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感情論で話す人の特徴10コと対処法・感情論の意味/具体例/対義語

「感情論」とはどういう意味の言葉なの?

人間には、会話の手段に色々な方法論を用います。その中でも「感情論」という話し方がありますが、その言葉には一体どのような意味があるのでしょうか。

まず、結論から先に述べますが、
「理性と知性に欠け、感情のまま、思いつくままに言葉を発して論ずる」という意味の言葉です。

つまり、「自分勝手に思ったままの発言をする話し方」ということです。社会上では、あまり「良い意味」で使われることのない言葉です。

今回は、「感情論」にまつわる内容を多岐にわたってご紹介いたしますので、ご覧ください。

「感情論」は失態を誘発してしまう

人は千差万別の感情を持った生物です。社会生活において、その感情が高揚する場面もあります。感情がどのような場面で顕れるかによっても、周囲の捉え方が異なってきます。

つまり、感情論とは「個の想いを周囲への気遣いをすることなく吐き出す」ということが言えます。

社会生活上において、一方的な感情論を述べるということは、時に失態を誘発するケースがあるでしょう。たとえば、会社内で仕事への考え方の折りが合わず、口論となってしまい感情論でのぶつかり合いで「埒が明かない」という場面があります。また、中には感情論で相手を屈服させようとするケースもあるでしょう。

<感情論で話す人は上から目線>
感情で相手へ訴えかける内容ですので「傲慢」な話し方となるでしょう。時には相手へ「上から目線」な話し方という印象を与えてしまいます。

向上心が豊かさを育む

感情論で物事を話す人は、社会上や家庭内においてストレスが溜っています。それぞれの営みのなかで感じる「負担」が過度に積み重なっているという疲弊した精神状態です。

つまり、不安定な精神状態に陥り、感情論での発言に繋がってしまうということです。感情とは、万人が感じている「それぞれの心持ち」のことですが、「ネガティブ」な部分にだけ視点を合わせてしまうと、全ての行いが「卑屈」に見えるでしょう。

大きな心持ちを意識するように、「マイナス思考のネガティブな心」を払拭して、「向上心のある前向きでポジティブな心」を持つといった精神が必要です。

ストレスを想定しておけば安心

人は社会生活を営む上で、それぞれが多かれ少なかれ「ストレス」を受けて生活を営んでいきます。ただ、その溜まったストレスを発散しなければ、「最上の人生の歩み」や負の状況からの脱却、改善はできません。

<ストレスとは>
そもそもストレスとは、「自分が想定していないこと以外の状況を切迫された状態」です。要するに、想定外の状況が目前に迫ると、それに対応できないということが負担となります。

想定ができる「悪事」や「感情論」へは柔軟に対応できるのも人です。つまり、予想外の事態が起こることで、人は焦り、心が落ち着かなくなり、「感情論」を発してしまうことが多いでしょう。

ですが、ストレスを受けないで生きている場合、それにも問題が生じます。つまり、「お山の大将」という状態です。成人しても「世間知らずのわがままな人格」となるでしょう。そのような人は、残念なことに往々にして周囲への「気遣い」という「道徳心」・「思いやり」ということを心得ていません。

「感情論」には「的確」と「支離滅裂」の2つがある

相手が、どのような立場の人であれ、一時の激情した「感情論」で会話してしまう場面があるのも人間です。つまり、お互いが自己主張を持っている場面では、自然とその想いや感情のぶつかり合いとなるでしょう。

ですが、職場での感情論は時に殺伐とした空間になります。気持ちが激高し、その高ぶりが抑えられない状態ですので、周囲の人は驚いてしまうでしょう。

「的確な意図のある内容の感情論」であれば、周囲も納得します。ですが、支離滅裂な感情論では、瞬間的に「自分勝手な意見を一方的に述べてしまう」ということも往々にしてあるでしょう。

「説明すること」が肝要

たとえば、「正解A」と「不正解B」という2種類の選択肢があり、「2人の人が主張する答えが食い違っている」という場面を例にしてみましょう。

一方は、答えが「Aで間違いない」と確信していても、その想いを言葉に出せない場面が社会上ではあります。要するに、もう一方の相手は間違いに気付いていないケースです。

このような場面では、立場によっても話し方が変わることがあります。ただ、感情論のみしか手段を知らないと、現場は殺伐とした雰囲気となってしまうでしょう。

「答えは絶対にAです」といった論じ方では、相手は不快感を持ちます。なぜなら相手は答えが「B」だと確信しているからです。

確実に答えが「A」であれば、それに関する「説明」をして差し上げましょう。そして、その考え方を諭せる論じ方ができれば、「感情論」で言い争う場面は減ります。

「忖度」できる日本人は素晴らしい

感情論とは文字のように、「感情で論ずる」ということがおわかりいただけたでしょう。要するに、コントロール不能な気持ちが爆発して会話をしている状態です。

人間ですので、「怒り」という感情は誰しもが持つ自然な心です。ですが、その「怒り」の気持ちを持ったまま言動を起こしていると、周囲は不快感を持つでしょう。なぜなら、「感情は殺す」ということが、日本人が持つ素晴らしい国民性であるからです。

そして、日本人には「忖度する」という素晴らしい心の特徴を兼ね備えた国民性があります。要するに、相手や周囲の心を「慮る」という心遣いができる、世界から見ても特に素晴らしい人種です。

過剰な「欲求」は我慢する

感情論で話をする人は「欲求不満」ということも言えるでしょう。つまり、自分の思ったように全ての内容が進まずに、苛立ちを隠せない状態です。

常に「人のあら探し」をしたり、「相手を見下す」性質があります。人は、「十人十色」の性格があります。そのため、世の中には「良い人」ばかりではなく、「悪い人」も存在しています。どちらが、正解や不正解ということではありません。それぞれの状況で人は自分にとって都合が良い選択をします。

個々の考え方を持ち、生きて行くのが人生ですが、自分の欲求を他人へ押し付けたり、強要することが「感情論のはじまり」とも成り兼ねませんので、状況を判断して最善な方法を選択することが最良です。

「人」も「草木」も同じなの?

感情論のみでしか論ぜない人は「幼稚性」を持っているという性質もあります。つまり「わがまま」で「自己中心的」な特徴があります。

社会で揉まれた経験があれば、「角が取れて丸くなる」傾向がありますが、その経験がない場合、自ずと角張ったままの性格です。

周囲の先輩や上司に「叱られた経験」がなく「幼少時からチヤホヤされて育った」ケースが非常に多いです。つまり、自分が全ての主導権を握らないと気が済まない性格です。こういった性格のまま成人すると、周囲へ悪影響を及ぼす可能性も出てきます。

<叱ることも教育>
褒めて教育をするパターンが多いですが、それが「正解」とならないケースも存在しています。人間は、他者に叱られた時、心から喜ぶ人はいません。ですが、「自分に叱られるだけの理由があった」という考え方ができれば、それは学びや教育となります。

「因果応報」というように、厳しい環境で育った草木はどのような状況でも成長しますが、温もりの中で育つ草木は、寒い場所で生きることができません。つまり、人間にも同じような考え方が当てはまる場面があるでしょう。

家族でも感情が出るの?

家族同士間でも、時として卑劣な感情論となる場合があります。やはり、家族とはいえ、100%同じ考え方の人間はいませんので、「すれ違った気持ち」を持ちながら、人生という生活を共にしてストレスを蓄積してしまう家族も存在します。

永い時間、同じ家の中で暮らせば、それぞれの感情がぶつかり合うことも多々あるでしょう。血の繋がった人間同士でも、お互いの主義主張は少なからずあります。ですが、その主張を常に剥き出して生活を営める家族は多くありません。

<家族は助け合いのできる素敵な仲間同士>
家族は、どれだけ親しい間柄の友人でも垣根を超えられない一体感があります。つまり、考え方は異なっても、「血の繋がっている数少ない仲間である」ということが言えるでしょう。

「10」の感情論で話す人の特徴

感情論で話す人の特徴を、「10」の例にして述べて参ります。

①「個人的欲求」を爆発させる
②「状況判断」ができない
③ストレス過多
④落ち着いた心が持てていない
⑤思いどおりにいかずにイライラする
⑥相手を見下す思想が強い
⑦自分だけが正しいと思い込む
⑧我慢をし続けていたストレスが爆発する
⑨価値観を共有できる人がいない
⑩人生を楽しめていない

以上のような「10」の特徴を持つ人が「感情論」で話す人です。つまり、「自分の考え方が絶対に間違っていない」という独りよがりの思い込みが激しく、その気持ちの行き場を失い、「感情論として言葉にして発してしまう」ということです。

「感情論で話す人」はどうやって対処すればいいの?

感情論で話す人を「どうやって対処すれば良いのか」をご説明いたします。

●「自分の理論だけが正しいわけではない」ことを諭す
●冷静な視点で論点を述べる
●感情論になった経緯を伺う
●正しい道筋へのアドバイスをする
●立場を変えて考えることを教える

以上の対処法が最善です。感情論で話す人は周囲が見えていません。そのため、独りよがりの感情で会話をする傾向があります。

客観的・冷静な目線で「感情が高ぶった経緯」を伺い、適切な指示を述べましょう。理路整然とした話をしたり、しっかりと思想の矛先を修正していけば、相手の高ぶった感情も収まります。

礼節を忘れてはいけない

人間は、多種多様な性格がありますので、色々な対処を試みても改善されないケースが多々存在します。その場合、「骨折り損のくたびれ儲け」というように、尽力した労力や時間は、逆に大きなストレスとも成り兼ねません。

感情論でしか対話ができない人は、「礼節をわきまえていない」というケースが非常に多く存在しています。「親しき中にも礼儀あり」という言葉のように、礼儀の大切さを説きましょう。

「人は自分を映し出す鏡」ということもありますので、こちらが頭を下げれば、相手も頭を下げます。反対に、こちらが感情を剥き出しにすれば、相手も感情を剥き出しにします。

「尊敬できる人の話し方」を見習うことも社会勉強となります。ぜひ、素敵な話し方をする人を見付けて学んでみましょう。

「間」って大事なの?

相手の感情論にいつも付き合わされてしまうと、反対に自分がストレスを感じて、いずれは心身を疲弊してしまうでしょう。中には、いくら頑張って対応をしても「結果が改善しないケース」もあるでしょう。そのような場合、どうすればその状況から脱することができるでしょうか。

最終的な方法としては、「間を取る」という方法があります。人と人は「縁」で繋がりますが、嬉しいご縁もあれば、そうでないものもあります。縁が繋がったは良いものの、その継続の仕方に問題が生じたり、感情論となったりする中で、暴力事件が起きているのも事実です。

<距離間を保つことが肝要>
小さな論争から始まり、やがて暴力にまで及んでしまうと、お互いの信頼性・修復は困難です。悲惨な事件が起きないためにも、「間を取る」ということも必要です。

日本には、約1億3,000万もの人々が存在しますので、色々な考え方を持った人々が共存しています。感情論ばかりの相手から離れ、ストレスの中枢から抜け出せたケースは、いつの時代でも非常に多く存在します。

「負の感情」は忘れられる

個々の人生の中で、皆に同じ時間が与えられています。人類は皆同じく「1日・24時間」あります。その時間を有効に使うことで、感情を収めることも可能です。しっかりと働き、休んでいれば、偏屈な感情は忘れてしまうでしょう。

<人生は目的意識が肝要です>
感情が高ぶってしまう人は、人生の中に「楽しさ」を見出せていないケースが非常に多いです。楽しみ方法は無限にあります。どんなことにでも「人生の楽しみ」を見出して、それに没頭してみましょう。負の感情を忘却できるのも、人間が持つ素晴らしい能力です。

「感情論」の対義語とは?

感情論という言葉や内容は、おおむねご理解いただけたことでしょう。では、「感情論の対義語」には、どのような言葉があるでしょうか。

「理性」や「知性」、または、「論理的」や「道理的」といった言葉が反対の意味を持つ言葉です。

つまり、感情論とは、時として「混沌」とした意味合いのある内容と言えるでしょう。「理知的な話し方をする人」には魅力を感じても、反面の「感情的な話し方をする人」へは魅力を感じ難いでしょう。

「紳士・淑女」とはどういう人?

「落ち着いた心」で判断して対話できることが「紳士」や「淑女」という人々です。誰しも、品格を持ち、道理的に言動をしていれば、「紳士・淑女」という好印象を持たれますので、周囲からも一目置かれる存在となるでしょう。

つまり、「感情を剥き出し」にして話す人とは正反対で、「広い心を兼ね備えた人物」を差します。感情を前面に表出する人に「素敵な魅力」を感じるケースは多くありません。

色々な経験を経て、「多様な考え方を身に付けられる」ということも人生の中で「素敵」で「豊か」なことです。

相性が合えば許せるの?

多岐にわたり、内容を掘り下げてご紹介いたしましたが、ひとくちに「感情論」と言えど、その捉え方も人それぞれです。たとえば、「おとなしくて、どのようなことを考えているか分からない性格」よりも「ハッキリと物事を言う性格」に好感を持つ人もいます。つまり、人には「相性」があり、それにも「良し悪しがある」ということが言えるでしょう。

たとえば、衣類で「赤色」のみが好きな人もいれば「白色」ばかりを好む人もいます。この場合、どちらが正解や不正解ということではなく、「個々の相性や好み」というごく自然な現象です。つまり、相性が合えば何事も成立します。

適正な判断能力とは?

決断力に欠け、「可もなく不可もなく」といった性格の人もいるでしょう。その場合、社会生活に馴染めず、自分の意見を述べられない傾向の人が多いです。この傾向が強い人は、働く上で、生き甲斐を感じてないというケースが多いです。

または、「我関せず」という想いですと、意見交換ができずに周囲が困惑するケースもありますので、場合によっては少しずつ改善が必要です。

つまり、人生や心の在り方に「正解」は無く、「一長一短」ではありますが、色々な場面で適正を持った言動ができれば、より一層人生に豊かさが増すでしょう。

楽しみながら人生経験値を積んでいくことが肝要

感情論とは、「捉え方次第によって多様な見方ができる」ことがお分かりいただけたでしょう。100点満点の人はいませんので、切磋琢磨したり、研鑽をしたり、分かち合ったりする素晴らしい生物が人間です。

過度に萎縮したり、過度に感情を剥き出すことは最良の行いではありません。つまり、状況に応じた順応性を身に付けることが素晴らしい振る舞いとなるでしょう。

知らないことを段階に応じて経験したり、先輩や後輩、上司や仲間達に相談をして、学びながら歩んで行くと、誰しもが心豊かで素敵な人間となります。焦らずに1歩ずつ歩んで行けば、きっと素晴らしい豊かな人生を楽しめることでしょう。

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