映画や演劇を観る
例えばシェークスピア作品などの古くからある古典作品は、数々の監督の手で様々な俳優によって演じられてきました。同じ作品を題材にしてもその一つ一つがオリジナリティ溢れる新鮮さがあります。アニメ作品では、生身の人間では表現できないような構図や動きで楽しませてくれるでしょう。劇場に足を運べば、そのロビーに入った瞬間から演出が始まっているような作品もあり、非日常のときめきに触れられます。
いろんなものを食べる
食べる事は、人間だけでなく生物が生きていく上で必要な、本能的な行為ですが、「グルメ」「食道楽」という言葉があるように、追求すると食べること自体が趣味といって過言ではない、という人もいるのです。感性を満たし、生物的本能の欲求も満たす、「食べる」という趣味は究極の趣味と言えるのかもしれません。しかも食べる事は毎日あるものですから、誰でも今日から始めることができます。あなたもちょっと試してみませんか?
感性を磨くときに注意したいこと
感性は心の受け止め方で、一人一人違って当たり前です。もしかしたらあなたがとても感動した物語は、誰かにとっては「非常につまらない」という評価かもしれませんし、あなたにとって苦手な食べ物が、他の誰かにとっては最高のメニューなのかもしれないのです。「つまらない」「不味い」という感想を持つのは、誰もが持っている自由な権利です。「そう感じる人もいるんだな」で終わります。でも「この話をつまらないなんて言う人は、きっとつまらない人生を送ってきたんだろう」とか「こんな不味いものを喜んで食べるなんて、お里が知れるね」なんて言った瞬間に、炎上の火種が灯るのです。
これは感性ではなく感情です。「自分とは違う意見を持つ人を、どうにかして言い負かしたい」という感情的な言葉なのです。