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地下鉄サリン事件の概要|被害者/後遺症/海外の反応/目的/真相

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重大事件 / 2017年09月15日
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地下鉄サリン事件の概要

地下鉄サリン事件とは、1995年3月20日午前8時ごろ、通勤ラッシュ時の東京丸ノ内線、日比谷線、千代田線の地下鉄で起こった無差別テロ事件ことです。一般市民に対して化学兵器としても使用される猛毒サリンを無差別に使い攻撃するという、世界でも前例のないテロ事件として世界を震撼させました。

死者、負傷者合わせて約6300人という前代未聞の被害を出したこのテロ事件は、実行したのはが新興宗教の団体であることも特徴の一つとなっています。麻原彰晃(本名 松本智津夫 以下麻原)が教祖として君臨する宗教団体「オウム真理教」の信者達が、その命令のもとに自ら計画し実行に移しました。

当初、散布されたのがサリンとは誰も気づかず、謎の液体の除去を生身でおこなった駅員の2名は死亡、その他の関係職員も231名が負傷しました。

オウム真理教、そして麻原は、なぜこのような大惨事を引き起こすに至ったのでしょうか。地下鉄サリン事件の詳しい経緯、そしてその後のオウム真理教について解説していきます。

オウム真理教とは?

地下鉄サリン事件の全容を知るためには、まずオウム真理教に関して理解する必要があります。オウム真理教は1984年に麻原がヨーガ教室「オウムの会」を発足させたことに端を発します。

当初は日本のヨーガ団体として活動をおこなっていたオウムの会でしたが、当時から宗教色も強く、麻原は自宅のちゃぶ台を祭壇と称して修行をおこなっていました。麻原は学生時代から支配欲が強く、通学していた盲学校(麻原は極度の弱視であった)では王様のように振る舞い、全盲の生徒を従えていたといいます。

そして1987年7月、32歳になった麻原は、その後、日本中を震撼させることになる宗教団体「オウム真理教」を発足させます。

「人類を救済するには手段を選ばない」

この危険な思想が後に地下鉄サリン事件へと繋がっていきます。

権力への執着

麻原は、オウム真理教を組織として拡大しようと奔走し、チベットの最高僧であるダライ・ラマとも接触することまでしていきました。ダライ・ラマは後に麻原に対してこう後述しています。「彼は宗教よりも組織作りに高い興味を持っている」と。

このことからも、麻原は巨大な組織と権益を欲しており、人々の福祉や幸せを促進するはずの宗教を利用して、自らの帝国を築き上げることに執念を燃やしていたことがわかります。

これが後に、麻原をはじめとする信者たちの衆議院議員選挙の立候補、惨敗の一連の流れに繋がっていきます。はじめは政治に関与することで自分の考えを広めていこうとしていましたが、選挙で惨敗したことにショックを受け、麻原は合法的な手段で国を変える、もしくは手に入れることを諦めたようです。

そして、様々な哲学や聞きかじりの思想、また権威をとにかく得たいという願望から、「最終戦争 ハルマゲドン」(聖書に出てくるこの世の終わりとして知られているものだが、麻原は聖書とも無関係である)として一連の事件を起こし、日本を転覆させるという無謀な計画に突き進んでいったといわれています。

初めての殺人

1988年9月、オウム真理教富士山総本部において修行をおこなっていた男性信者が、突如大声をあげて暴れ始めます。麻原はこの信者を風呂場に連れて行くよう命じ「頭を冷やさせる」という名目で、浴槽に頭をつけさせるなどの暴行を別の信者たちにおこなわせました。

やがてこの信者は意識不明となり、麻原をはじめとする他の信者たちの救命処置も効果が無く、この男性信者は亡くなりました。

この殺人の発覚を恐れた麻原は、死亡した男性信者を焼却し、粉々に砕いて湖に遺棄しました。これが確認されるオウム真理教での初めての殺人であり、その後に続く脱退希望男性信者殺害と坂本弁護士一家殺害事件に結びついていきます。

肯定されていく殺人

1989年に、別の殺人が行われることになりました。この時に被害に遭った男性信者は、先の死亡した男性信者の事の顛末を目撃していた人物でした。この男性信者は、教団に不信感を持ち始め、やがて教団の不満を徐々に周囲に漏らすようになっていきます。

この不満を聞きつけた麻原は、この男性信者の手足を縛り富士山独房に監禁。男性信者に「改心」を求めます。

しかし、男性信者は逆に脱退を求めてきます。このままこの男性信者を脱退させることは、以前の男性信者の死亡事件も明るみとなる可能性もあり、麻原は焦りを募らせます。そして他の信者にこう告げます。

「ポアするしかないな」

こうして、不可抗力によって起きた先の死亡事件とは違い、明確な殺意を持って、この男性信者は殺害されました。その後、この男性信者の遺体も焼却、粉砕され遺棄されます。

麻原はこの殺人行為を「ヴァジラナーヤの教え」として肯定的にとるよう弟子たちに伝えます。この時の実行犯のほとんどが、後の坂本弁護士一家の実行犯として罪を重ねていくことになります。

真理党の結成と惨敗。地下鉄サリン事件への序章

1990年に、第39回衆議院選挙で麻原は自らを党首とする政党「真理党」を結成しました。真理党の掲げる公約は「消費税廃止」「医療改革」「教育改革」「福祉推進」「国民投票制度の導入」でした。

麻原のお面を被り、奇妙な音楽と踊りで選挙パフォーマンスをおこなっていた「真理党」ですが、到底、信者以外の人々からの支持は集められず、立候補者全員が落選するという大惨敗を喫します。

自らの当選を信じて疑っていなかった麻原ですが、この惨敗を受け、武力による国家転覆の意思を強く持つようになったといわれています。

これが地下鉄サリン事件5年前の出来事です。そしてこの選挙の直前に選挙の弊害となると考えられ、殺害されたのが坂本弁護士一家です。

坂本弁護士一家殺害事件

真理党が衆議院選挙で惨敗を喫する約1年前、すでに殺人すら教えの一つであるという認識に至った教団は、更にその罪を重ねていました。1989年にオウム真理教によって犯行がおこなわれた「坂本弁護士一家殺害事件」です。これは、幼い子供を含む一家3人がオウム真理教の信者により殺害、遺棄されたという非常に残忍な犯行が行われたものでした。

この事件では犯行現場にオウム真理教のバッジが落ちていたことや、坂本弁護士がオウム真理教に対して明確な反対姿勢をとっていたこと、教団を相手取った民事訴訟をおこそうとしていたという経緯もあり、当初からオウム真理教の犯行という見方が有力でした。しかし警察の初動ミスが重なり、結局は実行犯の一人である岡崎一明が自主するまで失踪事件として扱われることになってしまいました。結果としてオウム真理教の全容は、地下鉄サリン事件が起きるまでほとんど明るみに出なかったのです。

この頃からオウム真理教は、邪魔者は力を持ってしても排除するという方向に完全に傾いていき、麻原はその行為すら「救済」であると信者に説き、信者もその「救済」を疑うことなく実行していきます。これが地下鉄サリン事件の6年前の出来事です。

松本サリン事件が発生する

1994年6月、長野県松本市の住宅街で異臭騒ぎが発生します。オウム真理教による最初のサリン噴霧による無差別テロであり、2017年時点で8人が死亡しています。

当初はこの事件では、第一通報者の河野義行氏に嫌疑が向けられます。警察も河野氏を重要参考人として扱い、家宅捜索などもおこなわれます。また、マスコミも河野氏を犯人扱いするような報道を連日のようにおこない、冤罪を生みだしかねない事件となりました。

そもそもサリンとは何か?

松本サリン事件、地下鉄サリン事件を機に、日本人はサリン=猛毒というイメージが完全に定着していますが、そもそもサリンとはいったいなんなのでしょうか。

サリンは自然界には存在せず、有機リン化合物合成において製造されます。使用用途は化学兵器。すなわち戦争での大量破壊兵器の一つとしてサリンは開発されました。初めて実戦仕様にまでサリンを製造したのは第二次世界大戦中のナチスドイツです。しかし、ヒトラーがサリンの実戦での使用には消極的であったため、大戦中は使用されることなく、連合軍にその技術は接収されます。

その後、各国にサリン製造の技術は広まり、1988年にイラクがクルド人に対してサリンを使った攻撃をおこない、5000人以上が死亡したという記録があるほど、その毒性は強く、非人道的です。

2017年にはシリアのアサド政権が反体制派に対しサリンを使った攻撃を仕掛けたため、アメリカが軍事攻撃をおこなうという事態も発生しており、サリンという化学兵器を使用することが如何にタブーであるかをあらわしています。

地下鉄サリン事件が発生する

1995年、3月20日午前8時ごろ。オウム真理教は地下鉄にサリンを散布し、無差別に人々を殺傷するという前代未聞のテロ攻撃を実行します。

狙われたルートは丸ノ内線、日比谷線、千代田線。いずれも中央官庁が集中するルートです。オウム真理教はメインのターゲットを官僚たちに据えており、国家機能を麻痺させることも狙った犯行でした。

地下鉄サリン事件で被害が発生した駅

地下鉄サリン事件では、丸ノ内線で2編成、日比谷線で2編成、千代田線で1編成の合計5編成の地下鉄車内でサリンが散布されました。

サリンの散布方法は、地下鉄車内でサリンの入った袋を実行犯が降車直前に傘で穴をあけ散布するという方法でした。

地下鉄車内でサリンが充満し始めると、次々と不調を訴える人たちが現れました。サリンを充満させた地下鉄車両は、サリンを散布させながら様々な駅を通過していきます。

サリンによる被害が確認された駅は以下の通りです。

丸ノ内線:中野坂上、後楽園、高円寺、国会議事堂
日比谷線:小伝馬町、芽場町、人形町、八丁堀、築地、霞ヶ関、神山町
千代田線:霞ヶ関、国会議事堂前

日比谷線では、小伝馬町駅であまりの異臭に耐えかねた乗客の一人が、サリンの入った袋を駅のホームに蹴り出しており、これが被害を増大させる結果となりました。

地下鉄サリン事件の発生した場所

地下鉄サリン事件の発生した場所は、先にも挙げたように、中央官庁が集中するルートを狙っておこなわれました。

オウム真理教は国家権力を麻痺させること、またそれと同時に、近日中に予定されているとも言われていたオウム真理教の教団施設への強制捜査を遅らせるためにこの事件を起こしました。

しかし、計画はそれだけではなかったのです。オウム真理教は「11月戦争」という無差別大量殺戮計画を実行しようと計画していました。これは、東京上空に軍用ヘリを飛ばし、上空から70トンにも及ぶサリンをばら撒き、無差別に都民を虐殺するという、にわかには信じがたい計画でした。

結局、地下鉄サリン事件の2日後には警察の強制捜査が入り、この計画は頓挫します。しかこし、この時の強制捜査では警察も決定的な証拠を得ることができず、麻原の逮捕には至りませんでした。

地下鉄サリン事件を実行した犯人

地下鉄サリン事件の実行犯は5人、そして関係した人物は18人です。そしてそのうちの11人に現在死刑判決がくだされています。指揮者であった村井秀夫は教団本部でテレビの生放送中に刺殺されてしまっています。

実行犯は以下の人物です。

林郁男。広瀬健一。横山真人。豊田亨。林泰男。

この中で地下鉄サリン事件の自供をいち早くおこない、改悛の情があると見込まれた林泰男のみが無期懲役となり、その他の実行犯は全て死刑が確定しています。

地下鉄サリン事件で死刑判決を受けた犯人

実行犯ではないものの、地下鉄サリン事件を支持、幇助した人間は18人おり、それぞれに判決がくだっています。以下、地下鉄サリン事件に関与し、死刑判決がくだされた犯人の一覧です。

地下鉄サリン事件で死刑判決を受けた犯人

・首謀者:麻原彰晃
・調整役:井上嘉宏
・運転手:新見智光
・サリン製造:遠藤誠一
・サリン製造:土屋正美
・サリン製造:中川智正

実行犯も含めると、計11名が死刑判決を受けています。

地下鉄サリン事件に絡む冤罪

地下鉄サリン事件に絡み、冤罪事件も発生しかねない事態が起きていました。それが先に挙げた、松本サリン事件での被害者でもあり、当初、警察から重要参考人として事情聴取、家宅捜索まで受けていた河野義行さんです。

河野義行さんは、松本サリン事件で奥様が重症を負われたのですが(その後、お亡くなりになりました)河野さんは、警察からの連日の取り調べ、そしてマスコミによる犯人と決めつけたかのような悪意のある報道により、大きな精神的な苦痛を受けられました。

その後、河野さんは自身の経験を踏まえてNPO法人を設立。その尽力もあり、2004年には犯罪被害者の経済的なサポートを国がおこなう「犯罪被害者等基本法」が成立されました。

地下鉄サリン事件の死者・被害者

地下鉄サリン事件での被害は日本犯罪史上、最大規模の被害総数となりました。死者、負傷者総数6300人以上という前代未聞のこの事件では、地下鉄車内という、密閉された空間に大勢の人間が乗車している状況での大量殺戮を狙った極めて凶悪な事件です。

また、被害は地下鉄車内に留まらず、停車、通過した駅でも被害が確認されており、如何にサリンの毒性が強いかを物語っています。また、サリンを散布された地下鉄は丸ノ内線、日比谷線、千代田線で合計5編成の車両です。この中で最も被害が大きかったのが日比谷線です。

地下鉄サリン事件・丸ノ内線での死者・負傷者

地下鉄サリン事件で、丸ノ内線では2編成の列車でサリンが散布されました、乗客の中から重傷者が続出したにも関わらず、そのまま運行を続けてしまったことにより、被害が拡大してしまう結果となりました。あまりの異常事態のために運行を停止した時には、新たな乗客も次々に乗車しており、被害をさらに拡大させてしまっており、手遅れの事態となっていました。結果、丸ノ内線、2編成での地下鉄サリン事件での死者は1名、負傷者は558人となりました。

地下鉄サリン事件・千代田線での死者・負傷者

千代田線では、犯人がサリンの入ったパックを傘で刺し逃亡後、次々に乗客が不調を訴えはじめて倒れたため、霞ヶ関駅で駅員らがサリンの入ったパックを除去しましたが、列車はそのまま運行を再開。

しかし、パックを除去した後も、乗客が倒れるなどの被害が続出したため、次の国会議事堂前駅で運行を停止しました。この路線での地下鉄サリン事件の犠牲者は、パックを除去しようとして作業にあたった駅員2名が死亡。231人が負傷しました。

地下鉄サリン事件・日比谷線での死者・負傷者

地下鉄サリン事件での被害が最も大きかったのが日比谷線です。日比谷戦では、死者、負傷者含めて約3000人が被害を受けています。なぜ、日比谷線ではこのように被害者が続出したのでしょうか。

日比谷線では、他の車両では2パックのサリンが持ち込まれたのに対し、3パックのサリンが持ち込まれた車両もありました。また、犯人の一人は、サリンの入ったパックに最も多くの穴を開けており、大量の犠牲者をだすという強い意思がみてとれます。

また、乗客の一人が異臭の原因と感じたサリンの入った袋を駅の構内に蹴り飛ばしており、これが更に被害を増大させる結果となりました。蹴り出された小伝馬町駅では、その他の列車の乗客などもサリンを吸着する結果となり、大量の負傷者をだす結果となりました。

結果、日比谷線での被害が地下鉄サリン事件で最大の被害者をだす結果となったわけです。

地下鉄サリン事件での後遺症

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地下鉄サリン事件では、一命をとりとめたものの、重い後遺症に悩まされる人たちも多く、事件から20年以上たった現在でも、地下鉄サリン事件での後遺症に悩まされている人は大勢います。

地下鉄サリン事件での後遺症とはどのようなものがあるのかを説明していきます。

地下鉄サリン事件での後遺症 PTSD

地下鉄サリン事件での後遺症で、体には後遺症は残らなかったものの、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥った人は約3割にのぼるといわれています。

主な内容としては、急に地下鉄サリン事件のことを思い出し、恐怖に襲われることや、地下鉄に乗れなくなる、また記憶が断片的であったり事件のことに触れようとしなかったりすることなど多岐にわたります。

地下鉄サリン事件の後遺症 目のかすみ・体のだるさ・微熱

地下鉄サリン事件での後遺症で人体への軽微な後遺症が目のかすみや体のだるさ、微熱といった症状です。サリンは神経に影響を及ぼすため、このような症状は回復が難しいともいわれています。

また、このような症状は、地下鉄サリン事件の直後には起こらず、年月を経過してから発生するという事案も観測されています。地下鉄サリン事件の与えた影響がいかに大きいかを考えさせられます。

地下鉄サリン事件での後遺症 寝たきり状態

地下鉄サリン事件で最も重い後遺症が寝たきり状態です。地下鉄サリン事件では多くの死亡者が出てしまいましたが、このような重傷者も一生を奪われたに等しい被害を受けています。

先にも挙げましたが、サリンは神経に影響を与える毒ガスですので、深くサリンを吸引してしまった場合、死は逃れたものの、体全体の神経がサリンに侵され、体を全く動かせなくなった人も多々いらっしゃいます。

特に酷い症状ですと、言葉も発することができず、意識も朦朧とした状態の方もいらっしゃいます。被害を受けていない人間にとっては地下鉄サリン事件は過去の事件ですが、当事者、そしてその家族にとっては地下鉄サリン事件は現在進行であり、決して風化してはならない事件であるといえます。

地下鉄サリン事件での海外での反応

軍事用の大量破壊兵器である猛毒サリンが、平和で安全であると思われてきた日本の首都、東京で散布され、多大な被害が出たことに対し、多くの海外メディアがこの地下鉄サリン事件を連日、トップで報道を繰り返していました。

また、その実行犯が一つの宗教団体であったことはさらなる衝撃を海外メディアに与えました。宗教団体がサリンを製造、散布、また、大量の武器の調達や軍用ヘリまでも用意しようとしていたことは、とても考えられないことです。

ここに、地下鉄サリン事件での海外の反応をまとめます。

海外にも多くの恐怖をもたらした地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件は、海外ではカルト教団が起こしたテロ事件として認知されています。日本人にとっては、テロは外国で起きていることで、言葉自体あまり馴染みがなかったものでした。しかしその平和な日本でもテロが起きたことにより、事件後、海外のテロが多発している地域は以前にも増して、警戒体制が取られることとなりました。

特に地下鉄の多いニューヨークなどの地域では、この地下鉄サリン事件を教訓に地下鉄の防犯体制が一新されることになり、海外でも衝撃が大きかったことがわかります。

また、ドイツでは「ナチスの毒ガスが散布された」との表現が報道に使われました。このことから、サリンという猛毒を無差別に人々に用い殺戮するというやり方が、戦時中のナチスドイツのやり方、また精神態度を彷彿とさせ、如何に忌み嫌われた事件となったかが解ります。

地下鉄サリン事件は、海外にも大きな影響を与えたのは間違いなく、地下鉄サリン事件を模倣したテロ行為を警戒するために警備を強化する国が多くみられました。

地下鉄サリン事件の目的・真相

多くの被害者をだした地下鉄サリン事件ですが、その目的はなんだったのでしょうか。先述したように、麻原は国家転覆を狙っていたといいますが、少し考えれば、そのような計画は無理に決まっています。

しかし、オウム真理教が武装放棄しようとしていたのは疑いの余地はなく、武装ヘリを都内上空に飛ばしてサリンをばら撒くという計画も本気で考えていたようなので、麻原は本当に日本でクーデターを起こすつもりだったのかもしれません。

地下鉄サリン事件はその序章として実行したものなのでしょうか。

オウム真理教は国家転覆を狙っていた

麻原は学生の頃より、自らの王国を創りたいという野望を持っていました。そしてそのためには暴力を用いてもいいという価値観を持っており、自分よりも弱い生徒を暴力で従わせるなどの行為は当時から目立っていたことが証言されています。このことからも、いかに自己中心的で支配欲が強かったかがわかります。

オウム真理教を立ち上げて以降は、順調に増えていく信者たちを前に、ある意味自分の国を創造するという達成感や優越感を麻原は得たに違いありません。そしてそれは徐々にその権力を本来の願望であった国の中枢に向け始める結果となりました。

しかし、自分の能力を信じて疑わなかった麻原は、選挙での当選を逃し、現実社会と向き合うこととなります。支配欲への欲望を募らせた麻原は武力での日本占領を画策し、武力蜂起に向け準備を進めるなかでサリンやVXガスを製造していくことになります。

また、活動のなかで多くのトラブルをや障害を排除する手段として暴力的行為を推奨し、殺人やテロ行為も躊躇なくはじめていくこととなりました。宗教の教えとして信者の意識の中から罪悪感をのぞき、あたかもそれが正義のように思わせていくその手法は宗教を利用したおぞましいものでした。

松本サリン事件などはその先駆けですが、あの時、警察がオウムを抑えることができていれば地下鉄サリン事件も未然に防げていたのではないかと言われており、初動のミスは本当に悔やまれます。

オウム真理教は強制捜査を逃れようとしていた

地下鉄サリン事件が発生する前、オウム真理教は様々なトラブルを抱えていました。そしてそのトラブルの原因が人である場合、麻原は「ポア」という言葉を使用し、その相手を殺害するよう、信者に求めていました。

この頃、オウム真理教に殺害された男性を巡り、また、松本サリン事件後、某新聞社から上九一色村の施設でサリンの残留物が検出されたとのスクープを報じられ、警察による強制捜査は時間の問題とみられていました。

この強制捜査を遅らせるには、阪神淡路大震災なみのインパクトの大きい事件を起こす必要性があると麻原や幹部たちは考えました。そして地下鉄車内でサリンを散布させれば、大きな事件となり、強制操作を遅らせることができるという結論に至ったのです。

そして狙うのは日本の中枢を担う官僚たち。これで狙うべき路線も決まり、地下鉄サリン事件は実行に移されました。

しかし、これは却って逆効果で、警察は事件の2日後には強制捜査を実施。教団崩壊の始まりとなりました。

地下鉄サリン事件と聖路加病院

地下鉄サリン事件発生時、最も多くの負傷者が運ばれたのが、聖路加病院です。この病院では、約5000人もの人が搬送されてきました。

しかし、その時はいったいなぜ、このような事態が発生しているかなどは医師たちも把握できておらず、ましてやサリンが使用されたなど想定もしていなかったはずです。

現場は地下鉄サリン事件の負傷者で埋め尽くされ、さながら野戦病院の様相であったとのことです。

当初、地下鉄で爆発事故が起きた。との連絡を受け、4~5人程度の受け入れを予定していた聖路加病院ですが、次々に運ばれてくる患者、そして爆発なのに火傷の痕跡もなく、外傷が見新たない。それなのに心臓が停止しているという、全く状況が掴めない状態で、病院自体もパニックに陥っていたといいます。

そして現場を確認に向かった一人からの報告は院長を愕然とさせたといいます。

「200人以上が負傷。他の病院は受け入れ不可。すぐに治療をしなければ命の危険がある患者も多数」

状況が全くわからないなか、院長は全ての外来を中止し、地下鉄サリン事件の影響で苦しんでいる全ての患者の受け入れを表明します。

聖路加病院の賭け

多くの地下鉄サリン事件の負傷者を受け入れた聖路加病院ですが、負傷者がなぜこのような症状が出ているのかの検討がつかず、対処に苦慮したといいます。

重傷者はこのままだと死亡してしまう。なんとかしなければならないが、手の打ちようがない。そんな状況のなか、負傷者に共通する症状を一人の医師が気づきます。

その症状と結びつく事件は「松本サリン事件」です。もしかしたらサリンが使われたのかもしれない。と判断した医師たちは、サリンに通用する解毒剤を使用するかの選択を迫られます。

この解毒剤はサリンに効果のある解毒剤ではありますが、同時に強い毒性も持つため、判断を誤れば逆に負傷者を死に至らしめる可能性もありました。

熟考を重ねた末、医師たちは重傷者にこの解毒剤を投与。結果、これが負傷者の命を救い、負傷者がサリンに侵されている可能性が高いことが判明しました。

多くの命を救った聖路加病院

負傷者がサリンによる毒で侵されていることを知った医師たちは、東京や近郊の県からありったけの解毒剤を集めさせました。結果、数百人分の解毒剤が聖路加病院に集められ、多くの負傷者の命が救われました。

地下鉄サリン事件を語る上で絶対に外せない聖路加病院の勇気ある決断、行動。

この病院が近くになければ、地下鉄サリン事件の犠牲者はまだ多く増えていたことでしょう。

地下鉄サリン事件に関する本

地下鉄でサリンを散布するという、世界でも例のない前代未聞の事件である地下鉄サリン事件ですが、この地下鉄サリン事件を題材、または関連する本も多く出版されております。

事件をリアルタイムで目撃していた人も、まだ生まれていなかった、記憶がない、という人もいます。どんなに時間が経ったとしても、この事件は風化させてはいけないものです。今一度、この地下鉄サリン事件とは、オウム真理教とはなんだったのかを本を通して読み返してみるのも、この事件を風化させないための一つの手段ではないでしょうか。

「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記

この本は、当時、地下鉄サリン事件が起きた時に、「災害派遣」を名目に派遣された自衛隊の指揮官の苦悩を描いた証言本です。

いったい何が起こっているのかわからない状況。毒ガスが充満している可能性がある地下鉄駅内に部下を送り込まなけらばならない現場指揮官の苦悩が赤裸々に語られています。

アンダーグラウンド

村上春樹の描く地下鉄サリン事件。この本では、あの日、あの時、何が起こったのかを関係者の証言をまとめながら、この地下鉄サリン事件を受けて日本人はどうすべきなのか、どこに向かうべきなのかを考えさせられる一冊です。

オウム真理教秘録

NHKの番組、「未解決事件シリーズ」で放送されたオウム真理教の事件のドキュメンタリーを書籍化しています。この放送直後、容疑者が逮捕されていたりするなど、非常に話題の大きい放送でした。

この本では、地下鉄サリン事件の他に、オウム真理教とはいったいなんだったのかを考えさせられる内容となっています。

日本列島クーデター計画

地下鉄サリン事件をはじめ、国家転覆を狙っていたオウム真理教ですが、もし、オウムが地下鉄サリン事件やその他のテロを実施し、本当にクーデターを実行していた場合、そのクーデターは成功したのか。

また、現在の日本の警備体制で本当にテロは防げるのか。といった、オウムや地下鉄サリン事件を引き合いに出しながら、現在の日本人の危機管理能力に警鐘を鳴らす一冊となっております。

地下鉄サリン事件が詳しく書いてある本と同時に読むと、よりいっそう、地下鉄サリン事件のことを理解できる一冊です。

オウム真理教とはなんだったのか

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日本中、そして世界中に恐怖と衝撃を与えたオウム真理教と地下鉄サリン事件。いったい、オウム真理教とはなんだったのでしょうか。そして、地下鉄サリン事件は未然にはふせげなかったのでしょうか。

地下鉄サリン事件後、オウム真理教は凋落の一途を辿ります。強制捜査の遅れを狙ったはずの地下鉄サリン事件のはずなのに、本気になった警察により、地下鉄サリン事件のわずか2日後には強制捜査が入り、次々と幹部たちが逮捕されていきます。

そして地下鉄サリン事件から約2ヶ月後の5月16日。ついにオウム真理教の教祖であり、地下鉄サリン事件を首謀、そして国家転覆という愚かな野望を持った男は逮捕されます。

オウム事件を風化させない努力が必要

その後、裁判が進められますが、麻原は精神を病み、まともな裁判すらままならない状態のまま、死刑判決を受け、現在は東京拘置所でその時を待っています。

しかし、首謀者の麻原がその真相を話すことなく刑に処されることは、この「日本史上最悪の凶悪事件」と称されるオウムの全事件の真相がわからないままとなります。たとえ真相がわからないままでも、地下鉄サリン事件から20年以上経過した今、私たちにでできることは、如何に事件を風化させずに、後世に伝えていくかです。

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