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【男女別】貴族の服装|中世ヨーロッパ/英国/18世紀/16世紀

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コーディネート / 2018年12月25日
【男女別】貴族の服装|中世ヨーロッパ/英国/18世紀/16世紀

貴族の服装の歴史と特徴を辿る

貴族とは、特権を備えた名誉や称号を持つ人たちのことです。国や地域によって定義や成り立ちは異なりますが、階級社会において上位に位置する社会集団のことを指しています。華やかな印象のある貴族社会の、主に服装についてまとめました。

中世ヨーロッパの貴族の服装

11世紀から12世紀にかけてのフランスを中心とした西ヨーロッパの当時の男性貴族の服装は、袖や襟元、裾に刺繍が施された麻製の肌着と、ブレーにウールの長靴下、ブリオーという上質の毛織物や絹を使った衣服と毛皮の裏地のマントルが流行でした。この頃の貴族にとっては、肌着とブレーだけの姿は『裸』と認識される程に非常に恥ずかしいものだったのです。

この頃の女性貴族の服装は、裾が大きく広がったドレスなどではなく、ブレ―を着用しない以外は男性とほとんど同じような服装をしていました。髪型は、膝に届くほどのロングヘアーが主流で、1本ないし2本のおさげ頭が当時の流行のヘアスタイルです。長らくストンとしたシルエットのドレスが主流でしたが、14世紀になってようやく絵画でよく見るような裾の広がったドレスが登場することになります。

16世紀のヨーロッパにおける貴族の服装

16世紀はヨーロッパにおいて近代の始まりとされる時代ですが、中でもスペインが16世紀半ばに新大陸を発見したことによって得た富でヨーロッパの経済を支配しました。

服装もスペインスタイルが大流行しました。スペインスタイルのドレスは、イタリアで生産された上質なレースがふんだんに使用されたとても高価なものだったので、各国に広まる中でそれぞれの国の特徴を取り入れながら拡散したのです。

18世紀のフランス貴族の服装

18世紀のフランスといえば、ルイ15世のフランス宮廷から始まったとされる美術様式ロココを思い浮かべる人も多いことでしょう。建築や絵画など、煌びやかな文化が花開いたこの時代は、絶対王政の末期で貴族文化が栄えていたこともあり、その服装もまた華やいでいました。

特に女性貴族の服装は、針金やクジラの髭で作られたペチコートを用いた裾を広げた巨大なドレスが有名です。フランス宮廷の正装であるローブ・ア・ラ・フランセーズを着用する際は、腰元から横に大きく広がったパニエの形から『肘付き』とも称されていました。

マリー・アントワネットの革新的な服装と髪型

ルイ16世の王妃であるマリー・アントワネットは18世紀において最も有名な人物といっても過言ではないでしょう。彼女の服装やヘアスタイルもまた一時代を築きました。ローズ・ベルダンというデザイナーの作るドレスを好んだ彼女の影響で、新進ファッションがフランス国内だけでなくスペインやポルトガル、ロシアの女性貴族に流行しました。

特に髪型は、最初のころは顔の1.5倍ほどもあった超盛スタイルでしたが、徐々にエスカレートしていきます。頭飾りも草木をまるで庭のように飾り付けたり、小さな船の模型を作らせて頭に乗っけたり、とにかく革新的なスタイルでした。

当然このヘアスタイルは周囲の目を惹きつけましたが、一度作り上げるとなかなか解体できず上流貴族でも1週間、身分の高くない貴族は1か月もこのような髪型で過ごしていました。服装や髪形に対する並々ならぬこだわりが見受けられます。

19世紀の英国の貴族の服装

19世紀のイギリスでは、長い間ヴィクトリア朝が続きました。この時代は、イギリス本国や植民地の服装や建築、文学などの芸術においてたくさんの変化が現れることとなります。

ヴィクトリア朝の女性貴族の流行服

1840~50年頃の女性の貴族の服装は、ドレスの袖が幅広く膨らんでいて、色は飾り気のない淡い色が主流であり、装飾も花の飾りがついているくらいのもので、コルセットやペチコートを用いて裾を大きく膨らませていました。1850年ごろに開発されたクリノリンという針金などを輪上に組んだ骨組みの下着が台頭し、スカートの膨らみは更に大きくなっています。

1870年代になると、非公式のお茶会などにはコルセットを使用しないお茶会用のドレスが登場し人気を博しました。一方公式の場では、バッスルというスカートの後ろだけを膨らませるための新たな下着が発明され、それまでは自分を中心に大きな円を描いたシルエットが人気でしたが、バッスルの発明とともに全面は平らで後ろのお尻部分が大きく膨らんだシルエットが主流になっていったのです。

ヴィクトリア朝で長く愛用されたクリノリンやバッスルですが、1890年代になると女性たちはスリムなシルエットの服装を好むようになったため、ほとんど見られなくなっていきます。

ヴィクトリア朝の流行ヘアスタイル

小さな帽子を前頭部にちょこんと乗せるヘアスタイルが確立したのもこの頃です。1880年代にはボンネットといわれる帽子も女性貴族の間で流行しました。

ヴィクトリア朝の男性貴族の服装

男性貴族の服装はというと、1840年代はふくらはぎまでの長さがあるフロックコートやベストを着用していました。更に正式な場では、外が明るい時間は前下がりになったモーニングコートと淡い色のズボンを着用し、夕方になると暗い色の燕尾服とズボンに変えるなど、時間によっても服装を使い分け、気を遣っていたのが分かります。

シャツを着るときは襟を立てずにネクタイを締め、広いつばの付いたトップハットを着用するのが当時の流行ファッションです。

時代が進むと、正式な場ではタキシードが用いられるようになりました。1890年代にはブレザーも導入され、運動用や航海用など幅広い場面で着用されることになります。紳士のファッションにおいて帽子はとても重要で、トップハットやボーラーハット、カンカン帽など、用途や気候に合わせて帽子や服装を選ばなければなりませんでした。

奈良時代の貴族の服装

律令制度が整えられた奈良時代、冠位十二階によって整備された身分制度に基づいて人々の暮らしは成り立っていました。奈良の都平城京では5~10万人もの人口を有しておりましたが、そのうち貴族といわれる身分の人はおよそ150人前後しかいませんでした。

王宮の役人でもある貴族の給料は農民から徴収した税から出され、一番位(くらい)の高い正一位太政大臣の給料は現在の金額に直すと年収6億円にもなったと言われています。更に貴族には納税の義務がなかったので、厳しい生活に喘ぐ農民とは真逆の華やかで豊かな生活を送っていたようです。

そんな平安時代の貴族の服装はというと、職務中の男性は束帯という着物を身に着けていました。服装に取り入れて良い色は冠位によって管理され、着ている服の色で身分が分かるようになっており、また頭には冠、手には笏、足元は襪(しとうず)という出で立ちでした。

女性の平安貴族の服装

女性貴族の服装はは、男性の束帯と同じ位置づけの晴れの装いと言われる華やかな着物が正装となっており、唐衣裳(からぎぬも)姿とも現代では十二単とも言われています。五衣、打衣、表着、唐衣を纏い、そこへ裳をつけて長袴を穿いて、手には紗で作られた扇などを持っていました。平均的な十二単は重さが20キロほどもあり、儀礼用の正装とはいえなかなか動くことが出来なかったそうです。

大正時代の貴族の服装

近代日本の貴族制度として、明治2年に華族制度ができました。皇族や公家、大名、明治維新の功労者といった人たちにこの身分が与えられ、昭和22年に日本国憲法が制定されるまで続くことになります。

大正時代の貴族の服装はというと、洋服も和服もどちらも着用していました。男性は主に外では背広、家中では着物を着ていたそうです。若い男性の間では、山高帽にロイドメガネ、ステッキや傘を手に持つという服装が流行でした。

女性は主に和装が多く、ドレスなどの洋装は上流階級の一部で着られていました。明治時代に登場した女学生のえび茶色の袴姿も有名ですが、大正中期になるとセーラー服が主に制服として用いられるようになります。

貴族の服装に学ぶおしゃれとは

いかがでしたでしょうか。国や文化によって服装や人々が求めるスタイルも様々でしたね。華やかなドレスや革新的な髪型で他と差をつけたり、体型を整えるためにきつい下着を身に着けたりと、華やかな社交界の裏側では大変な努力や苦労もあったことでしょう。

おしゃれを追及する心に時代や文化は関係ないのが分かると思います。このコラムが、あなたのファッションへの関心に少しでも役立てられたら幸いです。

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