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「清貧」の意味と使い方・清貧の思想と特徴・清貧に暮らす方法

Author nopic iconagohigegai
言葉の意味 / 2018年02月27日
「清貧」の意味と使い方・清貧の思想と特徴・清貧に暮らす方法

「清貧」の意味と使いかた

簡素清貧とは飾らずに質素で貧しいながら心が清らかなことという意味の四文字熟語です。簡素、は簡単なこと、飾らないことというのはわかりますが、清貧とはどんな意味があるのでしょうか。

清貧とは、清らかに貧しいことと漢字で書きますが、漠然としていています。清貧の意味を調べると、私欲に走らず行いが正しいために、貧しく生活が質素である、貧しくても卑怯な真似はせずに正しく生きるとあります。

貧しくても心が豊かで、誇りを持つ人のことを「清貧」と表します。そのため、清貧は「崇高」という言葉で飾られるほど、日本人は昔から世俗にまみれない素晴らしい生き方、あり方と崇めてきました。

最近は「ロハス」「エコロジー」などの考え方が、清貧とも通じるとして、ロハスの健康的で環境を破壊することなく、資源利用を継続的に行える生活スタイルを送ること、質素でも心が豊かな生活を送ることとして、憧れ実践する人が増えています。

読み方

「せいひん」と読みます。清いは「せい」と音読みし、水が澄んでる様子や濁りや汚れがないことを表すのに使われます。転じて、邪念がない様子、心や行いに汚れがない様子を表し、「清貧」の心が豊かや誇りを持つ、という部分の意味を担います。

一方「貧」は貧しいの意味で、こちらも音読みです。こちらは「財産が少ないこと」「知識が不足していること」「正しい行いをすることが不足していること」という意味があります。貝を分けると書くこの漢字は、貝がお金を表し、それを分けることで、少ない、貧しいという意味を持ちました。

清貧は、「貧乏でも心に邪念がない」という意味を持ち、清らかな心=私欲を捨てるという意味を持ちました。

対義語

対義語はすべての言葉にあるわけではありません。あえていうならば「貪欲」など、非常に欲が深いことを表す言葉で、「無私」の清貧とは反対の意味を持ちます。

また清貧が「質素な暮らし」のことをいうのであれば、「贅沢」や「豪奢」も反対語ととらえられます。贅沢は、実際の生活が必要とする以上の、分がすぎた消費のことをいい、豪奢は、贅沢で派手なことを言います。

また貧乏という点では類語に当たる可能性もありますが、「赤貧」が対義語として上がります。赤貧は、何も持っていないひどく貧しい様子を意味します。何も持っていないような、極限の貧しい生活は心まで脅かされます。「心豊かな」貧乏と「心まで貧しい」貧乏では、境遇も心境もまるで正反対です。

貧しい心は、卑しさを生みます。妬みも嫉み大きくさせます。心の持ちようも貧しくなります。しかし清貧は、崇高と持ち上げられるほど、心の持ちようは、大きく高く豊かです。

類語

清貧の類語、同じ意味を持つ言葉には、「質素」「倹約」が挙げられるでしょう。質素は贅沢をせずに簡素な生活を送ることという意味で、身の丈にあった、飾らない生活を言います。質素は、清貧とは違い、貧しいと意味はありませんが、清貧の「心が豊か」という部分が同じ意味合いになります。

「倹約」は無駄を省き、出費をできるだけ抑えることを言います。無駄を省くということは、「身の丈以上のことはしない」ともとれ、質素とも意味が通じます。倹約は、節約のことですので、貧乏という意味はありません。

清貧は、「貧乏ではあるけれど、身の丈にあった心豊かな生活を送る」という意味合いがあり、この意味に通じる言葉は、質素や倹約などに当たります。

ことわざ

清貧を使ったことわざはありませんが、四文字熟語に「簡素清貧」があります。これは、飾らず質素で、貧しいながらも心が清らかであることを表しています。同じような意味に質素倹約があり、こちらは、慎ましいことを意味しています。

貧乏を表すことわざには「赤貧洗うが如し」があります。こちらは、何もかも洗い流してしまったように何もないくひどく貧乏なことを表している言葉です。稀に、このことわざの「赤貧」と「清貧」を入れ替え、「清貧洗うが如く」と間違っている場合があります。注意しましょう。

清貧の思想

清貧の思想とは、中野浩司の著書の題名です。平成4年、バブルが弾けた時期と重なり刊行されたエッセイで、一大ブームになりました。西行や、兼好、芭蕉など、いわゆる世捨て人の風雅な暮らしを紹介しつつ、シンプルな生活を提唱するといった内容です。

バブルが弾け、それまでは消費が尊い、ほかよりも多く持っていることが偉いとされてきた考え方が横行していた中、一切を捨て切った後には、驚くほど心が充実している、と説きました。その古風で目新しい思想は、「清貧」という言葉とともに、驚くほどの反響を呼びました。

帯には「バブル日本に猛省を促したベストセラー」とあります。バブル期の拝金主義を批判するテーマとして書かれてはいますが、今読んでも遜色のない内容です。「何が必要で必要がないのか」「自分の心を律すること」「浪費は豊かさの象徴ではなく、荒廃の印象」など、日本の古人の残した詩や歌、文章を通じて学ぶ本です。

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人間、誰もが幸せを願うもの、それは人それぞれの価値観
によって違うのでしょうが、
この本に書かれた心の持ち方によって幸せを自分のものに
できることが理解できます。

清貧生活の特徴

清貧生活と言いますが、現在では「より豊かな人」が「清貧」のような生活を送ることを「清貧生活」と呼ぶようになっています。質素だけれど、心豊かな穏やかな生活という意味で「清貧」と呼び表しています。

小欲知足

欲は少なく、足るを知るという思想が、清貧生活には求められます。欠乏状態すれすれにおくことで、感謝を持って生きることに繋がります。感謝は心を豊かにします。

欲は尽きることを知りません。足ることを知らなければ、いくら物質的に豊かになっても、心は貧しいままです。小欲知足はそのことを意味しています。

清貧生活は、必要なものまで切り捨てる生活ではありません。それは清貧ではなく赤貧です。必要なものを見極めて使う、それが清貧生活の特徴です。

人の目は気にしない

清貧は、正しい行いのために貧しい生活を送るという意味があります。そのため、清貧生活を送る人は、人からどう見られるかはあまり気にしません。清潔さと簡素さ、そして自分にとっての使いやすさや、着やすさ、居心地の良さを重視して、物を選びます。

流行っているから、みんな持っているからなどという理由で買うのは、浪費です。浪費は清貧とは対極にあります。人が生きるために必要なものを見極め、自分のために考えなければ、人の思惑に流されて、雑事や些事に惑わされ、心の豊かさとは程遠い暮らしになります。

浪費は豊かさではない

浪費は、豊かさの象徴のように感じられます。「有名バック店で、棚の端から端まで買いたい」など、浪費は「気持ちのいいこと」と置き換えられます。

価値観にもよりますが、後に残るのは、虚しさでしょう。思いどおりに、バックを大量に買っても、使わなければ意味がありません。使わないバックをたくさん持つよりも、自分が気に入ったものを大切に使う方がより心が豊かです。

一瞬の快楽のために、たくさんのお金を使うよりも、日々の「ほんの少しの幸せ」を噛みしめるためのお金を使う、そちらの方がより良いお金の使い方です。

清貧に暮らす方法

現在、清貧な暮らしとは、できるだけお金をかけず、必要なものを見極めて、できるだけ豊かな心で暮らすことを「清貧」と呼びます。浪費することはせずに、自分が必要と判断したものだけを手元に置くこと、全てのものを使い切ること、「食」を粗末にしないことなどが、心の豊かさに直結した清貧生活ではないでしょうか。

必要なものを見極める

必要なものを見極めることが清貧生活の要になります。自分にとって何が必要かを知ることは自分を知ることにも繋がります。昨今話題の断捨離はこの考え方からきています。自分の必要なものを見極めて、不必要なものは手放すこと、そして必要最低限のもので暮らすことが、清貧に暮らす第一歩です。

全てのものを使い切る

清貧の第一歩は、必要なものを見極めるということです。見極めたその次には、それをとことん使い切ることが、物を大切に使うことに繋がります。服を一枚とってもそうです。大切に扱っていた服も、着続けると劣化します。首もとがよれてきたり、毛羽立ちが目立ってきたりと気になるところが出てくるでしょう。

もう着られなくなった服をそのまま捨てずに、何かに活用できないか考えることが、使い切るということです。劣化が少ないところは、ハギレにし他のものに生まれ変わらせて使う、使えないところは、清掃用に落とすなど、とことん使い切ることことが、物を大切に使うことに繋がります。

「食」をおろそかにしない

食べることは生きることです。食べることで、幸せを感じたり、活力を得ます。お金がないから一食抜こう、カップラーメンでもいいや、と食をおろそかにすると、栄養不足に陥ったり、気力までもダウンします。

食は生活を支えます。質素でも体に優しものを食べることが生活を支える糧になります。

暮らすことをおろそかにしない

清貧の最も重要なことは、暮らしを楽しむことです。毎日を大切に、日々を送ることに喜びを感じることが、暮らしを楽しむということです。慎ましくそれでいて無理せず心豊かに暮らすこと、それが清貧に暮らすということです。

清貧な生き方の特徴

清貧な生き方とは、自分を見つめ直すことに似ています。「身の丈」という言葉をご存知ですか。「身の丈」とは身長のこと言いますが、転じて、「背伸びをしない」という意味を持ち、自分の能力、器量そして経済力の比喩的表現です。

清貧な生き方は、まさに身の丈にあった生活をするという生き方です。貧しくお金がないなら、必要なもの以外は買わない、買ったものは最後まで使い切る、など暮らすことを大切にしている、日々の生活を楽しんでいることが、清貧な生き方をしている人の特徴です。

清貧に生きる

清貧に生きることを日本人は古くから憧れそして重んじてきました。そして世界でも現在その考え方は広がっていて、ロハスやエコロジー、ミニマリストなど呼び方はさまざまですが、似た思想がもてはやされています。

日本人は特に清貧を崇高な思想としてもてはやしてきました。しかし清貧な生き方というのは、難しく考える必要のない、崇め高める必要のないことです。清貧な生活というのは、自分の心に向き合って生活することだからです。

自分の心に向き合って、自分にそれが必要かそうではないか見極め、どのような暮らしが心にピッタリとくるのか、日々の暮らしを楽しむ方法はどんなものかを考えて暮らすこと、それが清貧な暮らしです。

足ることを知れば貧しくとも豊かであり、逆に欲が多ければいくら財があろうとも貧しいばかりです。足りる、足りさせるということを知り、足りることに感謝を持って生きることが、清貧に生きるという生き方です。

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