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恩着せがましい人の特徴|心理/性格/田舎・うまい対応の仕方

恩着せがましい人の特徴とは?

恩着せがましい人とは、一体どういった特徴を持つ人のことでしょうか。今回は、その心理や性格、各状況における特徴を詳しくご説明いたします。

まずはじめに、「恩を着せる」という意味のご説明をしておきましょう。「相手が望んでいないことを無理に行い、身勝手に優越感に浸る」ということです。

人は誰かに手助けをして欲しいことや状況があります。そのように求めている状況の中で手助けしてくれることは、とてもありがたく感謝の気持ちが湧くでしょう。ですが、望んでいないことを先回りして勝手にやられてしまうと、不本意で「迷惑」ということになるでしょう。

その心理とは?

恩着せがましい人の心理とはどのようなことでしょうか。人は何事においても「良い塩梅」というものがあります。

ですが、恩着せがましい人には、その「塩梅」や「適正」といった心持ちに欠けています。そのため、相手が望んでいないという事柄でも、「良かれ」と思って勝手に行い満足をします。

ですが、一方的とはいえ反面では「優しさ」「思いやり」という心の顕れともいえるでしょう。「相手が望んでいるのではないか。」といった想定を立てて、その事柄を行おうとしてくれている場面もあります。ただ、それが「的を射ていない」ということでしょう。

その性格とは?

恩着せがましい人の性格とはどういったことがいえるでしょうか。それは、「自分がしなくてはいけない」という、ある意味では「不安感」を持った性格の人でしょう。つまり、恩を人に着せることで、自分の立場を優位に保とうとしたり、相手を見下している、といった性格も潜んでいます。

たとえば、同僚や友人間でも「自分が先を行かないと気が済まない」といった性格にも当てはまります。時には相手に嫌悪感を与えてしまうでしょう。ですが、これは性格ですのでそう簡単には改善できません。

田舎の人って恩着せがましいの?

田舎では、世話好きな人が多いという傾向がありますので、恩着せがましい人も多いでしょう。たとえば、望んでいない状況で「野菜」「米」などを執拗に持ち帰らせようとする行為があります。

食材をいただくということはとてもありがたいことですが、それは状況によるでしょう。仮に車での場合であれば、大きな荷物も積めます。ですが、遠くから電車で田舎に行った場合ではどうでしょうか。自分の荷物もある中、重たくてかさばる物は長時間の帰路ではうっとおしく感じてしまうでしょう。「ありがた迷惑」ともいえます。

「宅配便で送ってあげる」「手軽に持ち帰れそうな大きさのお土産を渡す」ということが、相手も思いやりと感じてくれるでしょう。

メールでも恩を着せられるの?

メールというツールは、相手の都合が良い時に読んでもらうためのものですが、ここでも恩着せがましい人はいるでしょう。

やはり、基本的に相手が望んでいないことを先回りしてしまうでしょう。たとえば、どうしても謝らなければいけない人がいたとします。数日間、どうやって謝ろうかと悩んでいる中で、勝手に仲介するような態度でその謝罪を肩代わりされてしまった場合はどうでしょう。

迷惑をかけた当人が時間をかけて謝罪をしようと思っていたのに、その繊細な気持ちを図らずにあっさり勝手にメールでその段取りをつけられてしまった場合です。

当人同士のいざこざで悩んでいた中でそのようなことがあれば、それは恩着せがましい人だと思われるでしょう。優しさという行為も時として「迷惑」に成り兼ねません。優しさという漢字のように、「心」がこもっていない行為は不快感となる場合があります。

どうやって恩着せがましい人を対処するの?

恩着せがましい人とは、自己満足を得たい性格であることはご理解いただけたでしょう。つまり、自分勝手であるという特徴があります。相手の心情を察して言動ができれば最善ですが、人間は「100%同じ考え方の人」はどこにも存在しませんので、やはり「忖度」という「思いやり」という心が大切でしょう。

それには想像力も必要です。「これをしたら相手がどう思うか」という想像ができれば、周囲に「恩」を着せずに済むでしょう。それでは、各ケースごとの恩着せがましい人への対応の仕方をご説明いたします。

親の場合は?

「自分の子供は目に入れても痛くない」といわれますので、親からすれば自分の子供は可愛くて仕方ありません。ですが、肉親とはいえあまりにしつこかったり、恩着せがましい対応ばかりですと子供側もストレスを抱えてしまうでしょう。

肉親ですので、親の愛情はとても嬉しいものですが、苦労させないようにと何でも先回りをして済ませてしまうと、子供は何も経験できずに成長もしません。

「自分で体験してみたいから。」という言葉で伝えれば理解してくれます。やはり、親子といえども言葉で伝えることが1番良いです。親子だから言わなくても通じるだろうと思っていては結局伝わりません。なぜなら、家族とはいえ考え方が100%合致することはないからです。

上司の場合は?

恩着せがましい上司の場合ではどうでしょうか。このケースも後輩が失敗しないようにと先回りして仕事の対応をするという状況もあります。

後輩からすれば優しい上司と感じる場面もあれば、うっとおしく恩着せがましいと感じる場面もあります。中にはどうしても自分が判断して他人には任せられないといった性格の上司もいるでしょう。あまりにも度を超えている場合はそのまま全て上司に丸投げしましょう。本人の望むことですので、きっと互いにスムーズな業務をこなせるでしょう。

彼氏と彼女の場合は?

彼氏や彼女が恩着せがましい場合ではどうでしょうか。好きな二人同士ですが、ここにも「人間関係」というものが生まれます。

人間は、多かれ少なかれ「喜怒哀楽」を持っています。ですが、秩序社会である以上その感情を振りまきながら生きて行けるケースはありません。

そして、好きが故に揉めたり、勘ぐったり、恩着せがましい行為をしてしまいます。好きという心の裏返しともいえますが、度が過ぎればそれはストレスとなるでしょう。

スマートさが大事!

親しい間柄のカップルで「恩を着せる」とはどのようなことでしょうか。たとえば、レストランで食事をする場合に顕れます。支払いの際に恩を着せるような行為があるでしょう。サラっと支払ってくれたならば、感謝の念が湧きますが、「払ってやってる」といった傲慢な態度でお金を支払う場面があります。

これでは、御馳走になった側もモヤモヤとした気持ちで、心から感謝できないでしょう。お金の問題は様々とありますが、「御馳走するならばスマート」「御馳走されるなら感謝」という態度で示すことで、恩着せがましいという感情はどちらにも湧きません。

親戚の場合は?

親戚という身内でも恩を着せたがる人はいるでしょう。とにかく、しゃしゃり出て自分で済まさなければ気が済まないという、せっかちな特徴もあります。

そのため、常にせわしなく落ち着かない親戚もいるでしょう。親戚といえども、人間関係は付き物ですので、些細なことでトラブルとなります。特に年齢差があれば、年長者の親戚は高飛車な態度の人も存在します。

●してやった
●(俺・私)のお陰だ
●ありがたく思え

といった、態度が多いでしょう。要するに、「自分の力が主体である」といった態度です。歳を重ねると、そういった傲慢で恩着せがましい人は増える傾向があります。

「明日は我が身」という言葉がありますが、若い世代の人々も歳を重ねる中で、恩着せがましい年寄りになってしまう可能性もありますので気を付けましょう。

友達の場合は?

友達同士でも恩着せがましい人が存在します。そもそも、上下関係ではなく、「良い事も悪い事も何でも話し合える」といった関係が友達です。その対等な関係の中でも自分のみ優位な立場に就こうという態度です。

たとえば、友人に「国語の参考書」を貸すとしましょう。そして、借りた側がその本で勉強をして参考書を貸した人よりもテストで良い点数をとった場合です。

恩着せがましい友人の場合は、「自分が貸してあげたからだ」といった言動を起こします。この場合では、本を貸すということに承諾した以上、その結果は致し方ないことですので、そもそも参考書を貸すことを断れば事なきを得たでしょう。

恩着せがましい人は努力不足なの?

様々な対人関係においてのケースをご紹介しました。恩着せがましい人というのは、どこの社会にも存在します。なぜなら、人間社会は「弱肉強食」であるということが一理あります。

恩を着せることで相手を見下し、自分は優位な立場に身を置きたいというのも人の心理です。そして、恩着せがましい人とは、自分が中心ではないと気が済まない稚拙な性格と言えるでしょう。

要するに、勉強・仕事・社会上で実力に自信がないため、周囲に「恩」を着せることを自分の実力としたがる傾向が強いでしょう。

自然に育てる心

社会生活内における実力とは、身に付けようとして容易に身に着くものではありません。やはり、地道な努力を陰でしていたからこそ、それが自然と実力となります。

花も同じです。
●種を植える
●水をあげる
●芽が出る
●茎が育つ
●花が咲く

以上のように、時系列を経て美しい花を咲かせます。いきなり咲く花はありません。地道な努力が美しい結果を自然と表わしてくれます。

つまり、恩着せがましい人とは努力に欠けるということです。「物やお金」という物質でアピールすることがあります。ですので、そういった恩着せがましい人には人が寄り付かなくなってしまうでしょう。

恩着せがましいと言われたらどうすれば良いの?

社会生活をする上で、周囲に「恩着せがましい」と直接言われてしまった時の対処法をご説明いたします。恩着せがましいと感じた人がいるということは、自分が相手に不快感を与えてしまったということです。

日本人は、気遣いの精神を持った素晴らしい国民です。直接言葉で言われるほどですので、相当な嫌悪感を相手に与えてしまった可能性があります。ですが、反面では信頼しているからこそ、直接言ってくれたというケースも存在します。

心の中でネチネチと思われているよりは、清々しい対応をしてくれたという想像ができるでしょう。本当に嫌いな人へは何も言わずに背中を見せて去っていくことが多いです。

ただ、相手に「恩」を着せてしまった内容が「無意識」なのか「意識的」なのかによっても、対処方法が異なります。それでは、順次ご説明いたしましょう。

詫びる心を持つ

<恩着せがましいことを無意識でしてしまった場合>
無意識での場合は、悪気がありませんので相手にも大きな嫌悪感を与えていません。ですが、「恩着せがましい」と言われたことは事実ですので、「無意識でやってしまった。」「申し訳ありません。」といった言葉で直接伝えましょう。しっかりと誠意を見せれば相手も許してくれます。

<恩着せがましいことを意識的にしてしまった場合>
意識して恩を着せてしまった場合は、少々根っこが深いケースがあります。「阿吽の呼吸」というように、親しい間柄であれば言葉に出さずとも空気で感じることができます。意識して、悪気を持って恩着せがましい態度を行った場合は、心から真摯なお詫びをしましょう。

言い難いこともあるでしょうが、相手も心を持った人間です。面と向かって目を見てお詫びをしてください。気軽なメールでは誠意は伝わりづらいでしょう。もしくは、手紙で伝えるというのも有効です。しっかりと「お詫び」の気持ちが伝われば、深い根の生じた恩着せがましい態度も水に流してくれるでしょう。

「研鑽」を経て生きることが人生の醍醐味

便利な時代だからこそ、地道な労力を経る行いが「研鑽」となります。人を動かすということはとても難しいことです。一時は強引に優位な立場に立てたとしても、それは永くは続きません。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」という素晴らしい言葉があります。つまり、人は権力だけでは周囲を動かすことができません。経験を積んで行けば行くほど「謙虚」な姿勢で生きて行くことが豊かな人生への足掛かりです。

「年上だから偉い」「若造だから見下す」といった考え方は人として間違っています。人間は表面的な年齢が全ての判断材料ではありません。心に刻む経験値こそが人を判断するいわゆる「年輪」です。自然の大木にも繊細な年輪があります。そして、四季折々の気候に沿った育ち方をします。そのため、強くてしなやかな木に育ちます。

自分の胸に手を当てて、恩着せがましいことをしてしまった思いがあれば、真摯な態度でお詫びをしましょう。100%完璧な人間はいませんので、それは、きっと許してくれます。そのモヤモヤとした気持ちが晴れれば、きっと素晴らしい人生が送れます。

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