Search

検索したいワードを入力してください

不思議な事件の特徴・世界や日本で起きた不思議な事件のまとめ

Author nopic iconkyoko
都市伝説 / 2017年12月08日
不思議な事件の特徴・世界や日本で起きた不思議な事件のまとめ

不思議な事件にみられる特徴は?

あらゆる科学が進歩した、コンピューター社会の21世紀にあって、現在もなお解き明かされない不思議な事件があります。

たとえば数々の古代文明などその例です。いまだに謎が多いのは、記録や文献などの類がほとんどないことが理由の一つですが、残された建造物や出土品などを手掛かりに、調べてゆくしかありません。

古代文明だけではなく、現代より数世紀前など不思議な事件も数多く存在します。不思議な事件の特徴は、その多くは人の死や失踪がつきもので、悲劇性が高いということです。

世界の不思議な事件は?

1978年10月21日、当時20歳だった空軍パイロットのフレデリック・バレンティッチの乗る軽飛行機は、オーストラリア本土からキング島までの上空を飛行中、突然連絡が途絶えました。

その夜は天気の状態は良く、訓練のためバレンティッチは飛行していました。ところが午後19時12分頃、突然連絡が途絶えます。軍は空と海を大捜索しましたが、遺体も飛行機の残骸も全く見つかりませんでした。

バレンティッチは、連絡が途絶える少し前に「上を航空機が飛んでいる」と報告してきていました。

UFO目撃情報

「自機の上を、航空機が飛んでいる」、「4個の光が見える、飛行機なのか?」その物体はバレンティッチ機の先を行ったり、接近してきたり、形は長く、グリーン色の光り、見た目の感じは金属製で、そのスピードは、こんなに速いものは今まで見たことがないと通信が途絶える少し前に報告してきていました。

それは一度消えて再び現れ、「あれは飛行機じゃない」彼は最後にそうつぶやき通信は絶えました。当時この不思議な事件は、世界中で関心と議論を巻き起こします。彼が、何度か管制塔にたずねていたように、当時は他の飛行機は、付近を飛行していませんでした。

またバレンティッチ機が飛行していたバス海峡上空は、以前からUFOの目撃情報が多く、その夜も飛行機のそばに光る物体を見たという人がいました。

事件の結末

オーストラリア政府はこの不思議な事件を単なる事故として片付け、パイロットの自殺なのではとの噂も流れました。5年後に飛行機の一部が海で見つかり、彼が乗っていたセスナ機と確認されています。しかしその海域は浅い所で、機体そのものも見つかっていいはずなのに、いまだに発見されていません。

魔のバミューダ三角海域

1945年12月5日午後3時45分頃、5機のアベンジャーが、コンパスが狂い位置が確認できないと連絡してきたのを最後に通信が途絶えました。数時間後乗務員13人が乗った大型飛行艇マーテイン・マリナーが救援に向かいます。しかし、5機のアベンジャーもマーテイン・マリナー飛行艇も跡形もなく消えました。

これが、後に「魔の三角海域」、「死の三角海域」などと呼ばれ、不思議な事件が次々と起きる始まりでした。バミューダ三角海域とは、アメリカのフロリダ半島とプエルトリコ島、バミューダ諸島をつないだ菱形の海域をさし、実は三角ではなく、菱形を形成しています。

この不思議な事件から20年の間に200人以上の行方不明者が出ていますが、もっと何世紀もさかのぼれば千人以上も上るそうです。

不思議な現象

バミューダ海域内に入り込むと、船と航空機のコンパスや羅針盤の針の動きが異常になり、海もそれまで穏やかで快晴だった天候が急変するそうです。

高い波が四方から襲って来て荒れ狂いだす、霧や雲が怪しくなり、大きなカーテンのように覆う、不思議な光を見たなど不思議な現象が現れます。

また航空機のパイロットも視界がきかなくなる、まるで目に見えない手で航空機を上下に動かされるなど、奇跡的生還者は語っています。

UFO誘拐説

史上最大のミステリーとされているこの不思議な事件は当時研究者や作家などが、バミューダ海域についての謎に迫った著書を出版し、やがて映画になったり、ノベルも出されました。

著書によれば、この不思議な事件の原因は、四次元の穴に落ち込んだとか、地球の引力と地磁気が他の海域より弱く、地磁気のなす渦巻きがあり、そこから宇宙人が出入りして、船や航空機を人体研究目的にさらっていったなど、その当時の人も疑う、愚にもつかない滑稽としかいいようのない内容でした。

メタンガスが原因か?

バミューダ海峡は、元々熱帯低気圧が発達しやすいほど天候の変動が大きく、海と空で、嵐など荒れ狂う状態が多いということです。遭難した船や航空機の中には、そういった不慮の災難も多いと現在では考えられています。

もっとも可能性の高い不思議な事件の真相は、海底に溜まっているメタンガスではないかといわれています。メタンガスは日本の海域にも存在していますが、色々な化学的作用で激しい衝撃を起こし、偶然その海上を航行していた船や、上空を飛行していた飛行機が電磁波で制御不能となり、悲劇がおきたとみられています。

また不思議な光もメタンガスの衝撃から生じたプラズマではと推測されていますが、まだこの不思議な事件は、完全に解き明かされていないので、今後の研究に期待しましょう。

日本で起きた不思議な事件は?

日本ではあまり知られていませんが、日本にもバミューダ海域のように、船や航空機が突然行方をくらます不思議な事件が起きる海域があり、ドラゴントライアングルと言われています。

ドラゴントライアングルは千葉県野島埼と小笠原諸島の西之島新島、グアムをつないだ菱形の海域で、実際三角形というより、細長い菱形です。この海域でも多くの船や航空機の影形が消え、消息がわからなくなっていて、不思議な事件とされています。

UFOに遭遇した江戸時代の人たち

江戸時代の人たちもUFOに遭遇して、不思議な事件を体験していた記述が残っています。1803年現在の茨城県の「はらどり」という名の海岸にうつろ舟が打ち上げられました。

お椀の口を上下2つ合わせた形に似た、小さな漁船を5艘並べたくらいの大きさで、舟の上方にはガラスがはめ込まれた窓らしきもの、下方の素材は鉄製らしいものでできていました。

舟の中に、奇妙な着物を身に付けた赤髪の麗人が乗っているのが発見されます。手には60㎝くらいの大きささの箱を大切そうに携えていて、漁師たちの理解できない言葉を話し、全く互いの意思疎通は不可能でした。ただならぬものを感じて、すっかり怖れおののいた漁師たちは、再び沖へ流して戻してしまいました。

解決済の不思議な事件の真相は?

日本にもあった魔の海域ドラゴントライアングルは、本当にバミューダ三角海域と同じように不可解な場所なのでしょうか。

1952年海上保安庁の船が、荒天でもないのに姿が消えて行方が分からなくなりました。後に調べたところ、当時海底にある火山の噴火活動の状態を調べるために観測していて、その噴火にあってしまったのが不思議な事件の真相でした。

また1970年に起きたカリフォルニア丸が沈没し、現場を伝えようと向かった飛行機も消息がわからなくなります。不吉で不思議な事件の連鎖と思いきや、実はかりふぉるにあ丸は高波が原因で沈んだのであって、乗組員はほとんど救い出されています。

飛行機も燃料が切れただけで、しっかり計算してたっぷり積んでいなかったのが理由でした。現在では、大方の遭難事故の真相はこのような原因で起こったものとみられています。

江戸時代に現れたUFOの真相

江戸時代の漁師たちは、UFOと宇宙人に遭遇したのでしょうか?この不思議な事件は、南総里見八犬伝の作家滝沢馬琴の随筆で、1825年に出された「兎園小説」に記された話の一つでした。実はこれとよく似たお話が100年前の1699年、尾張(今の愛知県)の侍の日記に書かれています。

また茨城には金色姫という女の神様の言い伝えがあり、蚕の繭のような形の舟に乗って海を行く話があります。物語作家滝沢馬琴が書き残したうつろ舟のお話は、この言い伝えを借用して書いたフィクションで、これが不思議な事件の真相です。

またうつろ舟には、奇妙で不思議な文字がありましたが、宇宙言語ではなく、それも当時交易していたオランダのアルファベットを取り混ぜてつくった文字だということです。

実話の不思議な事件・事故は?

この不思議な事件は、船にまつわる最大の海のミステリーです。1872年12月5日イギリス船ディ・グラシア号は、大西洋をさまよう2本マストの幽霊船メアリー・セレスト号を発見しました。船には誰一人乗っていませんでした。

ディ・グラシア号の乗務員が船内を調べたところ、原料アルコールの樽が破壊され、中のアルコールが流れ出ていました。食べ物と飲み水は十分な量が貯蔵され、船乗りたちの衣類などは残されていました。

船長がつけていた日誌の最後の日付けは、11月25日、約9日間誰も乗る人なく広い海をさまよい、日誌に記された所から1230キロも漂流していたことになります。それにしても船長一家はじめ船員7名は一体どこへ消えてしまったのでしょう。

幽霊船メアリー・セレスト号

メアリー・セレスト号は、アメリカ船で、ニューヨークのイースト・リバーから、11月5日に出帆、目的地はイタリアのジェノアでした。船長のベンジャミン・スープーナー・ブリッグズ、妻のセーラ、2歳の娘ソフィア、7人の船員が乗っていました。

当時この不思議な事件をめぐってさまざまな推測がされ、法廷で議論されます。最も推測に上がったのは、船員が反乱をおこし、船長一家を殺害し、救出ボートで逃亡したという話です。しかしその場合、衣類や日用生活品など、何も持たずに逃げるとは考えにくいとアメリカ側は否定しました。

結局1873年3月、イギリスの法廷は、船をなぜ捨てたのか、乗務員はどこへ消えたのか何もわからないと結論し、不思議な事件として噂されました。

コナン・ドイル

その後の10年は不思議な事件を解き明かす糸口はなく、世間の人々にいつか忘れられていきました。再び人々が思い出すきっかけをつくったのは、「シャーロック・ホームズ」を生んだ推理作家コナン・ドイルでした。

コナン・ドイルは元々医師で、軍医や船医など経験を積み、イギリスへ戻ってきて23歳で開業していました。しかし、治療を求めて訪ねてくる患者はほとんど来ません。最初の頃は医者稼業はうまく軌道に乗りませんでした。

すでに文才があったコナン・ドイルは、家賃などの生活費用を稼ぐ手段と、時間つぶしを兼ねて小説を書いては色々な出版社に送っていました。そしてメアリー・セレスト号の不思議な事件を基に短編小説を書き、1884年雑誌「コーンヒル」に「J・ハバクック・ジェフソンの証言」のタイトルで刊行されました。

メアリー・セレスト号をめぐるうわさ

ドイルの小説がきっかけとなり、メアリー・セレスト号の不思議な事件は、再び世論が高まり興味、関心を引き付けました。金を積んだ無人の船を発見し、欲に駆られた船長や他の乗務員が自分たちの船を捨てたとか、化け物イカに全員襲われたというものなど憶測が飛び交いました。

メアリー・セレスト号の謎の真相

そんな中残された事実と状況を手掛かりに、もう一度冷静かつ丹念に調べてつじつまの合う理論をたどった結果、ある説が浮かびました。

積み荷の原料アルコールは、外気温の変化で樽に結露が生じたり、漏れたりします。ある時強風で樽が激しく揺れて、アルコールの中に発生した気体の圧力によって、樽のふたが物凄い勢いで吹き飛び、船が爆発すると思い込んでしまった船長が全員にボートに乗って避難するように命令しました。

その時、慌てていたためにボートを船に繋ぎませんでした。全く冷静さを失っていたのでしょう、それまで海は穏やかだったのに、ボートに移った後にスコールがきて、船から遠く流されていきました。

爆発などしないとわかって、必死にオールを漕いでなんとか船に戻ろうとしましたが、悲劇は避けられなかったというのが、不思議な事件の真相なのではとみられています。

真実を追い求める探求心を持とう

この世界には、まだまだ不思議な事件が数多くあり、中には人間の不安や恐怖心が生み出した想像、あるいは妄想の産物もたくさんあります。たとえば妖怪や神話の類です。

今回取り上げた不思議な事件の中にも、解き明かせばなんだ、そうだったのかという話もありました。大切なことは、そこに解明しなければならない事件や問題があったら、真実を探求することではないでしょうか。

それは決して不倫などのゴシップではなく、社会を脅かす殺人事件や深遠な宇宙の秘密などで、そのためには、迷信や非科学的な他人の言動に惑わされず、捉われず、理性的な態度で理論の筋道を立てて考えなければなりません。

Line@