生きる目的がない・失った時の対策
生きる目的は、人それぞれ違います。では、生きる目的とは、どんなことを指し、人はどんなことに生きる目的を感じることができるのかという観点で説明をしていきます。
マズローの欲求5段階説とは?(第一段階~第三段階)
第一段階は「生理的欲求」です。「生理的欲求」は、人間が生きるために不可欠な欲求のことで食欲(食べること)睡眠欲(寝ること)などのことです。この第一段階が満たされると、第二段階の欲求を欲するようになります。
第二段階は「安全欲求」です。生命を維持できる欲求が満たされると、「健康」「安全に暮らせる家」といった危険を回避する欲求が出てくるようになります。
第三段階は「社会的欲求」です。社会的欲求は、帰属欲求と呼ばれることもあり「集団に属したい」「仲間が欲しい」といった欲求のことを言います。人は、この欲求が満たされないと孤独感や社会的不安を感じやすいと言われています。
マズローの欲求5段階説とは?(第四段階~第五段階)
人から認められたり、尊敬されたという欲求が満たされると「自己実現欲求」という欲求が出てくると言われています。これは、自分で何かを実現させたい、成し遂げてみたいという欲求のことを言います。
このマズローの欲求5段階説には実は続きがあります。マズローは晩年、第五段階目の上にさらにもう1つ欲求があることを発表しました。それは「自己超越」と言う段階です。これは、自分の利益や見返りを求めず、人のために尽くし、相手の喜びが自分の喜びと等しくなるという段階を言います。
人は欲求を満たすことを求める生き物である
また、「生きる目的は、自分の欲求を満たすこと」と言い換えることができるのではないでしょうか。つまり、自分が欲する欲求を満たすことが生きる目的になるということになります。
自分の欲求がわからない人
生きる目的がないという人は、今、自分がどの段階の欲求を満たしたいと感じているかということがわからない可能性があります。自分が満たしたい欲求に気付くことができれば、生きる目的を見つけられるということが言えるでしょう。
生きる目的を失った人とは?またそのときの対処法
このように自分が大切にしていたものを失ってしまった人は、喪失感に満ちてしまい、生きる目的を一時的に失ってしまうことがあります。
このような場合は、まず心に開いてしまった穴を埋めることよりも、大切なものを失ったことで傷ついてしまった心を癒すことが大切です。時間がかかってしまうこともありますが、まずはゆっくり心を癒していきましょう。
心の傷が癒えたら、また少しずつ自分の欲求と向き合う作業をしてみましょう。自分が今、何をしたいのか、何をすることで喜びを感じることができるのか考えてみましょう。
生きる目的に関する本
「ニーチェの言葉」
超訳「ニーチェの言葉」フリードリヒ・ニーチェ著(白取春彦翻訳)
ニーチェの言葉の中に、これから生きていくためのヒントを見つけることができるのではないでしょうか。
日頃の人間関係や人生観に迷いや葛藤が生まれる昨今。これまで培ってきた人生経験があるからこそ、気付かされることや考えさせられること、また、生きるヒントや励みとなる内容でした。
「ココロの授業」
私が一番受けたいココロの授業:比田井和孝・比田井美恵著
現代人が忘れかけている大切なものを著者は理解していると感じました。私が普段感じていたことをどんぴしゃに表現していた本で、自分の気持ちをこどもにどうやって伝えたらいいか考えていましたが、この本を読ませることで解決しました。中学生になったばかりの息子は、以前とかわり、いろんなことに積極的に関わるようになりました。お菓子を買うお金を少し節約すれば買える値段です。お菓子を買うなら、本を。
こころのおまもり
「こころのおまもり」小池龍之介著
「読む座禅」を銘打っているだけあり、すんなりと頭に入ってくる語り口が心地良い。
「物事をあるがままに感じ、意味付けしないことで自然とその感情は消えていく」という話は印象的だが、嬉しい出来事にも敢えて「嬉しい」と思わないのは寂しいようにも感じる。
「迷った時は、迷っている状態が一番辛いので早く決断して楽になるべき」という話も理解できるが、考えることで最善の選択に近づく努力を放棄するようでもあり、複雑な気持ちだ。
「人と人とは分かり合えないものだから、少しでも相手に肯定的な態度を取ろう」という話や、「人はどこまでいっても満足できない生き物だということを、5%でも頭に置いておくと良い」という話は素直に納得でき、心軽く生きるための手掛かりになる気がした。
非常に分かり易い内容なので、仏教的な知識に触れたことがない初心者の入門書としても最適の作品だ。
男女別生きる目的の見つけ方
しかし、男性には男性特有の、女性には女性特有の欲求があるという意味で考えてみると、男女で生きる目的の見つけ方は異なるということが言えるでしょう。
仏教
誰かを幸せにすることが自分の幸せだと考えることができるのは、マズローの欲求から考えると、自分の欲求がすべて満たされて最終的に行き付く場所がこの段階ということです。つまり、誰かのために我慢をしていたり、不満を感じている人はこの段階に行く着くことができないと言うことが言えます。
仏教の生きる目的とは、「人間に生まれた目的を果たして、決して後悔のないように生きなさい」ということだと考える人もいます。この考え方は、いろんな人の考え方を調べてみると、実に理にかなった考え方だと言うことが言えるでしょう。
哲学
つまり、体を大切にして、自分の心を満たすことが「生きる目的」ということです。体と心が健康な状態で生きるということが「生きる目的」だと言えます。
心を満たすということは、自分の欲求を叶えるということですが、自分の欲求を満たすため、自分の本当にやりたいことと向き合うときに大切なことは、「お金」「時間」「欲求を満たすための環境」がすべて整っていることを前提に、「何をやりたいか」を考える必要があります。
自分のやりたいことが無条件でできるとしたら、何をやりたいのか「自分の心としっかり向き合う」ことが生きる目的を見つけることにつながるでしょう。
家族
逆に家族が幸せを感じていたとしても、自分自身が無理をして我慢をしているとしたら、それも「生きる目的」を全うしているとは言えません。
自分も家族も幸せに生きるための方法を考えながら生活することが、「生きる目的」そのものということが言えるのではないでしょうか。
結婚
2人が末ながく幸せに暮らすためには、お互いにお互いを尊重し、大切に思うことが必要です。しかし、時には、相手に合わせることも大切ですが、自分の気持ちに嘘をつかず、相手に自分の気持ちを正直に伝えることも大切です。
立場別生きる目的の見つけ方
高齢者
人生が楽しむことができるのは、「命」がある間だけです。高齢者の人こそ、自分が楽しむことに意識して生活してみましょう。自分の好きなことを心から楽しむことで、より多くの「生きる目的」を感じることができるのではないでしょうか。
主婦
また、子どもの成長が「生きる目的」となっている人は、子どもが家を出てしまいますと、「生きる目的」がなくなったと感じてしまう人もいます。
子どもや家族以外の生きる目的がない人は、自分が楽しめる趣味などを作っておくことがです。子ども以外のことで自分が楽しめるものがある人は、子どもたちが独立したあとも、生きる目的を失わずイキイキと自分の人生を楽しむことができるでしょう。
「生きる目的」とは、自分の欲求を満たすこと
やりたいことが思い浮かばない人は、自分の体と心を満たすことから始めてみましょう。体と心が満たされることで、自分が本当にやりたいことを見つけることができるようになるはずです。