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航空母艦サラトガの現在までの歴史と現在の姿|ダイビング/沈没

Small 36c80735 a9a9 468c 86b2 fcc1ced17f0a樽瀬川
都市伝説 / 2018年01月13日
航空母艦サラトガの現在までの歴史と現在の姿|ダイビング/沈没

航空母艦サラトガの現在までの経緯・歴史

最初は戦艦だったサラトガ

サガトラと呼ばれたアメリカ海軍の軍艦は全部で6隻あり、今回紹介するのは5代目の「サガトラ」です。

航空母艦サラトガは、1920年にアメリカのニューヨーク造船所で誕生しました。最初は「レキシントン級巡洋戦艦3番艦(CC-3)」として作られました。

しかし第1次世界大戦後も戦艦を作り続けるアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアが、1921年にワシントンで戦艦の数を制限するように会議しました。これが「ワシントン海軍軍縮条約」です。

この条約によって、製造中のサラトガを始めレキシントン級の戦艦は、急遽航空母艦(空母)「CV-3」に設計変更する事になりました。そして1925年に完成し進水式をして、1927年に初代艦長ハリー・ア-ヴィン・ヤーネル大佐の指揮の下、アメリカ海軍に就任しました。

サラトガの名前の由来

サラトガはアメリカの地名です。アメリカ独立戦争の最中、1777年にニューヨーク州の東部「サラトガ」近郊で起こった、イギリス軍とアメリカ軍の戦いに由来します。

装備が圧倒的に劣るアメリカ軍が2度の戦闘の末に勝利し、フランス軍がアメリカにつくきっかけとなった、アメリカにとっては大変名誉な戦いです。1948年には「サラトガ国立歴史公園」に指定されました。

またサラトガは、戦いの前から温泉保養地として有名で、現在はホテルが立ち並び、「サラトガ・スプリングス」と呼ばれるほどのアメリカ屈指の温泉街です。

サラトガのニックネーム

アメリカ海軍は軍艦にニックネームをよく付けます。サラトガも、例にもれず多くのニックネームがあり「サラ」「レディ・サラ(サラお嬢様)」の他にも、古株空母としての親しみを込めて「オールド・サラ(サラばあちゃん)」と呼んだり、海軍の妹(姉)として「シスター・サラ」と呼んだりしていました。

他にも、姉妹艦でありよく似ている「レキシントン」と区別するために、煙突に縦じまを入れた事から「Stripe-Stack Sara(縦じま煙突のサラ)」とも呼ばれました。

またアメリカが苦戦している時に損傷して戦えなかった事を揶揄して、日本軍の船のように「Sara Maru(サラ丸)」や「Reluctant Dragon(気乗りしない竜)」、見た目は立派だけどただ浮いているだけという意味で「The Pond Lily(睡蓮)」と呼ばれる事もありました。

映画に出演したサラトガ

サラトガは、まだ第2次世界大戦が始まる前、映画に出演した事もあります。1931年に海軍の監修を受けた映画「Hell Divers」では、軍事機密により検閲を受けながらも、サラトガ内でのロケを行い、リアリティ感あふれる迫力あるシーンとなっています。

第2次世界大戦のサラトガ

第2次世界大戦前、アメリカ海軍はサラトガを使って、何度も空母を使う訓練をしていました。将来起こる戦争では空母の役割が重要であると考え、作戦は「いかに空母を守るか」にかかっていると痛感していました。

そして1938年に第2次世界大戦が始まります。多くの日本人がイメージするアメリカは、第2次世界大戦から現在に至るまで、圧倒的な軍事力を誇っているように感じますが、実は第2次世界大戦前期のアメリカはそこまで軍事力を持っていませんでした。

アメリカが本気を出すのは、1941年12月7日の真珠湾攻撃で、日本軍によって多くの軍艦を失ってからです。

太平洋戦争のサラトガ

1941年~42年8月

サラトガの母港はサンディエゴ港ですが、1941年1月にピュージェット・サウンド海軍造船所で改修し、飛行甲板を拡張したり、レーダーを搭載したりしました。4月に改修工事を終えて、11月までハワイにとどまりました。

サンディエゴに戻ったのは、12月7日で、その日に真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争が始まり、翌日には再びハワイに向かいます。しかしその1か月後の1月12日、サラトガは日本の潜水艦(伊6)の攻撃を受けて大破してしまいます。

サンディエゴに戻って4月まで修理をし、8月には「第2次ソロモン開戦」に参戦して、日本の軽空母「龍驤(りゅうじょう)」を撃破します。日本軍はサラトガに気づかず、エンタープライズに集中したために、サラトガは無傷で切り抜けました。しかし、その後再び日本の潜水艦(伊26)に攻撃を受けて損傷し、3ヶ月の修理に入ります。

43年~終戦

復帰したサラトガは、ソロモン海域唯一の正規空母として艦隊を率いました。アメリカの艦隊は日本軍のラバウル基地に空襲をかけます。そこで多数の日本軍の軍艦を撃破して、主力艦隊の一つを撤退させました。

その後サラトガは他の海域の部隊と合流し、数々の作戦にあたりました。1945年2月16日と17日は、硫黄島作戦の支援のために関東地方への空襲を行いました。そして19日に硫黄島の戦いが始まり、サラトガは日本軍の特攻隊による集中攻撃を受けて大きく損傷します。沈没は免れましたが、修理しても戦線復帰はできず、そのまま練習艦となり、終戦を迎えました。

就役中のサラトガに着艦した飛行機は89,195機にのぼり、これはアメリカ最大の航空母艦として現在も保持されている記録です。

核実験「クロスロード作戦」

航空母艦サラトガの現在までの歴史と現在の姿|ダイビング/沈没

戦争が終わった1年後、1946年の夏に、アメリカはビキニ環礁で核実験を行いました。実験の目的は戦艦や機器、各種物質に対する核実験の威力を確かめる事です。アメリカの老朽化した軍艦や、ドイツや日本から接収した船が「標的艦」として艦隊を組まされました。

その中に、サラトガは選ばれます。本来なら「殊勲艦」としてそのまま保存し、「博物艦」にするという選択肢もありましたが、あまりに巨大な船を管理するのは、州レベルでないと無理でした。地元ニューヨーク州が管理を拒否したため、ビキニへ送り出されました。

現在もそのままの姿で沈没しているサラトガ

クロスロード作戦の核実験は2回行われました。1回目の空中投下実験では軽微の損傷で済みました。しかし2回目の水中実験では船体に致命傷を受けてしまい、実験から7時間後に沈没しました。

ほぼ原形を留めた姿だったため、引き上げて詳細を調べる計画も立てられましたが、放射能の危険性により、取りやめになりました。サラトガは現在も、静かに海底で眠っています。

その後6代目のサラトガが造られ、ベトナム戦争や湾岸戦争で活躍しましたが、1994年に退役し、現在「サラトガ」を名乗る船はありません。

サラトガの現在の姿

現在、放射能は大丈夫?

沈没船となったサラトガは、現在は初心者でも行けるダイビングスポットとしても人気ですが、核実験が行われた場所でもあるので、放射能を心配する人も多いでしょう。

しかし現在はその危険性も低下し、短期間の滞在ならば人体にはほぼ影響はありません。実験により死滅してしまったサンゴも、現在では80%も回復しています。

昔はサラトガを始めとしたビキニ環礁の沈没船を見学するダイビングツアーもありましたが、アクセスが悪いために現在は行われていません。

しかし、「艦隊これくしょん」や「アズールレーン」など、第2次世界大戦で活躍した軍艦をモデルにしたゲームが流行している現在、再び注目を集めているダイビングスポットです。

サンゴで着飾ったサガトラ

現在、サガトラに会いに行く事はダイバーであればとても簡単です。沈没している箇所は浅瀬で、ロープ伝いに10mほど潜れば、初心者でも会いに行けます。

その姿は初めて見る人は、度肝を抜かれるでしょう。現在のサラトガは回復したサンゴや海藻に覆われて、魚たちの住処となっています。その姿はまるで、ポッカリと口を開けた巨大な生き物にも見えます。

船内にも入ることができ、巨大な船体を1回のダイビングで見回すのはとても難しく、何日もかけてダイビングする人も少なからずいます。

ダイビングスポットの場所

航空母艦サラトガの現在までの歴史と現在の姿|ダイビング/沈没

ビキニ環礁

ビキニ環礁は、マーシャル諸島共和国に属する環礁(サンゴ礁)で、23の大小さまざまな島があり、「ビキニ島」や「ビキニ諸島」とも呼ばれます。水着のビキニは、ビキニ環礁で行われた核実験に由来していて、「小さくても周囲に与える衝撃は絶大」という意味で名付けられました。

ビキニ環礁の核実験は実は「クロスロード作戦」だけでなく、1958年まで23回も行われていました。島民は強制的に200km先の「ロンゲリック環礁」や、無人島だった「キリ島」へ移住させられました。

1958年から何度か放射能の残留調査が行われましたが、1998年の調査では「永住には適さない」とされ、2017年現在も、故郷の島へ帰れていません。しかし短期間の滞在なら人体に影響はなく、現在はホテルもあります。

生物・生態系

度重なる核実験で、28種類のサンゴが死滅し、「不毛の地」とされていました。しかし現在、核実験が行われた海底のクレータの中に、生き物が繁栄している事に科学者たちは驚愕しました。

海洋生物に対する放射能の影響は深くは研究されていませんでしたが、「非常に回復力が高いのでは」と考えられています。現在、クレーターの中にあるサンゴには車ぐらいに大きなものがあり、それは最後の核実験から10年後ぐらいから成長したものだと言われています。

アメリカに愛された空母は、今は世界中から愛されている

航空母艦サラトガの現在までの歴史と現在の姿|ダイビング/沈没

戦時中はアメリカの誇りをかけた名を冠して、アメリカ人に愛されたサガトラですが、現在は貴重で幻想的なダイビングスポットとして世界中のダイバーに愛されています。

また、ビキニ環礁で行われた23回の核実験は、人類の手で多くの自然環境が失われた、人類が忘れてはならない「負の歴史」ですが、それによって人の手が及ばないようになり、現在では自力でその生命力を取り戻しました。

そして現在、それらの「負の歴史」は世界遺産に登録されています。戦争や兵器は恐ろしく悲しい物です。それを乗り越えた先にあるものは、現在では人類の財産となっています。

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