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中国の愛新覚羅の子孫は医者なのか|台湾/日本/溥儀

Author nopic iconEMIMO
文化 / 2018年01月24日
中国の愛新覚羅の子孫は医者なのか|台湾/日本/溥儀

愛新覚羅の子孫がいる場所は?

清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀

時代に翻弄された溥儀

皆さんは、「ラスト・エンペラー」という映画を見たことがあるでしょうか。ラスト・エンペラーとは清朝最後の皇帝にして満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の呼び名で、この映画も溥儀の自伝を元に作られました。

わずか2歳10カ月で皇帝になった溥儀は、辛亥革命後に清朝が滅亡すると紫禁城を追い出され、日本公使館に保護されたのちに天津に住みます。その後満州事変が起き、清朝再興への強い思いを抱きつつ関東軍の誘いを受け、満州国の皇帝となりました。

しかし、建国から13年5カ月で、満洲国は日本の敗戦と共に崩壊を迎えます。日本への亡命を図った溥儀でしたが、ソ連軍に逮捕され、シベリアに抑留されてしまいます。

極東国際軍事法廷(東京裁判)に検察側の証人として出廷した後、中国に引き渡され戦犯管理所で9年間を過ごします。釈放後は北京の植物園で働くなどし、一市民としてその61年の生涯を閉じました。

溥儀に子孫はいるの?

実は、この有名な愛新覚羅溥儀の子孫が今でも多く存在しています。あまり聞かない名前だと感じるのは、清の滅亡後に満州族の姓であった愛新覚羅を漢姓に変えなければならなかったり、結婚して違う名前になっているためです。

「愛新覚羅」は清の皇帝の名前ですので、文革の時代には名乗ることが許されず、ほとんどの子孫が「金」という名前に変更させられました。(現在は元の愛新覚羅を名乗っても良いということになっています)。満州語で「愛新」は金という意味があります。

愛新覚羅溥儀には生涯で5人の妻がいました。しかし、子供はできませんでした。ですので、子孫というのは溥儀の直系の子孫ではなく、溥儀の弟や妹の子孫ということになります。

では、現在も存在する愛新覚羅溥儀の子孫は、一体どこにいるのでしょうか。

日本にいる溥儀の子孫とは?

溥儀の弟・溥傑

溥儀には男女含め10人もの兄弟がおり、兄弟たちの経歴を見てみると、中国で小学校の先生や託児所を経営したりと、多方面でご活躍されていました。

その中で、弟の溥傑(ふけつ)や妹の溥韞娯(プユンユ)の子孫は、現在日本に住んでいらっしゃいます。

特に知られている愛新覚羅溥傑は、満州と日本の架け橋として、昭和天皇の縁戚にあたる侯爵家出身の嵯峨浩(さがひろ)さんとお見合い結婚しました。明治中期以降に保養地として多くの文人墨客が訪れた千葉市の稲毛には、2人が新婚時代の半年間を過ごした家が残っています。

溥傑の2人の子供

夫妻には、慧生と嫮生という2人の子供が産まれます。長女の慧生さんは、天城山心中事件といって身分の違う青年との恋によりピストル自殺をし、亡くなられたことが有名です。妹の嫮生さんは日本に帰化され、結婚後は「福永」という姓に変わり、現在も兵庫県西宮市にてご存命です。

嫮生さんは、母親の出身地である東京で産まれます。そして、父親のいた満州に渡りましたが、満州の解体後、父親はソ連軍に拘束され、自身も母親と共に中国共産軍に捕らえられます。1年4ヶ月もの間中国大陸を流転し、1947年に日本に引き揚げます。父親は16年後に釈放された後、母親とともに北京で暮らしはじめますが、嫮生さんは日本に戻ってきてしまいます。

その後は母親の実家である嵯峨家で育つという生い立ちで、自伝「流転の子」を書かれています。嫮生さんには5人のお子さんがいますので、愛新覚羅の血が今も引き継がれているということになります。

台湾にも子孫はいるの?

愛新覚羅氏は満州(中国東北部)に存在した建州女真族という満州民族で、清朝を打ち立て、中国大陸から台湾までを広く統一しました。

現在200人ほどいると言われていいる愛新覚羅の子孫の多くは、文化革命後に出身地である遼寧省の瀋陽を離れ、もともとの本拠地である黒竜江省にて新たな生活を送っています。他に、中国東北部の天津に住む子孫も多く、中には台湾に移住した人もいます。

中国の愛新覚羅の子孫の名前は?

中国に住んでいる愛新覚羅の子孫は、どのような方々なのでしょうか。その中でも著名人である方々をご紹介しましょう。

清朝の記憶を持つ方の多くは、残念ながらお亡くなりになっていますが、その子孫たちが今でもご活躍されています。

愛新覚羅啓星さん(曾祖父が溥儀の従兄弟)

曾祖父が溥儀の従兄弟に当たる愛新覚羅啓星さんは、清の初代皇帝・ヌルハチから数えて14代目の子孫です。

黒髪に切れ長の瞳がクールな啓星さんは北京電影学院・演技科を卒業され、その演技力には定評があり、数々のドラマに出演されています。主演映画『雁鳴湖之恋』では優秀主演女優賞を受賞し、中国では「新時代の女優」と注目度が高まっています。

愛新覚羅啓笛さん(ヌルハチの13代目の孫)

歌手の愛新覚羅啓笛さんは清の初代皇帝・ヌルハチの13代目の子孫で、90年代に人気を集めました。結婚後は娘を出産し、現在はイギリスやオーストラリア、東南アジアと中国を行き来する生活をしています。

愛新覚羅恒鈦さん(曾祖父は道光帝の孫)

書家・画家であり、山水画が専門の愛新覚羅恒鈦さんは、曾祖父が道光帝の孫に当たります。

1954年に北京で生まれ、内モンゴルにて中学校の美術教師および自治区政協委員を務めた後、北京の書画研究院へ。書画研究院のウェブサイトでは「山水」という作品が見られます。

愛新覚羅顕琦さん(粛親王善耆の第17女)

2014年にお亡くなりになられた愛新覚羅顕琦さんは、第10代粛親王善耆の末娘(第17女)であり、最後の生存王女と言われていた方です。同じ母を持つ姉の1人が、日本でも有名な第14王女の「川島芳子」でした。

旅順(現在の大連)で生まれ、女子学習院(現・学習院女子高等科)へ留学、日本女子大学英語科へ進学しますが、日中戦争が激しくなり翌年帰国。中華人民共和国建国後は北京編訳社に入社し、翻訳関係の業務を行います。結婚した後は四川料理屋を経営します。

イデオロギー闘争に巻き込まれ、1958年には密告により逮捕、15年もの間獄中生活を送ります。文化革命でも強制労働をさせられますが、鄧小平に頼んで北京の文史研究館での職を得ます。

その後は日本政府の支援で河北省に日本語学校を設立し、日中を行き来しながら講演活動を通じて日本語教育に力を注ぎました。

愛新覚羅毓嶦さん(恭親王溥偉の第7子)

2016年にお亡くなりになられた書家の愛新覚羅毓嶦さんは、恭親王溥偉の第7子です。

清朝滅亡後の1923年に大連で生まれ、幼い頃から書に親しみ、清朝に伝わる書の流派を修めます。また、溥儀の要望で、宮廷内で溥儀の側近としての教育を受けます。父親の死後には形のみの恭親王の爵位を受け継ぎます。なぜなら満州国は清朝の皇族を、満州国の皇族として見なさなかったからです。

溥儀とともにシベリアに抑留された後、中国の撫順戦犯管理所に収容、不起訴となり釈放されます。しかし、文化革命では強制労働などのために書家活動の中断を余儀なくされたりと、辛い日々を過ごします。その後は中国書法家協会会員、北京書法家協会会員、中国老年書画研究会創作員などを務め、多くの傑作を残しています。

日本にいる愛新覚羅の子孫は医者なの?

中国の愛新覚羅の子孫は医者なのか|台湾/日本/溥儀

日本でも、愛新覚羅の子孫たちが多方面で活躍されており、中には医師として働いている方もいます。子孫の1人である愛新覚羅維さんは、名古屋大学医学部卒で、現在は東京大学医学部附属病院の眼科に勤務されています。

溥儀の妹、溥韞娯(プユンユ)の息子である王昭さんは、画家として東京の町田市で暮らしています。また、立命館大の満州語研究者の愛新覚羅烏拉熙春さん(吉本智慧子さん)は、清朝乾隆帝の第5子から数えて8代目の子孫で、祖父の愛新覚羅恒煦は鎮国公として溥儀に仕えていました。

他にも、愛新覚羅に関する内容をブログで発信している風水・占い師のゆうはんさんは、母方の祖母の家系が溥儀といとこ関係にあたります。満州民族はもともとスピリチュアリティの高い民族ですので、血を引き継いでおられるのでしょう。

新しい時代を生きる子孫たち

中国の愛新覚羅の子孫は医者なのか|台湾/日本/溥儀

いかがでしたでしょうか。すべての方が表立って知られているわけではありませんが、今でもたくさんの愛新覚羅の子孫の方々がご活躍されていることがわかりました。

時代の流れの中、生粋の満州民族である子孫の方々は少数になってしまいました。しかし、国を超え、さまざまな場所で脈々と受け継がれてきた愛新覚羅の血筋は、きっとこれからも続いていくことでしょう。

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