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秋葉原通り魔事件の概要・真相・家族にまで及んだ影響

Author nopic iconHIROTADA
重大事件 / 2017年11月01日
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秋葉原通り魔事件とは

「秋葉原通り魔事件」はこれまでの犯罪歴史の中で、もっとも残酷な無差別連続通り魔殺傷事件として語り継がれている事件です。ある一人の青年が瞬く間に12人もの死傷者を出した悲劇でした。なぜ、このような悲惨な事件が起きてしまったのか。「秋葉原通り魔事件」の裏に潜む闇に迫ることで、本当の意味でこの事件を知ることができるでしょうか。

「秋葉原通り魔事件」発生

突入するトラック

2008年(平成20年)6月8日、東京都千代田区の秋葉原で悲劇は起きました。秋葉原は電気街やオタクの聖地として知られています。事件当時の秋葉原は、毎週日曜日になると歩行者天国が実施され、観光客や買い物客でごった返し、秋葉原の街を楽しむ人々の歓声に溢れていました。平穏な日常は突如として悪夢に変わり、街は血で染まってしまいました。

一瞬の出来事でした。車が侵入できないはずの歩行者天国に2トンの大型トラックが侵入し、次から次へと人を跳ね飛すのに時間はかかりませんでした。状況が呑み込めない人々はその場に茫然と立ち尽くすも、誰かの叫び声とともに一斉に駆け出しました。すべてが一瞬の出来事だったのでした。

容疑者

道路一帯には、トラックで引かれた人たちが横たわり、ピクリともしません。暴走するトラック、逃げ惑う人々、人命救助に走る人たち、と惨劇です。トラックは信号待ちをしていたタクシーと衝突して停車、トラックから降りてきた人物が元派遣社員の加藤智大(かとうともひろ、当時25歳)でした。

加藤の手には殺傷能力の高いダガーライフが握られ、救護に駆け付けた人々や警察官を奇声を発しながら次々とナイフで切りつけていきました。ナイフで切りつけられた人数は12人にも達し、事件現場周辺は血の海と化しました。

逮捕

加藤は逃走を試みるのでしたが、万世橋警察署秋葉原派出所から駆け付けた警察官らがそれを追い込みます。ナイフで刺されそうなところを警棒で応戦し、最終的には加藤に銃口を向けて、手に持っていたナイフを捨てさせることに成功しました。

加藤はそのまま警察官らの手によって取り押さえられ、現行犯逮捕でその身を確保され、日曜日の真昼間に突如として発生した前代未聞の無差別殺人「秋葉原通り魔事件」はひとまず幕を降ろすのでした。トラックの侵入からたったの十数分だったといいます。

尊い犠牲を生んだ事件の謎

「秋葉原通り魔事件」の被害者は、トラックで5人がはねられ、ナイフで刺された人は12人、被害者のうち7名の方が亡くなりました。事件発生から逮捕されるまでのたった十数分間で17人もの犠牲者を出した「秋葉原通り魔事件」は、過去30年間でもっとも最悪な通り魔事件となるのでした。

「秋葉原通り魔事件」はまだ終わっていません。まだ多くの問題が山積み状態です。なぜ、こんなにも残酷な事件が起きてしまったのか。事件を追っていくと、その背景には誰もが抱える社会や家庭の問題が浮かび上がってきました。

「秋葉原通り魔事件」はなぜ起きてしまったのか

「秋葉原通り魔事件」は瞬く間にメディアに取り上げられ、ネットで拡散し、世間の注目を集める事件へと昇華しました。警察、メディア、専門家や彼の周りの人物たちによって事件の真相が解き明かされていきました。なぜ、「秋葉原通り魔事件」は起きてしまったのでしょうか。その謎を追求していきましょう。

インターネットの世界に潜む闇

加藤が「秋葉原通り魔事件」を起こした直接の動機は「インターネット」でした。インターネットは便利な反面、犯罪の温床にもなりやすいダークサイドな部分を秘めた領域です。加藤はネットの掲示板に1000件以上も投稿を繰り返し、社会に対しての恨みを綴っていました。

いったい加藤は何を想って、ネットの掲示板に投稿を繰り返していたのでしょうか。孤独から抜け出すためでした。加藤は、自分の投稿に返信があると喜び、積極的にコミュニケーションを取り、安らぎを感じていました。しかし、そんな唯一の居場所を侵されることになった加藤は、恐ろしい犯行を思いつくのでした。

犯行の動機は「成りすまし」

加藤智大は事件が起きる7ヵ月前から、30回以上もネットの掲示板で犯行予告を出していたにもかかわらず、当時は世間の警戒心も低く、誰も加藤の書き込みを気に留めていなかったのでした。やがて、彼の「成りすまし」が現れ、唯一の居場所を侵された加藤はこれに怒り、「俺が本物だ」と事件を起こすことで「成りすまし」へ復讐を計画するのでした。

加藤が社会やインターネット上の「成りすまし」への報復の手段として選んだのが、ニュースで大きく扱われた「無差別殺傷事件」でした。復讐の舞台として選ばれたのが、加藤自身もよく知る「秋葉原」です。加藤の証言によると、日曜日になると秋葉原の中央通りが歩行者天国となるとを把握したうえでの計画的な犯行でした。

社会が生んだモンスター

「秋葉原通り魔事件」は自分に成りすました者への報復でしたが、世間では「秋葉原通り魔事件」を巡り、さまざまな犯罪要因が思考されています。専門家の中には、加藤智大は社会が生んだ「モンスター」だと考える者も現れました。家庭環境の問題や加藤の精神異常を訴える声も上がるも、加藤本人によって全て否定されています。

また、捜査機関が作成した「秋葉原通り魔事件」に関する供述書に対しても、加藤は「捏造」だと批判しました。彼の犯行動機は本当に成りすましへの復讐だったのでしょうか。加藤智大の人生を辿ることで、「秋葉原通り魔事件」の背景を追っていきましょう。

加藤智大の人生

厳格な家庭に生まれた加藤智大

母親の作品

1982年9月、青森県五所川原市に加藤は誕生しました。幼いころから教育熱心な母親に育てられた加藤は、小中学校時代は成績優秀でスポーツ万能でした。勉強を強いられていた加藤は、友人と遊ぶことや男女交際は禁止されていました。母親はさらに学習塾、スイミングスクール、珠算に通わせては、加藤に自由な時間を与えませんでした。

母親の教育は厳しく、作文や絵画は先生ウケするものができるまで何度もやり直しをさせ、うまくできなければビンタを浴びせ、痛みとともに教育を施しました。母親は自分の息子が落ちこぼれになることを許しませんでした。以来、加藤はずっと母親に抑圧されながら育ったのでした。

高校に進学して狂った歯車

「秋葉原通り魔事件」の真相は、ネットの成りすましではなく、加藤を長年に渡って人形のように育てた母親に対する復讐だったとする意見もあります。

「秋葉原通り魔事件」を巡る加藤の供述では、母親は事件に関係ないとされていますが、本当に無関係だったのでしょうか。神戸神話女子大学教授である片田珠美は、加藤の人格形成は母親の影響が強く関わっていると指摘しています。

高校受験のとき、加藤は母親の希望する県立青森高校に入学を果たすのでしたが、優秀な生徒が集まる高校の中で加藤が目立つことはありませんでした。成績も下がり、自暴自棄になった加藤は母親に暴力を振るい、家の中で壁に穴を空けるなど破壊活動を繰り返していました。高校卒業時に加藤が選んだ進路は大学ではなく、岐阜県の短期大学でした。

故郷を離れて

加藤の母親は、加藤に北海道大学へ進学してほしいと懇願するも、加藤は母親への反抗からこれを拒否し短大を選択しました。そうして、中日本自動車短期大学の自動車工学科に進学を果たしました。しかし、学習意欲が持てず、「自動車整備士」の資格を取ることを拒んだとされています。卒業後、母親からの資金援助を得て、宮城県のアパートで一人暮らしを始めるのでした。

すぐに仙台市の警備会社に準社員として就職をしました。職場には友人もできて、月収も多い25万円に達することもあり、順調に社会人として過ごしていました。部署の移動があり、月収が17万円に減るも加藤は勤務を続けていました。母親からの資金援助で自動車運転免許を取得し、さらには30万円の自動車も購入しています。

社会人として職を転々とする

無断欠勤する

2005年2月、加藤は職場の人間関係に対する抗議の意思表示として無断欠勤をし、一年半勤めた警備会社を辞職しました。その二ヶ月後には、埼玉県の自動車メーカーでの工場勤務を始まりましたが、一年で無断欠勤の後に辞職しています。2007年1月には正社員として青森県の運送会社に就職するも、半年で辞職しました。「秋葉原通り魔事件」が起きる一年前の話です。

その後の彼の社会人としての人生は無断欠勤を繰り返す日々でした。そして、「秋葉原通り魔事件」が発生した2008年6月、派遣先の更衣室で自分の作業着がなかったのを理由に最後の無断欠勤をして事件は起きました。若者の労働環境の悪化が「秋葉原通り魔事件」の引き金になったとの声が上がるも、加藤は正社員や準社員を経験していることから否定されたのでした。

人間関係

職を転々とした経緯については、職場環境や人間関係に悩みを抱えていたことが指摘されています。加藤は無断欠勤という手段で職場放棄を繰り返していました。「自分がいなくなれば会社が困るとアピールしたかった」と加藤は語っています。しかし、別の証言では、「彼女がいなかった」ことが仕事を辞める原因になったとも語っています。

人間関係がうまくいかなかった加藤が見つけた居場所がネット掲示板でした。最初の職場での無断欠勤の直後から深入りするようになったと加藤は語ります。「現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった」とも、加藤は語っています。

異性関係

「彼女がいなかった」ことが職場を辞めるきっかけとなったと語る加藤ですが、恋愛事情と「秋葉原通り魔事件」との関連性については後の証言では否定しています。しかし、自分の容姿にコンプレックスを持っていたことは事実だったのでしょう。加藤の書き込みには、世の中のカップルに対する嫉妬ともとれる内容が多く書かれていた事実があります。

とはいえ、加藤智大は中学生時代に二人の同級生と交際経験があります。厳しい母親から隠れて付き合っていたのでしょう。大人になって、彼女がいたことはないが、それは加藤は自分の容姿が原因だったと考えています。

自殺未遂

加藤は皆を楽しませたい思いから冗談を言ったりなどして、ネット掲示板では人気があったと加藤は語ります。しかし、きつい内容の書き込みをしたことが原因で、途端に誰も加藤とコミュニケーションを取ろうとしなくなりました。相当なショックだったために、加藤は「自殺」を決意し、掲示板に投稿しました。加藤宛に自殺を思い留まる主旨のメッセージが届いたといいます。

青森県弘前市のバイパス付近の駐車場で、車内で寝泊まりしていた「秋葉原通り魔事件」の犯人、加藤智大は警察官に職務質問され、自殺を止めるよう説得されました。結局、彼の自殺は未遂に終わり、そもそも本当にするつもりがあったのかは定かではありません。この自殺未遂がきっかけとなって、自宅に連絡が入り、加藤智大はおよそ3年ぶりに家族との再会を果たすのでした。

「秋葉原通り魔事件」の犯人家族の過ごした人生

加害者の弟

兄の智大同様、母親から英才教育を受けていた弟は母親にとって自慢の息子でした。学校での成績も良かった弟でしたが、それも長くは続かず、弟は高校でうまく馴染めず、五年間の引きこもり生活を経ることになりました。その後、無事に職を見つけた弟は東京で生活をしていました。社会人として、しっかり生きていました。

しかし、「秋葉原通り魔事件」が彼の人生を変えてしまったのです。殺人犯の弟として、ネットではまるで弟も犯人のような扱いを受けていました。職場に迷惑がかかることを懸念して、職場を辞め、それからの日々は加害者家族としてマスコミに追いかけ回されながら逃亡する人生でした。

彼女の言葉

事件当時、加藤の弟には付き合っていた人がおり、弟は事件の全容を全て彼女に打ち明けました。もちろん、別れる覚悟でした。しかし、意外なことに彼女は弟の人生を受け入れるのでした。彼女の優しさは弟の心の支えになっていたのでしょう。そして、彼らの交際は一年続き、二人は結婚を考えるようになりました。しかし、不幸にも幸せは永遠ではありませんでした。

彼女の両親は、交際には反対せずも結婚には猛反対しました。両親からのプレッシャー、押し寄せるマスコミ、将来への不安、それらが彼女に多大なストレスを与えていたことは確かです。ついに彼女の口からこぼれてしまった言葉が、「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」でした。弟は全てに対して絶望しました。

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「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」

兄に会いたい

弟の願いは、留置所にいる兄に会うことでした。会って自分は兄とは違うということを証明したかったと弟が書いた手記の中で語っています。50通にもおよぶ手紙を兄に書くも、返事が返ってくることは一度もありませんでした。弟は意を決して、留置所にいる兄に会いに行きました。しかし、兄は弟の面会を拒絶し、弟の最後の願いが叶うことはありませんでした。

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」と残し、彼は命を絶ちました。

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「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」

母親の罪と謝罪

母親と息子

「秋葉原通り魔事件」の犯人である加藤智大の母親は、加藤を恐怖で支配していました。報道では、加藤の母親は虐待まがいのことをしていたとされています。たとえば、新聞紙に夕飯をぶちまける、真冬に裸足で雪の上に長時間立たせるなどの行為です。こうした経緯から世間では、「秋葉原通り魔事件」は母親の虐待行為が招いた結果と考えられていました。

また、母親自身が青森の名門学校を卒業していたことから、息子にも英才教育を施していました。幼い頃から加藤は習い事に追われ、遊ぶ時間は認められず、良い大学に行くための人生を送っていたといいます。母親の夢は、息子の北海道大学進学でした。しかし、その願望は儚くも息子の反旗でもある岐阜県の短期大学進学によって打ち砕かれる結末でした。

息子への謝罪

加藤の母親は、息子智大のことを出来損ないと評していたことが弟の手記で書かれていました。「学歴こそ全て」と考える母親にはどうしても家族に落ちこぼれがいることが許せなかったのでしょう。やがて、智大の家庭内暴力、弟の高校辞退と引きこもりをきっかけに自分の間違いに気づき、二人の息子に謝罪をしたと語られています。

実は、加藤智大が自殺未遂を起こした際も母親は謝罪をしています。弟は母親の謝罪を受け、母親を許すことができたと語っていますが、兄は許すことはできたのでしょうか。「秋葉原通り魔事件」は母親の教育がもっとも事件に深く結びつけられていますが、まったく関係ないともいえないでしょう。加藤智大は、母親と事件の関連を否定していますが。

父親の責任は何処へ

家の中では、母親が実験を握っていました。地元の信用金庫に勤めていた加藤の父親は、見て見ぬふりをして、黙って母親の虐待を見過ごしていました。教育に関心の強い親ではなく、母親に全てを任せていたのです。「秋葉原通り魔事件」発生直後の謝罪会見では、淡々と謝罪の弁を述べ、泣き崩れた母親の介助をしながら自宅に入っていったのが記憶に残ります。

「秋葉原通り魔事件」を機にようやく父親としての責任が芽生えたのでしょうか。迫るマスコミに怯えながら泣き叫ぶ弟に「心配するな」と優しく声をかけたとのエピソードも残されています。事件後は、勤めていた信用金庫を会社の働きかけで退社を余儀なくされたとのことです。

離婚、崩壊、そして自殺

「秋葉原通り魔事件」では、加藤は自身の家族を崩壊させました。両親は離婚し、父親は職を失い、現在は日夜ロウソクだけの生活を送っています。母親は事件の責任を問われ、精神を壊し、現在は半ば廃人のように一日中青森のアパートに引きこもったままです。そして、加藤の弟は自身と家族についての手記250枚を残し、この世から去るのでした。

「兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ」と手記に残しています。弟は生きることに疑問と罪悪を覚え、ついには首吊り自殺という手段で、自分の人生に自ら幕を降ろすのでした。加害者家族の苦しみは当然の報いなのでしょうか。

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兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ

秋葉原通り魔事件と被害者たち

犠牲になった方々

「秋葉原通り魔事件」では、17名の方がトラックで引かれたり、ナイフで刺されるなどして犠牲になりました。過去30年間で、「大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件」に次に被害者を出した無差別殺人事件とされています。

死亡者

「秋葉原通り魔事件」による死亡者の職業、性別、年齢、死因を明記します。

・無職男性(74)左背中刺創
・東京電機大の男子学生(19)腹部打撲
・無職男性(47)背部刺創
・東京情報大の男子学生(19)腹部打撲
・会社員男性(31)胸部貫通刺創
・東京芸術大の女子学生(19)失血死
・調理師(33)背部刺創

負傷者

「秋葉原通り魔事件」の負傷者の職業、性別、年齢、被害程度を明記します。

・警察官男性(53)胸・重傷
・会社員女性(24)肺腎臓損傷・重傷
・職業不明男性(53)腰・重傷
・会社員男性(43)脊髄損傷・重傷
・職業不明男性(27)背部刺創・軽傷
・職業不明女性(30)腹部刺創・重傷
・タクシー運転手男性(54)右胸刺創・重篤
・会社員男性(28)右前腕切創・軽傷
・職業不明男性(20)腰の痛み・軽傷
・職業不明男性(19)擦過傷・軽傷

犯行現場はどこなのか

「秋葉原通り魔事件」は具体的にどこで発生したのでしょうか。秋葉原はオタクの聖地として今や世界中で知られています。加藤がトラックで侵入してきた「中央通り」は大小さまざまな電機屋が立ち並ぶ秋葉原のメインストリートです。「秋葉原通り魔事件」は秋葉原でもっとも人気のエリアで、しかも歩行者天国として賑わっている昼時の惨事でした。

トラックから降りてきた加藤は逃走を図り、そのまま旧サトームセン(現在はクラブセガ)のほうへ逃げていき、脇の路地で警察官に取り押さえられました。これにて「秋葉原通り魔事件」の惨劇は食い止められました。距離にして数百メートルくらいでしょう。しかし、事件当時の事件現場は野次馬で溢れ返っており、物々しい雰囲気を帯びていました。

加害者の裁判で出た結論

「秋葉原通り魔事件」では、多くの無関係な人間が殺害されました。社会は加藤智大が起こした残虐な事件を決して許しはしないでしょう。「秋葉原通り魔事件」の主犯、加藤に下された法の裁きはどのように変化を遂げたのかを追ってみましょう。

第一審

2010年(平成20年)1月28日、東京地方裁判所では「秋葉原通り魔事件」の第一審の初公判が行われました。事件から一年以上が経過して、加藤智大が公の場に姿を現すのは初めてでした。この日の裁判では、加藤に殺意の有無があったか、警察官に対して「公務執行妨害」が成立するか、加藤の完全責任能力が争点となりましたが、加藤は供述内容は否定しませんでした。

当時はまだ「裁判員裁判制度」が始まる前だったので、裁判官のみで裁判は行われ、そして判決が出ました。事前の求刑では、「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。多数の模倣犯を生み悪影響は計り知れない。命をもって罪を償わせることが正義だ」と検察官より死刑の求刑があり、判決も求刑通りとなったのでした。

第二審

事件発生から四年経った2010年(平成24年)6月、東京都高等裁判所で「秋葉原通り魔事件」の第二審は開かれました。この第二審は加藤の控訴により開かれたのですが、当の本人は控訴審には一度も顔を出すことはありませんでした。結果は、加藤の完全責任能力の有無を肯定され、加藤の控訴は棄却されたのでした。

同年の9月25日、弁護側は加藤の「精神障害」の疑いがあるのをを理由に、最高裁判所への上告を果たしました。全ての結論は「第三審」に委ねられることになるのでした。

第三審

2014年(平成26年)12月18日、最高裁判所では「秋葉原通り魔事件」の第三審が開かれていました。弁護側は「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。死刑判決は破棄されるべきだ」と加藤の精神障害の疑いを全面に出し、情状酌量(刑罰を軽くすること)を主張しました。検察側は上告棄却を求めて、結審となるのでした。

最終判決

翌年の2015年(平成27年)2月2日、ついに判決が出るのでした。最高裁判所は、「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない。」と加藤の上告を棄却し、同月17日に加藤智大の「死刑」が確定するという形で、「秋葉原通り魔事件」が法律のうえでは解決に結びつくのでした。上告が棄却された加藤は東京拘留所で刑が執行される時を待っているのでしょう。

「秋葉原通り魔事件」がもたらした社会の変化

加速する警戒心

加藤智久が起こした「秋葉原通り魔事件」が世間に残した衝撃は波紋を呼び起こすきっかけになるのでした。それは瞬く間に世の中の仕組みを変えたのでした。二度とこのような悲惨な事件が起きてはいけないという防衛本能からでしょう。事件による社会の変化をご紹介します。

殺人予告の取り締まり強化

加藤は何度も掲示板に殺害予告を出していました。この時点で、「事件は阻止できたのでは」という疑問が生まれ、ネットでの殺害予告を厳しく強化するようになりました。事件発生からおよそ一ヵ月の間で、殺害予告した33人が検挙されました。ほとんどが10代や20代の若者による犯行で、悪戯目的だったと供述しています。

歩行者天国の中止

歩行者天国の制度が悪いわけではないが、事件の影響でその在り方を見直し、中止するという結論が東京都公安委員会より下されました。その後、地域住民によるパトロールの強化や防犯カメラの増設、警察の職務質問の強化などから、秋葉原の防犯意識は一気に高まるのでした。延期を繰り返しながらも、歩行者天国は2011年4月17日より再会されました。

銃刀法の見直し

加藤は所持していたダガーナイフで多くの死傷者を出しました。この事件の影響を受け、町村信孝内閣官房長官は刃物の所持規制強化を訴え、2009年(平成21年)1月5日に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)が改正されたのでした。「刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止」が原則となります。日本では、ダガーナイフの生産と輸入も中止となりました。

事件後の人々の様子

事件発生直後の事件現場には、多くの犠牲者が路上に倒れていました。まだ殺人者が確保されていないのに救護に駆け出す人もいれば、笑いながら写真や動画を撮る人もおり、批判の対象となっていました。緊迫した状況だったにもかかわらず、こうした人間の行動心理に疑問を感じる人も多かったでしょう。命に対する考え方を見直す課題を残したのでした。

「秋葉原通り魔事件」の犯人である加藤智大は一部の人間から「神」と崇められました。「格差社会が生んだ英雄」加藤を支持する声が多数上がりました。また、「秋葉原通り魔事件」に意識した事件が何件も発生するといった事象も起きています。第二、第三の加藤智大が今後も出てくるのでは、と危惧されています。

「秋葉原通り魔事件」は終わらない

「秋葉原通り魔事件」が発生してずいぶん月日が経ちましたが、未だに事件の傷が癒えず、辛い現実と向き合いながら生きる人々がいます。「秋葉原通り魔事件」の生み出した波紋はあまりにも大きく、多くの悲劇を生み出してしまいました。それは、被害者だけでなく、加害者家族も同様です。こんなに悲しいことはありません。

しかし、時代とともに新たな犯罪が生み出されています。その度に私たちは事件は誰の「責任」なのかを追及していきました。しかし、犯罪は一向に減りません。もう、「秋葉原通り魔事件」のような悲劇が起きないためには、私たち一人ひとりに何ができるのでしょうか。

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