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自分の存在意義や意味の考え方とその他のものの存在意義

自分の存在意義や意味の考え方

みなさんは、自分の存在意義について考えたことはありますか。とても難しい問題ですし、人によっては、自分の存在意義について考える意味なんてない、と言う人もいるでしょう。しかしここでは、とにかく真剣に自分の存在意義について考えていきます。

誰しも自分の存在価値を見出したい

人は、誰でも世の中に自分が存在していることに価値を見出したい、と心のどこかで考えています。全く無意味な人生よりも、何らかの意味がある人生の方が良いでしょう。そのため、「誰かのため」もしくは、「何かのため」に自分が必要とされているということを感じたいと思っています。それを感じることさえできれば、人は多少つらいことや嫌なことがあったとしても、気力をもってがんばることができます。

しかし、そういった意義を感じることができないと、周りの人や環境がどれだけ良いものであったとしても生きづらく、充実感を得ることができないような人生になってしまいます。存在意義や価値というのは、それくらい重要なことです。

蚊の存在意義

さて、自分の存在意義についてここまで詳しく見ていきましたが、ここからはいろいろなものの存在意義についても考えていきましょう。

まずは、多くの人が「必要ない」や「邪魔だし嫌い」と思っている「蚊」の存在意義について考えます。

確かに、蚊には病気などを動物から人間へ、人間から動物へと広めてしまう危険性も持っています。世界中では、毎年5億人近い人がマラリアという病気に感染していると言われています。さらにその中でも100万人が命を落としていると言われています。

最近では、黄熱病やデング熱、西ナイル熱や日本脳炎なども広めていると言われています。そういった面では確かに蚊は不要と考える人が多いのも大いにうなずけます。

この世界から蚊がいなくなったら

蚊の存在意義を考えるには、この世界から蚊がいなくなった場合のことを想定しなくてはなりません。

現在は、世界には3500近い種類の蚊が生息すると考えられており、その中で数百種類程度が人間の体を刺し、血を吸って生きています。つまり、人間が「不要」と考えている蚊は、蚊の世界ではむしろほんの一部と言うことができます。ということは、蚊の存在意義というのは、人間を基準に考えるよりも、他の動物を基準に考えた方が良いということになります。

確かに、科学者の一部には、この世界から蚊がいなくなったとしても、環境や生態系に与える影響はほんの一部であり、一時的なものである、と唱えている人もいます。そういった意味では、蚊の存在意義は小さいものになってしまうのでしょうか。

しかし、蚊は現在、ほとんどすべての大陸や国に生息しており、たくさんの生態系の発展を下支えしてきたと言われています。アメリカの研究では、蚊は1億年以上前から地球に生息しており、数多くの生態系とともに進化をしてきた、と分かっています。端的に言ってしまえば、今現在の身の回りの生態系というのは、蚊の存在なくしては成立しないということです。

蚊を食料にしている生き物もいる

生き物の存在意義を考える過程において、「弱肉強食」という観点は切っても切れない関係にあります。例えば、蚊が人間の血を吸うように、蚊を食べてここまで進化を重ねてきている生き物も存在しているということです。

生態系の発展に寄与してきた蚊が、この世界から葬り去られてしまうと、蚊を食料として生きてきた生物たちの生態系が脅かされ、さらに蚊を媒介として受粉していた植物たちも絶滅してしまう可能性があります。

特に、ある特定の種類の蚊が生息する北極圏のツンドラ地域は大きな打撃を受けると考えられています。この地域では、雪が解ける季節に大量の蚊が卵からふ化し、空を覆うほど大量発生します。その蚊がそこに住む生き物たちの食糧源となっています。そのため、蚊が絶滅してしまった場合、それらの生き物にも大きな影響を及ぼすと考えられています。

こういった観点から見ても、蚊にもある程度の存在意義があると考えることができるのではないでしょうか。人間にとっては煩わしく、嫌いな人多い蚊ですが、蚊をこよなく愛している世界もあるということです。そういった世界に目を向けることができると、今後蚊を見る目が多少変わってくることもあるでしょう。

NHKの存在意義

次はNHKの存在意義について考えていきます。NHKは、例えば番組を一度も見ていなかったとしても、テレビの受信機や、ワンセグを見ることのできる携帯やスマートフォンを所有しているだけで、受信料の支払いが義務付けれますので、煩わしく感じている人も多いのではないでしょうか。

しかし、NHKという存在がどういうものなのか、NHKの存在意義とは何なのかを知ってから、その是非を考えてみるのも良いのではないでしょうか。

そもそも、NHKの存在意義を語る上で外すことができないのが、放送法20条という条文です。多くのことが書かれていますが、ざっくりと説明をすると、全国どこに住んでいたとしても情報が適切に伝わるように放送設備を整えることを義務付ける法律です。

これをNHKの存在意義に当てはめて考えてみると、ニュースや天気予報、災害情報、国会中継などの国民に必要な情報を、日本全国どこに住んでいたとしても、例えそれが離島であったとしても、平等に受け取れるように放送設備を整えなければならない、ということになります。この存在意義はとても大きいものと言うことができるでしょう。

つまり、NHKの受信料は、これらの放送設備を整えるための費用ということになります。見ていない人も含めて、いつ他の民放を見られないような状況、場所に行くことになるかは分かりません。そういった時に、日本にいるののであればどこでも情報を受け取ることができるようにNHKは日々努力しているということです。

NHKの存在意義は薄れている?

確かにNHKには、上記のような存在意義があり、重要な役割を果たしていると言えます。しかし、最近ではその存在意義も薄れてきているのではないかと考えられています。それはなぜなのでしょうか。

まず大きな原因となっているのが、民放の増加です。放送法ができた当初は、民放が今のような数はなく、上記のような存在意義がそのまま当てはまっていました。しかし、具体名は出しませんが、今では数多くの民放が誕生し、インターネットテレビなども含めると、国民が情報を受け取る手段は際限なく増えてきています。

もちろんそれは離島なども同様であり、民放がまったく映らない場所は限りなく減ってきています。さらに、民放の特徴として、その地域ごとに支社を構えていますので、例えば天気予報や災害情報といった点では、民放の方がその地域にピンポイントの情報を届けてくれることも多いです。災害時にわざわざNHKでチェックする、という人は少ないのではないでしょう。

国会中継

ただし、NHKが完全に覇権を握っている分野もあります。その代表が「国会中継」です。国会中継に関しては、NHKがほぼ独占しており、よほどのことがないかぎり民放では行われません。

しかし、国会というのも、通常国会、臨時国会、特別国会とありますが、年中開かれているわけではなく、開かれていない期間も多く存在します。そのため、国会中継があるからNHKには存在意義がある、と語るのは少々大げさな感じもしてしまうでしょう。

ウイルスの存在意義

次は、少し変わった観点から「ウイルス」の存在意義について考えていきます。

ウイルスとは、真菌や細菌よりもはるかに小さく、生きた細胞を持つ人間や動物に侵入することにより、増殖する感染性微生物です。難しい言い方をしていますが、自らの力では生きることができず、大きな細胞に寄生することで生きている微生物を指します。

それでは、なぜ自分だけでは生きていくことすら困難なウイルスは存在しているのでしょうか。その存在意義について考察しましょう。

遺伝情報のコピー

確かにウイルスは自分だけで生きていくことはできません。それでは存在している意味がさほどないように感じてしまうのもしょうがないでしょう。しかし、人間もウイルスと大きくは変わらないのではないでしょうか。

みなさんは自分が一人だけで生きているわけではないことはよく理解しているでしょう。仕事をするにも、食事をするにも、何をするにも完全に一人で生きていくことは難しいと言えます。また、一人で生きていくことにさほど大きな意味はありません。自分がだれかに生かされているように、自分もまただれかを生かしています。そこに人間の存在価値があります。

生物の目的は「子孫を作ること」、その一点に尽きます。もちろんそれは私たち人間も同じです。意識して子孫繁栄のために生きているわけではありませんが、究極の目的としてそれがあることは間違いありません。そしてそれは、ウイルスも同じです。

人間や一部の生物は、生殖行為や自分自身を分裂させることで遺伝情報を後世へとつないでいます。ウイルスの場合は、それが他の細胞に寄生し、遺伝情報をコピーするという方法だったということだけです。要は、手段が違うだけで人間の存在意義とウイルスの存在意義はほとんど変わらないということです。

天皇の存在意義

次は少し大きなテーマとして「天皇」の存在意義について考えていきます。そもそも、天皇に関する話題というのは、日本ではなかなかしづらい環境にあります。天皇の存在について語るというのは、時に「不敬」だと言われ憚られる傾向にあります。しかし本当にそれで良いのでしょうか。

日本は今、天皇主権ではなく国民主権の国です。戦前の大日本帝国憲法下では、天皇主権だったわけですから、天皇の存在意義について考えるというのがあまり適切ではないという考えもあったでしょう。しかし、現在の日本国憲法の下では、私たち国民が主権者であり、主権者たる私たちが「天皇」という役職を与えているという立場です。

それでしたら、本当に天皇は必要なのか、そもそも天皇の存在意義は何なのかという点について、もっと国民的議論を活発にし、昨今問題となっている女性宮家などにも国民全員で考えていくべきでしょう。

みなさんも、まずはこの記事をきっかけに、天皇の存在意義とは何なのか、天皇は本当に必要なのかという点について思いをはぜてみてください。

日本国憲法第1条

天皇の存在意義は、日本国憲法第1条にあると言えます。むしろそれだけが天皇が存在している理由です。日本国憲法第1条には、天皇は日本の「象徴」という文言があります。天皇は日本の象徴であり、象徴でしかないと言えます。それ以上の役割はありません。まずはそれを理解しましょう。

しかし、そもそも日本がここまでずっと「日本国」として存在しているのも天皇家という一つの柱があったからとも言えます。天皇家は、神道の最高責任者として日本をここまで導いてきたと言えます。そういった意味でも、長年日本の象徴であったと言えます。

天皇という歴史があるからこそ、世界は日本を国として認め、今でも数多くの貿易や外交をしているということです。これらが、天皇家の今までの存在意義であったと言えます。

もっとも、今後も天皇家の存在意義が、上記のように認められるかは全く分かりません。宗教的意識が年々薄くなり、多様化されている現代において同じような存在意義は必ずしも認められないでしょう。天皇家の存在に反対する人も出てきます。そういった場面で、天皇家の存在について国民的な議論ができるのかどうかが今後の日本にとって重要になってくるでしょう。

労働組合の存在意義

それでは次は、みなさんの身の回りにも存在している「労働組合」の存在意義について考えていきます。

労働組合がない不安

労使がしっかりとした強い信頼関係で結ばれている労働組合が存在しているということは、会社の発展に寄与することは言うまでもないでしょう。労働組合がなく、不満やストレスがたまったとしても、それを相談・解消することのできない職場でいい仕事をしようと思っても、それはなかなか難しいでしょう。

労働組合は、働く人間にとって必要不可欠なものであり、一人の力では成し遂げることができないことを、労働組合を柱として、みんなの力を合わせることによって達成します。それが労働組合の基本的な目的であり、もっとも重要な存在意義と言えます。

働く環境の向上

ここからは、具体的に労働組合が何をしているのかをいくつか紹介していきます。

仕事をする上で、賃金はとても重要なものです。賃金の不満や、職場の環境を良くしたいと思っても、労働組合が存在しなければ、それを訴える場所がありません。近年ではセクハラやパワハラなどの問題の処理も行える機関として労働組合の存在意義の重要性が増しています。

上記のような問題を、あまり身近に感じたことのない人は、とても幸せな環境で働くことができていると言えます。しかし、例えば人員整理などで職場の仲間がやめなければいけないことになってしまった場合、「労働組合があればよかった」と実感することになるでしょう。

毎日仕事に追われながら仕事をしていると、なかなか労働組合の必要性に気付くことはできません。また、「働いてお金さえもらうことができれば」と思うようになってしまいます。しかし、それは大きく間違っています。

働いている人は、働いてお金をもらう権利だけでなく、適切な環境で働く権利も有しています。それらを満たすためにも労働組合は存在しています。この機会にぜひ、労働組合のあり方や必要性について考えてみてください。

労働組合で雇用を守る

労働組合の存在意義として大きなももとして、働いているものの雇用を守ることというのがあります。確かに企業には、雇用の自由があります。しかし、好景気だからといって無計画に大量の人を雇い、不景気になったとたん人員整理をして大量リストラ、なんてことをされたら、働いている側としてはたまったものではありません。

労働組合がない場合、もし不当な解雇があったとしても、労働基準監督署などに出向かなければならず、そうなってしまうとハードルが高くなってしまうので多くの人が泣き寝入りをしてしまうことが多いです。しかし、そんなときに労働組合があれば、もっと身近な存在として相談したり、実際に不当解雇を訴えたりすることができます。

一人ではできないことであっても、労働組合を柱として実践し、働いている人の雇用と生活を守ることができます。これも労働組合の存在意義として大きな役割を果たしています。

賃金や労働条件の改善

働いている人の生活は、その対価として支払われる賃金によって支えられています。その重要な賃金に不満や納得できない部分があっても、労働組合が存在していなければ、どうやって解決していけば良いのか分かりません。一人ずつが会社に直談判したとしても、なかなか相手にしてもらえないでしょう。

さらに最近では、「労働組合が存在していても、していなくても賃金に差は出ないのだから、組合費を取られない分そっちの方が良い」と考えている人も多いです。しかし、それは大きな誤りです。

初任給の額が一般的であったとしても、年齢を重ねても給与があまり上がらなかったり、賃金体系が不透明だったり、さらに福利厚生が不十分だったりと、しっかりとした労働組合があるのかどうかというので大きな差になってしまうことが多いです。

薬剤師の存在意義

次は、多くの人にの職業の中から「薬剤師」の存在意義について考えていきます。薬剤師を目指している、という方はぜひ参考にしてみてください。

薬剤師の価値

薬剤師は、昔から多くの人にの職業です。その理由の1つとして、「収入」の高さがあります。やはり、「薬剤師=高収入」というイメージが多くの人の中にあります。現実では、なかなかそうもいかないのですが、難しい試験を受けて資格を取得しているわけですから、多くの収入を得ているはず、そのようなイメージを持っています。

しかし、薬剤師になれば今後の人生が安泰かと言われれば、なかなかそうもいきません。特に最近は、今後の薬剤師業界は大丈夫なのか、という声がかなり上がっています。その原因の1つに、昨今国が推し進めてきた「医薬分業」にあります。

医薬分業の結果、日本特有の「門前薬局」と呼ばれる調剤薬局が1997年以降一気に増加しました。医薬分業を行い始めた当時、国は門前薬局を増やすために調剤報酬を増やしていました。その結果として、門前薬局は膨大な数に上り、財政を圧迫し始めました。その結果として、国は調剤報酬を引き下げにかかりました。

そして、さらに問題視されているのが「薬剤師の価値」です。要は、高い報酬を得られるほどの価値が薬剤師の仕事にはあるのか、ということが問題になり始めました。薬剤師の仕事は、袋に薬を詰めるだけ、そんな風に考えてしまう人が出てきました。

薬の情報提供

しかしもちろん、薬剤師は大きな存在意義がある仕事です。そしてその役割の大部分を占めるのが、「薬の情報提供」です。みなさんは、薬を正しく選択し、正しく飲むことができますか。自分の身の回りに起こる症状などを、適切に薬で対処することは難しいです。

そして、調剤業務というのは、薬剤師の独占業務であり、処方箋の調剤は薬剤師しか行うことはできません。そういった意味でも、薬剤師の仕事には大きな存在意義があります。

参議院の存在意義

次は、国の機関から「参議院」の存在意義について考えていきます。

二院制

参議院の存在意義を考える上で、切っても切れない関係になるのが「二院制」という制度です。日本では、衆議院と参議院の二院制を採用しています。

さてそれでは、二院制の存在意義について考えていきます。二院制の存在意義については、日本国憲法には何も説明がありません。しかし、一般的には、多様な国民意思をを反映するため、より慎重に議論を行うためという2つの理由が挙げられることが多いです。

まず、多様な国民意思を反映するということについては、憲法が衆議院議員の任期を4年、参議院議員の任期は6年、さらに衆議院は解散あり、参議院は3年ごとに半数改選というように制度を変えています。また、それぞれの被選挙権の年齢も異なります。

つまり、任期が短い衆議院議員は直近の民意を反映するために存在し、任期が長い参議院議員は、長期的な目で国民の意思を反映するという役割の違いが生まれます。要は、長期的な国民の意思を反映させるために参議院は存在しています。

また、慎重な審議を行うことについては、任期が短い衆議院では総選挙のたびに議論が中断してしまい、連続性に乏しいというデメリットがあります。一方で参議院は、任期が長期であることから、安定して議論を重ねることができます。需要な法案などは、特に長い時間をかけて議論をしてもらいたいものですから、参議院を利用してしっかりと議論できるというのは大きな存在意義ではないでしょうか。

父親の存在意義

次は、家庭内での「父親」の存在意義について考えていきます。

肩身が狭い父親

世間一般では、父親は肩身が狭いものとして知られています。みなさんの中にも、父親についてあまり良く思っていない人も多いでしょう。中には、父親には存在意義なんてない、と考えてしまっている人もいます。また、父親の存在意義はお金を稼ぐこと、そう割り切ってしまっている奥さんなどもいます。しかし、本当にそれが良いのでしょうか。

「父親」と言うからには、その人にはお子さんがいるのでしょう。そこでここでは、父親の存在意義について考えるために、子供の成長と一緒に考えていきます。

乳児期

まずは子供が乳児期の場合です。乳児期の場合、父親は子供遊び相手の際たるものとして認知されています。子供は、母親に安らぎを求め、父親からは遊びを求めます。そういった意味で父親の存在意義は大きいです。

また、父親が子供としっかり遊ぶことで、子供の言語能力や認識能力を向上させ、結果としてIQの上昇が見込めるという研究結果もあります。子供に「パパとママのどっちが好き」と尋ねると、「ママ」と答えることがよくあります。

確かに悲しいことではありますが、お父さんはこれにめげてはいけません。この時期の子供は、しっかりとお父さんという存在を認めていますし、嫌いなわけではありません。今まで通り遊んであげてください。

小学生

次は子供が小学生になった段階です。この時期の父親は、いい意味でも悪い意味でもお手本になっています。仕事をして、家庭を支えているお父さんの姿を理解し始め、父親を目標に頑張ろうとする時期です。

しかし、だからといってあまり干渉しすぎると、子供は頼りすぎてしまう傾向にあります。父親の存在意義は、どっしりと構えて重要なときにサポートするということに尽きるのではないでしょうか。

中学生~高校生

最後は、子供が中学生から高校生になった段階です。ここで父親の存在意義を発揮するには、いかに具体的なアドバイスをすることができるかどうかにかかっています。この時期は、父親が一番邪険に扱われることが多い時期です。しかし、それにもしっかりと理由があって、多くの場合は「適当な助言」が理由です。

具体的には、「もっとがんばれ」や「勉強しなさい」といった何も具体性がないアドバイスは、思春期を迎えた子供にとって不快感を募らせます。ここで大事なのは、長い時間をかけて一人の人間として接することです。

子供だから何とかしてあげなきゃ、ではなく、一人の人間として子供がどうして欲しいのかを考えることが大事です。時には言葉ではなく背中で語ることも大切でしょう。そうすることで、父親は子供の憧れでい続けます。

国連の存在意義

次は、少しテーマを広げて「国連」の存在意義について考えていきます。

世界平和

国連の存在意義は、一般的には世界の平和や秩序を守るために存在している、と考えられています。しかし、第二次世界大戦後に国際連合ができてからも、朝鮮戦争やイラク戦争などが勃発しており、決して戦争のない平和な世界になっているとは言い難いです。また、最近ではイスラム国という新たなテロ国家も誕生し、「国連は何をしているんだ」という意見が出てきているのも事実です。

さらに最近では、北朝鮮問題でも国連の存在意義は問われています。北朝鮮が核実験やミサイル実験をするたびに、国連では「非難声明」や、北朝鮮を追い込むための「制裁決議」を行ったりしています。しかし、それにより北朝鮮の過激行動は終わることはなく、むしろ激しさを増している一面もあります。そのようになってしまうと、「国連の決議は意味があるのか」という意見も出てくるのは当然でしょう。

また、国連を語る上で外すことができないのが、「拒否権」という制度です。拒否権があるからこそ、参加国の意見をまとめて機能させるはずの国連が機能不全に陥っているという意見もあるくらいです。以上のように、国連の存在意義には、かなり多くの人から疑問の声が上がっています。

しかし、世界の国々をひとまとめにする機関の必要性は多くの人が感じています。その中で、現在の国連のままでいいのかということは、今後も議論をする必要性があるでしょう。

親知らずの存在意義

最後は、煩わしいものの代表とも言える「親知らず」の存在意義について考えていきます。「親知らず=痛い、抜かなければいけない」というイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。確かに、あまりいいイメージを抱くことは少ない親知らずですが、それではなぜ親知らずは存在しているのでしょうか。

親知らずは不要?

そもそも親知らずとは、大臼歯の中で一番奥に生えてくる第三大臼歯のことを指し、10代で生えてくる人もいれば、20代になって生えてくる人もいます。しかし、最後まで親知らずが生えてこない人生を送る人もいます。その方がうらやましいと思っている人も多いでしょう。

人間に親知らずが生えるシステムが備わっているということは、親知らずが人間にとって必要だった、ということです。しかしそれははるか昔の時代です。

はるか昔、人間は固い木の実やまともに調理されていない固い肉を食べて生活していました。それが主食でした。そして、それらを食べるためにはしっかりと噛む必要があり、あごの骨が発達するようになりました。そうすると、あごが大きくなり口の中のスペースには余裕が出てきました。そこに親知らずが生えてきた、ということです。

昔の人々にとって、歯は今以上に大切なものであり、なくては生きていけないものでした。そのため、大人になるにつれて生えてくる親知らずは、人として生きていくために大きな意味を持っていたと考えられています。しかし今では、食べ物も柔らかくなり、歯の必要性も少なくなってきてしまっています。その結果、親知らずの必要性・存在意義はかなり薄れてきてしまっていると言えるでしょう。

いろいろなものの存在意義を考えてみよう

今回は、さまざまな種類のものの存在意義について考えてみました。確かに、ものの存在意義を考えるということは、面倒な面もあります。しかし、存在意義を考えてみると、そのものの背景にあることや歴史などにも迫ることができ、時には多くのことを学ぶことができます。そういった意味では、存在意義を考えるというのは人生において有意義な時間と言えるでしょう。

また、「存在意義は」の問いに対する答えは1つではありません。極端に言うのであれば、人それぞれ答えが違っても良いということです。誰に批判をされても気にする必要性はありません。だからこそ、気になったものはぜひ存在意義を考えてみましょう。

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