Search

検索したいワードを入力してください

現在まで残る聖遺物一覧・日本にある聖遺物|星杯/アーク/血液

Small e10ff259 3a00 451c ac43 cffec73bfc0bayu
雑学 / 2017年12月18日
現在まで残る聖遺物一覧・日本にある聖遺物|星杯/アーク/血液

歴史を語る「聖遺物」とは?

「聖遺物」という言葉を耳にした人は多くはないでしょう。英語では「Relic」といわれ、遺物・遺品の意味を持ち、ラテン語の「残された物(remains)」から来ています。

聖遺物は単純に「残された物」ではなく、宗教や神に通ずるものが多く、その神聖さから歴史上でもこれを巡り争いが起きてきました。

聖遺物には人の歴史が刻まれ、それを紐解く事で古の神秘を感じられます。ここでは、聖遺物の概要、また現存する聖遺物や神話に登場する物、そして日本においての聖遺物についてみていきます。

現在まで残る聖遺物と聖跡

聖遺物は、主としてイエス・キリスト、その母マリア、またキリストの受難などキリスト教に深く関係し、古来より崇高な礼拝対象として扱われてきました。

そのため、現存しているものが多くあり、ここでは有名な聖遺物を紹介していきます。

聖遺物とは

まず、聖遺物の内容をみていく前に、そもそも「聖遺物」とは何かを解説していきます。

「聖遺物(せいいぶつ)」とは、主としてキリスト教の教派であるカトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難に関わる物をいい、広くは諸聖人の遺骸や遺品も聖遺物といわれています。

遺品や遺骸は古来より大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきました。キリストを始めとした聖人の遺骸については、正教会での不朽体に相当します。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となりました。

Blockquote firstBlockquote second

教祖や聖人の遺骸,遺品に対する尊崇は洋の東西を問わず多くの宗教に見られるが,通常はとくにキリスト教の諸聖人の遺骸や遺品をさす。奇跡を生む力があると信じられ,とりわけ中世ヨーロッパにおいて,有名な聖遺物を奉安する聖堂や修道院には巡礼が集まった。民衆の信仰の本質は聖遺物崇拝であった,少なくともそれが決定的な活力を信仰に供給していたと考えられる。4世紀にはすでに聖遺物崇拝が定着している。聖マルティヌス(サン・マルタン)の臨終(397)には,トゥールとポアティエの住民が集い,遺骸の帰属をめぐって争った。

聖杯

キリスト教徒でなくとも、「聖杯」という言葉を耳にした人は多いのではないでしょうか。

聖杯は、有力な説としてイエス・キリストが「最後の晩餐」で使用したとされている杯のことをいいます。最後の晩餐に使われたとされる物がスペインのバレンシア大聖堂に保管されています。

ただ、イエス・キリストの「血を受けた」とされるものがアメリカのメトロポリタン美術館に保管されており、考古学的に両方とも確定されたものではありません。

けれども、聖書の記述に準じるのであれば、聖杯は「最後の晩餐」で使用されたものである可能性が高く、それが有力といわれています。

聖書の記述では、最後の晩餐で弟子たちに杯の中身を分け与えた時、イエスは「これは皆のために流す、私の契約の血である」という言葉が残されています。「血を受けた」という表現はこの言葉に準じるものと考えられています。

聖槍(ロンギヌスの槍)

聖杯とともに知られることが多い聖遺物が、「聖槍」です。これは、別の呼び名の方がピンとくる人も多いでしょう。聖槍は、「ロンギヌスの槍」とも呼ばれています。

聖槍(ロンギヌスの槍)は、十字架の磔刑に処せられたイエス・キリストの死を確認するために、わき腹を刺したとされる槍です。

イエスの血に直接触れた物として、崇高されている聖遺物の1つとなります。また、キリスト受難の象徴でもあり、槍を刺したローマ兵の名から「ロンギヌスの槍」とも呼ばれています。

ただ、現存している聖槍は唯一のものではなく、いくつかの「聖槍」が発見されており、現在も複数が保存されています。

トリノの聖骸布

聖遺物に挙げられる「聖骸布(せいがいふ)」とは、磔刑されたイエス・キリストの遺体を包んだ亜麻布とされています。

けれども、歴史的には聖骸布とされるものはいくつかあり、そのどれが本物かという論争があります。ただ、現存する聖骸布が「トリノの聖骸布」のみとなっています。

爪先から頭までをすっぽりと覆えるほどの長方形の亜麻布を縦に二つ折りにし、遺体を挟むような形で包んだ聖骸布には、男性の全身像がネガ状に転写されています。また、血痕なども残されています。

全身像を残す血痕箇所や血痕状態については、聖書の記述と一致するところが多くあります。顔の暴行跡、背中や胸などの全身に及ぶ鞭打ち跡、頭部の棘の跡、十字架を運んだ際にできた右肩の擦過傷、脇腹の槍による刺し傷跡(水(血清)と血)などです。

そして、この聖骸布には腐敗の跡がないことは、腐敗する以前に布から体が離れていたことが考えられます。

ヘレナの聖釘

聖遺物の1つに数えられている「ヘレナの聖釘」は、コンスタンティヌス1世の母親ヘレナがゴルゴタに巡礼し、キリストが磔になった十字架を発見しました。このとき同じ場所で聖釘(キリストに打ち付けた釘)も探し出したとされています。現在、聖釘はモンツァ(イタリア)の博物館が所蔵しています。

聖跡(せいせき、しょうせき)

先に触れた「聖遺物」とは少し異なりますが、キリスト教の歴史上の遺跡(聖跡:せいせき)や聖人とされる人の事跡(聖跡:しょうせき)も併せてみていきます。

契約の箱(アーク)

「契約の箱(英名:Ark of the Covenant)」は、旧約聖書にあるモーセの十戒が刻まれた石盤を納めたとされている箱のことをいいます。注意したいのは、「聖櫃」との混同です。ユダヤ教・キリスト教において、「聖櫃」は「契約の箱」より広義のものをも含む言葉として用いられています。

契約の箱は、神の命令どおりにアカシアの木から作られ、箱の全てを純金で覆っていました。モーセの時代はまだイスラエル人が定住していませんので、担いで移動させていましたが、ヨシヤ王の時代以降は、主にシロの幕屋の至聖所に「契約の箱」を置いていました。

聖書ではヨシヤ王の時代に関する「歴代誌下」 35章3節の契約の箱の記述を最後に、直接言及される部分はなくなっています。歴史上から突如として姿を消したことから、「失われたアーク」とも呼ばれています。

聖ヤヌアリウスの血の奇跡

聖ヤヌアリウスは西暦305年に、ディオクレティアヌス帝による迫害が行われ、打ち首によって逝去したと伝えられています。

逝去ののち約100年後にボッツォーリの町で、キリスト教徒が埋葬されていた聖ヤヌアリウスの遺体を見つけました。遺体をナポリに移送中に、遺体の包みから血が滴り落ち始め、民衆を苦しめていたヴェスビオ火山の噴火も止んだと伝承されています。

当時の人々は、聖ヤヌアリウスが火山の噴火を止めたとして、彼をナポリの町を守護する聖人として崇めました。滴り落ちた血を集め、ガラスの容器に入れられました。これは、現在も教会に大切に保管されています。

この聖ヤヌアリウスの血は遺体がボッツォーリに運び込まれた5月と、彼が処刑された9月に公開されています。奇跡と呼ばれるのは、彼の血が「ヴェスビオ火山の噴火を止めた」だけではなく、渇き固まっていた血液がミサの最中に液状に変化し始めるためでもあります。

実在しない?聖遺物の一覧!

人の歴史を語る聖遺物は、古の神話や伝説にも深く影響を及ぼしてきました。そのため、現在では実在する聖遺物と架空のものとが混同してしまっていることがあります。

そこで、実在しない架空上の聖遺物を、それが登場する物語とともに紹介していきます。

アーサー王物語とエクスカリバー(聖剣)

「アーサー王物語」にも空想上の聖遺物が登場してきます。まずは、そのアーサー王物語についてふれていきます。

現在、アーサー王物語として広く世間に知られているのは、1470年にトマス・マロリーが纏め書き上げた作品である「アーサー王の死」が元になっています。この作品は、アーサー王を中心とする騎士道物語群になります。

中世後半になると、アーサー王伝説は騎士道文学の題材となり、各地でさまざまな異本やロマンスが作られました。その過程で本来は関係がない円卓の騎士の物語が徐々に組み込まれていきました。

さらに、ランスロットや湖の乙女、トリスタンとイゾルデ、パーシヴァル、ガラハッド、聖杯探求、石に刺さった剣(「エクスカリバー」)、円卓、キャメロットなどといった人物やモチーフはこの時期に導入されました。

エクスカリバー

「アーサー王物語」に出てくるエクスカリバーは、アーサー王が持つとされる剣のことを指し、ブリテン島の正当な統治者の象徴とされています。

また、エクスカリバーは、アーサー王伝説に登場しアーサー王の血筋を証明するために用いられた「石に刺さった剣」と同じものと考えられている説、別物と考えられている説とがあります。

エクスカリバーにはさまざな異称があり、カリブルヌスもその1つです。12世紀のジェフリー・オブ・モンマスは『ブリタニア列王史』において、アーサーの剣をカリブルヌス(Caliburnus)としました。

アーサー王物語がウァースの『ブリュ物語』を経由しフランスの吟遊詩人に取り入れられた際、カリブルヌスが変化し古仏語のエスカリボール(Escalibor)やエクスカリボール(Excalibor)などとなり、最終的に英語のエクスカリバー(Excalibur)となりました。

インドの叙事詩『マハーバーラタ』と黄金の鎧(聖鎧)

「マハーバーラタ」は、偉大なバラタ族の話になります。バラタ族は紀元前1500~1000年頃から有力部族として勢力を伸ばしました。この一族の物語を聖仙ヴィヤーサが象神ガネーシャに語る形を取り、原語はサンスクリット語となっています。

「マハーバーラタ」は神々が人間界を想像するところから始まり、中心となっている物語はカウラヴァ族(バラタ王の孫であるクル王の後裔であるクル族のこと)とパーンドゥ一族の2王族の不和、つまりバラタ族(バーラタ)の同族による18日間の大戦争の結果、パーンドゥ側の勝利となる顛末を記しています。

マハーバーラタに登場する「カルナ」は、パーンダヴァ(パーンドゥ一の子らという意味)5兄弟と敵対するカウラヴァの中心的人物の1人であり、彼には生まれながらに身に纏っていた黄金の鎧があります。

カルナの黄金の鎧

カルナは、クンティーがクル王パーンドゥの妃となる以前に、太陽神スーリヤとの間に生んだ子です。

クンティーは、太陽神スーリヤの子を産む条件として、生まれてくる子供が父と同じ黄金の鎧を身に纏い所有することを求めました。

クンティーの願いは受け入れられ、カルナは黄金の鎧と耳輪を身に纏った姿で生を受けました。黄金の鎧は、カルナの体の一部として繋がっており、脱ぐことができませんでした。けれども、この鎧が彼の体にある限り、カルナは不死身でした。

ギリシャ神話とアイギス(聖盾)

日本や世界でも有名な神話の1つに挙げられるのが、「ギリシャ神話」です。ギリシャ神話は、古代ギリシャの諸民族に伝わった神話・伝説を中核とした世界の始まりや形成、神々と英雄の物語となります。

古典ギリシャ市民の標準教養、古代地中海世界での共通知識として、広く知れ渡った神話の集成をいいます。そのため、登場する神々の多くは時間・空間といった概念、自然現象や天体といった壮大な抽象的な存在だけでなく、人間の感情などを人格も有した神のように表されています。

アイギス

「アイギス」とは、ギリシャ神話に登場する防具の1つです。主神ゼウスの物であり、のちにゼウスが娘の女神アテーナーに与えました。

数多の邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされています。鍛冶神ヘーパイストスによって創られたとされ、その形は盾、あるいは肩当て、胸当てのようなものとも言われています。

英雄ペルセウスが魔物メドゥーサを討伐し、その首を女神アテーナーに捧げると、彼女はメドゥーサの首をアイギスに嵌め込んだと伝えられています。女神アテーナーはメドゥーサの首を使い、アイギスをより優れた防具にしたといわれています。

日本に聖遺物はある?

先にも触れたように、聖遺物はカトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難に関わる物であり、また広くは諸聖人の遺骸や遺品も指します。

世界において聖遺物は崇高な礼拝対象なため、宗教的・政治的に所有するために幾度も争いが起きた歴史があります。一方、日本においてはキリスト教徒の弾圧と迫害が激しく、まともな宣教者や指導者もいない時代がありました。

そのため、諸外国のように「聖遺物」が日本には現存していません。けれども、キリスト教に殉教していった聖人と呼ばれる人たちの記念碑、隠れキリシタンが礼拝していたマリア観音像などが残っています。

記念碑

日本の歴史の中で、キリスト教信者は迫害に晒されていました。激しい弾圧や迫害にも屈指図にいたのが有名な「日本二十六聖人」です。

日本二十六聖人は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。厳密にいえば、この26人の内の20人が日本人となります。

磔刑終了ののち、彼らの遺骸は多くの人々の手で分けられました。日本で最初の殉教者の遺骸とされ、世界各地に送られて崇敬を受けました。残念なことに、日本に聖遺物として彼らの遺骸が残ることはありませんでした。

昭和31年に長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、史跡に指定しました。昭和37年に、二十六聖人の等身大のブロンズ像を嵌め込み記念碑と記念館が建てられました。

遺跡

日本の文化とキリスト教との出会いにより、江戸時代のキリスト教禁教令の布告期に、久留子紋(クルス=十字架)ができ、さらに茶道家からキリシタンも現れました。

茶道における「主客一如(茶席においてもてなす側ともてなされる側、双方が相手の気持ちや立場になり切って、お互いの心がひとつになること)」が、キリスト教の「神と人」に通じ、茶道の神髄を極めた者の中にはキリシタンが多かったといわれています。

久留子紋を家紋とし大事な武具や家具に十字架が刻印されたり、また聖母マリアに擬せられた観音菩薩像マリア観音像などが日本におけるキリスト教の遺跡といえます。

聖遺物を通じて歴史を学ぼう

聖遺物は、世界のキリスト教徒にとって崇高な礼拝対象であり、単純に「残された物」ではありません。そのため、世界で長く親しまれている「アーサー王物語」などにも深い関わりがあります。

ただ、日本においては残念なことに、聖遺物は現存しません。けれども、聖人と呼ばれる人達の記念碑やマリア観音像などとして残っています。

聖遺物にはひとの歴史が刻まれ、これからも多くの人達の信仰の対象として大切にされていくものでしょう。