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人間関係や仕事において「見返りを求めない」生き方や方法とは?

見返りを求めない生き方

見返りを求めてしまうと・・・

人は、つい見返りを求めてしまいがちです。心のどこかで見返りを期待して、他人に親切にするのです。感謝されなかったり、求めていたような反応がないと相手を責めてしまうのです。

親切になんかするんじゃなかったと、こっちが助けてあげているのに礼儀知らずだと思ってしまうのです。見返りはあって当然だと心のどこかで期待してしまうのです。

自分だけ損をしたくないと思うのです。こちらが与えているだけなんて不公平だと、そうやって、損か徳という考えに囚われてしまうのです。

自分にとって利益があるかどうかばかりに意識が向いているのです。つまり、有益かどうかで判断するから、他人を対等な存在として見れなくなるのです。

常に見返りを求めていると、大切なものを見逃してしまいます。なので、見返りを求めない生き方をしてみましょう。

見返りを求めない生き方をしている人とは?

自分の行動が、報われるかどうかは気にしていない

見返りを求めない人は、基本的に、自分がしていることが報われるかそうでないかは考えていません。自分自身が、良いと思ったことやしたいと思ったことを、心がおもむくままに実行するだけであって、それが何かのためになっているかどうかは気にしていないのです。

人への親切行為は、過去に受けた親切への恩返し

見返りを求めない人は、自分が今まで生きてきた中で、たくさんの人から親切にしてもらったことに対して、恩を感じ、ありがたいことだと考えています。したがって、自分が今、目の前の人に対して親切にすることは、過去の人々に対する恩返しをしているだけだと思っているので、目の前の人から何らかの見返りを期待することはないのです。

見返りを求めない人は、損得勘定をしない

見返りを求めない人は、何かをする際に、その行動が自分にとって得することか損することかについて考えることはありません。行動を決める基準は、常に、人として良いことか悪いことか、好きか嫌いかというシンプルな基準だけであり、それ以外の判断基準は持ってはいないのです。

善行で得られる嬉しさだけで十分満足する

見返りを求めない人は、自分が良い行いをすることで、自然と心の中から湧き上がってくる嬉しい気持ちを噛みしめ、その喜びの気持ちを得られたこと自体に満足しています。「なんだか気分がいいな」「すがすがしいな」と思うことが最高のご褒美だと感じているので、そのほかに見返りを必要としてはいないのです。

人の手伝いは、自分の好意によって行うものだと割り切る

見返りを求めない人は、人の手伝いをするときには、自分が好きでやっていることだと考え、相手からの感謝の言葉や、御礼を受け取ることができるかどうかは、まったく問題にしていません。断ることができたにもかかわらず、相手を手伝うことを選んだのは、あくまでも自分の意思にほかならないといった考え方を貫いているのです。

見返りを求めない人は、現状の暮らしに満足している

見返りを求めない人は、基本的に、今の暮らしや自分が置かれている境遇に関して不満はなく、物理的にも精神的にも十分に満足しています。したがって、何かが欲しいという欲望や、いま以上に幸せになりたいという願望を持つことがないため、他人から与えられる見返りを期待することはないのです。

見返りを求めること自体が、恥ずべき行為だと考える

見返りを求めない人は、他人に対して、何らかの見返りを求めて行動を起こすことは、とても醜い恥ずべき行為だと考えています。また、人は、見返りを求められたとしたら、想像以上にその相手に対して幻滅し、それまでの親切で思いやりにあふれた行為が台無しになってしまうものだということがよく分かっているのです。

そもそも見返りを求めるほどのことはしていないと考える

見返りを求めない人は、自分が行った親切な行為には、大した価値はないと考えています。したがって、相手に対して見返りを求めることなど、そもそもの考えが間違っていると感じています。相手に対して恩着せがましくなることを、極端に嫌う傾向があります。

見返りを求めない方法

人間関係

「私が先に○○してあげたんだから、あなたも○○しなさい!」これは、完全に見返りを求めているでしょう。このように、見返りを求めて相手と接すると、相手はあなたと接するのを嫌になるでしょう。「自分がしたのだから、相手にもしてもらわないと。」このように思うと図々しい人間とも思われかねません。

そうならないためにも、見返りを求めない、つまり、「見返りを求めて、親切にする」のではなく、「過去に受けた親切に恩返しをする」と考えるようにしましょう。そうすれば、あなたのしたことが絶対に無駄にならないのです。

仕事

仕事をしている中で、同僚や部下や上司などの仕事を手伝ったとします。そのときは、「ありがとう」と済むでしょう。

しかし、後日、あなたが残業までして仕事に追われているとして、その様子を見ながら、先日、手伝った相手が何もしないで帰ったとしたら、あなたはどう思うでしょうか?

「あの時、手伝ってあげたのに!なんで、手伝ってくれないんだ!」そう思いたくなる気持ちも分かります。

ですが、いくら頼まれたからと言っても、断ることも出来たはずです。しかし、それをしなかったのは、あなたが決めたことなのです。

つまり、見返りを求めない方法として、相手にしてあげたことは、あくまで自分の好意でやってあげたと思うようにしましょう。

なぜ見返りを求めないでいられるのか?

人は、見返りを期待してしまうところもあります。分かっていても、見返りを求めてしまいがちなのです。ですが、見返りを求めてしまうと、「自分が損をする」と思うことが多くなります。

自分の時間と労力を○○に費やしたのに、相手から何も返ってこないこれは「損ではないか」と思ってしまうからです。損失回避性の問題で、人は損に敏感なっているのです。

なので、「見返りを求めると損をする。」ということを知ることで、「見返りを求めることをやめよう…」という気持ちになるのです。

「人間関係に損得勘定を持ち込まない」と考えて、見返りを求めないようにすることは難しいが、「見返りを求めると損をする」と考えて、見返りを求めないようにするといいでしょう。

見返りを求めないことに関することわざとその意味

情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」は、「人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教え。 」という意味があります。

「誰かのことを心配し、幸せになってほしいといろいろしてあげたのに、その人から感謝もされない、お礼もない、向こうは当然のように受け流しているとなれば怒りの心で身を焦がすことになる。」

そうなれば、「あ~あ、こんな思いするくらいならあいつに親切なんかするんじゃなかった。」と後悔し、人に構って結局傷つくくらいだったら最初からしない方がましだった。」と思ってしまいます。

これは、完全に見返りを求めた結果なのです。人に要求することばかりの人は幸せにはなりません。

「~してくれ」「~させてくれ」「なんで~してくれないのか」と上司や家族を責めることになり、周りから人は離れていきます。「逆に周りの人がどうしたら楽しく過ごせるだろうか。安心してもらえるだろうか。」と、つねに周りのことを考えて行動できる人には人も物も自ずと集まってくるのです。

 このことを昔から、「情けは人の為ならず」のことわざを用いて言っていたのです。このことわざは、見返りを求めないという生き方にあったことわざなのです。

見返りを求めない生き方をしましょう

見返りを求めない生き方のいいのは、見返りを求める生き方のデメリットより見返りを求めない生き方のメリットの方が大きいためです。見返りを求めると、「自分だけが損をしている」という感覚に陥りがちです。ですが、見返りを求めないと、「自分だけが損をしている」とは思わなくなります。

「自分が○○をしてあげたいからした。」「過去の親切の恩返しなのだ。」と考えると、○○をしてあげたのだから、○○してよ!」とはならないのです。それが、見返りを求めないということです。見返りを求めてしまうと、どうしても生きづらくなります。見返りは求めない、そう潔く思った方が、生きやすくなるのです。

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