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世界や日本の絶世の美女・絶世の美女になるための美容法

Author nopic iconハコ
性格・タイプ / 2018年01月19日
世界や日本の絶世の美女・絶世の美女になるための美容法

世界の歴史を彩る絶世の美女って誰?

この世に男性がいてこそ、女性は美しさに磨きをかけるものです。その美しさを武器として古今東西様々な歴史の舞台に登場してきた絶世の美女たちとは一体どんな存在なのでしょうか?

まずはだれもが一度は耳にしたことのあるであろう、世界的に名をはせた絶世の美女たちの世界から覗いてみましょう。

クレオパトラ7世

古代ギリシャ・プトレマイオス朝の最後のファラオ(=王)であったクレオパトラは、絶世の美女を挙げる上で欠かせない女性の一人としていまだに強いインパクトを与え続けている人です。

実の弟たちとの2度の結婚、歳の差31歳という愛人の存在などなど時の権力と愛に燃え、たくましく生き抜いた女王としてのイメージも残る逸材でもあります。

その声は美しく奏でられる楽器のようであったとか、小鳥のさえずりと称されるものでもありました。またフランスの哲学者であるパスカルによれば、『クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう』とされ、現代のクレオパトラのイメージそのままにメリハリの利いた正に絶世の美女たる顔立ちであったことが推測されます。

全般的に自己に対する美意識が高く、宝石を細かく砕いたアイシャドウを用いたり、植物染料を使った真っ赤なマニキュアまで施していたというクレオパトラですが、その絶世の美しさによって翻弄された男性が多いのは致し方ないことかもしれません。

マリーアントワネット

映画の主人公としても存在感抜群のマリーアントワネット。現存する肖像画では大ぶりのヘアスタイルに華やかな帽子姿など、見るからに美しくゴージャスな雰囲気を醸した絶世の美女です。お抱えのデザイナーによるドレスは時代のファッションリーダーたる風格を備え、絶世の美女にふさわしい威厳に満ちた様子を表しています。

史実によると、色白でシルクのようにきめ細やかな肌・その瞳は澄み切ったブルーアイであったということです。もちろん身にまとうドレスや装飾品が豪華なことだけなく、食へのこだわりや美容に向ける情熱も並々ならぬものがあったようで、一説にはドレスをより魅力的に着こなすため自らの肋骨を切除したなど、美に関しては手段を選ばない一面も見せた絶世の美女です。

また、マリーアントワネットが活躍した18世紀のフランスでは入浴の習慣が一般的ではなかったものの、彼女はハーブを効かせたお風呂に入りほのかな香水まで漂わせていたといいますから、この絶世の美女が時代の最先端であったことは間違いないようです。

楊貴妃(ようきひ)

アジア圏で歴史に残る絶世の美女と言えば、やはり楊貴妃でしょう。

様々な説が唱えられている世界の三大美女にも必ずノミネートされているその美貌は、それが元で国中を巻き込む反乱が起こるきっかけを作ったとされ、「傾国の美女」の異名を持つほどです。

彼女を写したとされる肖像画や映像などで再現されるイメージでは、細面でスレンダーな美人といった雰囲気が多い中、実際には非常にグラマラスな体つきであったという説もあります。

ちなみに楊貴妃という名前ですが、姓が楊で名は玉環といい、貴妃というのは妃としての順位を表しています。楊貴妃は初めから皇帝にに嫁いだわけではなく、皇帝の息子に嫁いだ後に、いわゆる舅(しゅうと)である皇帝に見初められて王妃となった人物です。

歴史を翻弄する程の美貌によって結果的に非業の死を遂げたことからも、非常にドラマティックな人生を歩んだ絶世の美女とも言えます。

ポンパドゥール夫人

「ポンパドール」という名前を聞いて真っ先に髪型を連想される方もあるでしょう。いわゆるリーゼントのように前髪を高く立ち上げた髪型のモデルとなったのが、まさしくこのポンパドゥール夫人で、ジャンヌ=アントワネット・ポワソンというのが正式な名前です。

当時としては低い身分の出身であるにもかかわらず絶世の美女であることを武器に、ルイ15世の公的な愛人として実質的にはフランス社会の支配者として君臨していたことでも知られます。

ポンパドゥールという名は彼女が生まれ育った場所にちなんだもので、政治への影響力を持つようになってから与えられた称号だとされています。

フランスの絶世の美女として名高いポンパドゥール夫人は、愛人として王の寵愛を受ける一方で、文化や芸術など様々な分野で活躍する男性達のパトロンとしてもその美貌の威力を発揮していました。凄まじいまでの自負心は、『私の時代が来た』という有名な言葉と共に語り継がれている美しさに独特の個性をあわせ持った絶世の美女です。

皇后エリザベート

オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の妃であったエリザベートはスーパーモデル並みの容姿を持った女性でした。ヨーロッパ随一と謳われた絶世の美女は自由奔放に時代を生きたものの、通り魔的なハプニングによって劇的な最期を迎えたことから悲劇の女王などとも言われています。

突如として暴漢に襲われた形になった理由は、皇太子を亡くし晩年を黒づくめの衣装で過ごしていたためとする記述もありますが、他方ではかつて絶世の美女とたたえられた自分の美貌が衰えたことを隠すためであったとする見解も根強く残っています。

それにしてもこのエリザベート、170cmを超える身長に対して体重は50キロ程度、さらにウエストは驚異の50センチであったと言いますから、現代でも十分に人目を惹く存在であったに違いありません。

我らが日本を代表するの絶世の美女

世界の名だたる美人に引けを取らないのが、日本における絶世の美人たちです。雅な平安の時代から明治まで、彼女たちの美に関するエピソードと共にその人物像に迫ります。

小野小町(おののこまち)

小野小町は平安時代前期に活躍した女流歌人で、数々の名人に名を連ねながら生まれ年も没年もひいては普段の生活ぶりなども不確かというミステリアスな側面をもった絶世の美女です。

さらにこの女性、日本における美人の代名詞となっている「○○小町」という例えのモデルであり、日本から見た世界三大美人と言えばクレオパトラ・楊貴妃に続いて小野小町の名が挙げられることが一般的となっています。

名実ともに日本が誇る絶世の美女である小野小町のビジュアルは、写真などとは違いあくまでも当時の女性を模した絵巻物などを見るに、しもぶくれの顔立ち・ワンレンロングの黒髪におちょぼ口といった具合であったと想像されています。

実は彼女が絶世の美女と称された理由は顔かたちではなく、漂う気品や優雅な立ち居振る舞いにあったとされ、歌を基本にした雅な恋愛がもてはやされていた時代には売れっ子歌人であった小野小町の人気が絶大なものであったことがうかがえます。

お市の方(おいちのかた)

戦国時代から安土桃山時代を描いた時代物ではアニメ・実写共に必ず登場するのが、戦国時代における絶世の美女といわれるお市の方です。本能寺の変であえなく散った織田信長の妹ですが、もともと美形一家である織田家にあってもその美しさはひと際であったと推察され、長く若々しさを損なわないフレッシュな美しさを保った女性であったとも言われます。

特筆すべきは170センチに近かったという彼女の身長で、当時の平均的な女性と比べてもかなり人目を惹いたに違いありません。また政略結婚の相手であった浅井長政もかなりのマッチョ体形だったようで、名実ともにビッグで仲のいい夫婦として描かれていることも彼女の人となりを表す特徴の一つです。

ちなみに、この美人の系譜はお市の方の娘である茶々(ちゃちゃ)・初(はつ)・江(こう)の三姉妹にも受け継がれ、日本の時代劇における歴代の配役を見ても美人女優の起用が目立つ役柄となっている模様です。

細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)

隠れキリシタンとして有名な彼女の本名は細川玉(ほそかわ たま)といい、ガラシャというのはいわゆるクリスチャンネームとして後に親しみを持って付けられた呼び名です。

才色兼備とはまさにガラシャのような女性のことで、慈悲深く非常に敬虔なカトリック信者であったことから、修道士たちからの絶大な信頼を得ていた人物とされています。

お市の方と同じ戦国の世を生きた女性の中で、この細川ガラシャも絶世の美女の一人として必ず名前が登場しており、その美貌は夫である細川忠興を狂気の人と化してしまう程飛びぬけていたとする数々の逸話が残されています。

陸奥亮子(むつ りょうこ)

明治時代に社交界の華と称された美貌で一躍時の人となった陸奥亮子は、美人芸者として名をはせた母の元に生まれています。

17歳で陸奥宗光の後妻となり、夫のヨーロッパ留学を機に日本の社交界デビューを果たした彼女は当時の国賓や外交官の接待場所となっていた鹿鳴館でひと際目立つ存在となりました。これがのちに言われる「鹿鳴館の華」という呼び名で、その他にも「ワシントンの華」や「中米日本大使館の華」など、その行く先々で亮子の美しさが賞賛されていたことがうかがえます。

欧米文化が急速に広まりつつあった当時、海外生活で身に付けたモダンな感覚と、日本人ならではの楚々とした雰囲気が絶世の美女として有名な彼女の名をより印象付けています。残された写真などを見る限り、平成の現在でも十分に通用するような目鼻立ちのハッキリした美人顔は確かなもので、見る人を惹きつける不思議な魅力にあふれた女性というにふさわしいものです。

群雄割拠の三国志に登場する絶世の美女

古代中国の戦乱を描いた三国志は、人間関係が複雑でどちらかというと男性メインのお話というイメージがするものですが、戦う男の陰には必ず美しい女性の存在があることも忘れてはなりません。

三国志の中に登場する絶世の美女とはいかなる女性か、普段あまり耳にする機会がないからこそ、その興味深い裏側に迫ってみたいと思います。

貂蝉(ちょうせん)

もともと中国には中国四大美人という各時代を代表する4人の美人の存在があり、沈魚・落雁・閉月・羞花という4つの熟語になぞらえた美人画などによって表されています。

その中の一人「羞花美人」は世界的な絶世の美女でご紹介した楊貴妃で、これから登場する「閉月美人」にあたるのが貂蝉という女性です。

難解な三国志の世界を分かりやすく大衆向けに解説した三国志演義の中に登場し、養父の画策によって2人の男性の人生を狂わしてしまう存在として紹介されています。最終的には貂蝉を想うがゆえに一方の男性が命を落とし、それを嘆いた貂蝉の美しさを「夜空の月までも隠れてしまう」と例えたほどです。

ただ、絶世の美女として三国志演義にその名を刻む貂蝉も、肝心な三国志正史には一切登場しないことから、実は架空の人物であるとする説も根強く残っています。

卞皇后(べんこうごう)

「英雄色を好む」の例え通り、歴史に残る英雄たちは皆たくさんの妻をもっていたことが珍しくありません。三国志の英雄である曹操は、度重なる戦の中で13人もの妻を持ったその道の猛者だったようです。

その13人のうちで一番愛された妻が三国志に登場する二人目の絶世の美女、卞(べん)です。非常に貧しい生まれながら歌に秀で、容姿の美しさは曹操の気を惹くのに十分でした。はじめこそ大勢いる中の一人にすぎなかった卞も、思慮深く常に曹操を思いやる良妻としてその実力を発揮していくようになり、結果的に皇后の地位まで上り詰めたという逸話の持ち主です。

生まれつきの容姿に加え歌でも人を魅了し、皇帝の心まで虜にしてしまった卞皇后は身も心も美しい中国を代表する絶世の美女と言えるでしょう。

大喬・小喬 (たいきょう・しょうきょう)

貂蝉と並び美人で知られるのが、広東の美人姉妹で二喬(にきょう)と称されている大喬と小喬の二人です。彼女たちの特徴は美しさだけでなく頭の良さを兼ね備えていたことで、呉の政界で力を持つ人物の娘であるなどその出自に関しても確かなものがあったとされています。

共に兵書といういわゆる戦術を解説した書物を愛読していていたと伝えられ、のちに姉の大喬は孫策と、妹の小喬は周瑜というこれまたいずれも美男であったという二人の元に嫁いでいます。

ゴージャスなインドの宝石に例えられる絶世の美女

インドの女性というと、ほりの深いエキゾチックな顔立ちが思い浮かびます。今だ身分制度の残る社会においてインド独立の過渡期を担った絶世の美女が、ジャイプール最後のマハラーニ(=王妃)であるガヤトリ・デヴィその人です。

首都デリーから南西方向に位置するジャイプールは宝石の都と呼ばれる有名な集積地で、ジャイプール最後の王妃となったガヤトリの美しさは煌びやかな「インドの宝石」と称えられています。

ガヤトリの美しさは顔の造作だけに限らず、服やメイク、アクセサリーなど誰もが憧れる女性性の全てと言っても過言ではないものです。さらに彼女の美人ぶりを象徴しているのが、世界中の美男美女しか入会を許されないという外見至上主義の出会い系サイト「Beautiful People.com」の会員が選出する世界の美しい王族トップ10にランクインしていること、加えて有名ファッション誌ヴォーグにて、世界10大美女の一人にも選ばれていることなどが挙げられます。

惜しくも2009年に90歳で生涯を閉じていますが、インドの宝石と言われた絶世の美女の功績は、今なお世界中の女性の憧れとなっています。

あなたならどう占う?絶世の美女に関する占いとは

占いはあくまでも主観の世界であるという解釈から、占いによって美人の尺度を判定するのは難しいと考えられているのが一般的です。

ただし、そこは自由度も大きい占いの世界です。もちろん探せばあるもので、歴史に登場する絶世の美女たちになぞらえた性格判断をしてくれる「絶世の美女占い」というものに行き当たります。

あたるも八卦当たらぬも八卦で自分の性格がどの美女にマッチするのか、はたまた憧れる絶世の美女を目当てにその人の持つ基本的な性格や特徴にヒントを得るというのも興味深いものがあるでしょう。

美しさを学ぼう!絶世の美女になりたい人のための美容法

女性なら誰しも、自分の理想とするファッションアイコンやすぐにマネできる美容法の存在を大切に感じるものです。

ここまでご紹介した絶世の美女たちの多くは、生まれ持った美しさに加えさらに自分のセールスポイントを上手くプロデュースする能力にたけた女性たちです。そこで彼女たちが行っていた美容法から現代の私たちにも活用できるヒントを探っていきたいと思います。

極上のバスタイムが絶世の美女を作る グローバル編

絶世の美女たちの中には、日々の入浴に様々な工夫を凝らしたケースも多いものです。

クレオパトラはミルクやハチミツを湯に入れたり、非常に贅沢なローズオイルなどを用いた入浴法を行っていたと記されています。同じく風呂好きと言えばマリーアントワネットに楊貴妃ですが、特に楊貴妃に関しては半身浴をすることで全身のデトックスを行い、絶世の美女にふさわしい極上の美しい肌を維持していたものと考えられます。

極上のバスタイムが絶世の美女を作る ローカル編

山形県米沢市に残る小野川温泉は、薬師如来の導きで小野小町によって開湯された場所として有名です。

ミネラル豊富、アンチエイジング効果が期待できるラジウムに血圧を安定させリラックスを促すリチウムを含んだ泉質として、別名「美人の湯」ともいわれる人気の温泉です。もちろん飲用もできることから小野小町自らこれによって胃腸を整え内側からの美容も行っていたとする見解もある程です。

化学の分析もなされていなかったはずの時代に、これだけ美容効果の高い温泉を開湯するに至った小野小町は、日本における絶世の美女だけでなく美の体現者であったとも言えるでしょう。

絶世の美女は食にこだわる レア編

今のように合成された調味料や加工品のなかった時代は思いのほかクリーンである反面、口に入れる十分な量が手に入りにくい食材も多くあったに違いありません。ただそこは、王様や国を動かすほどの力をもった絶世の美女たちです。高価な食材や命がけで採りに行かなければならないレアな食材を口にしていた事実は、すでに多くの文献などによっても明らかになっています。

口から摂り入れるものを重視していたとするなら、マリーアントワネットのプラセンタは見逃せないポイントです。哺乳動物の胎盤に含まれるプラセンタですが、美に執着するあまり時には人間の胎盤まで食することがあったという記録が残っています。

表面的な美しさの裏側で実はすさまじい美への執着に燃え、レアな食材さえもいとわず食べたというのが絶世の美女の特徴でもあるでしょう。

絶世の美女は食にこだわる スタンダード編

食にこだわりがあった絶世の美女はマリーアントワネットだけではありません。

日本の山里で収穫できる根菜や麦、川魚の鯉などを好んで食べていたのは小野小町です。いずれも美容やデトックス効果、さらには疲労回復などにも有効な食材で、美人を作る上で大切な疲れやストレスを持ち越さない工夫も見られます。

またライチと言えばこの人と言われるくらいに好んで食し、お肌のハリに重要なコラーゲンに至っては、スッポンやツバメの巣といったいまだに高級食材として知られるものを積極的に摂り入れていた絶世の美女が楊貴妃です。

いずれも食事に加え日々の入浴を励行するなど複合的なアプローチで美しさを維持していたことがうかがえ、現代人にも必要なヒントをたくさん備えた美用法を実践していたといえるでしょう。

究極の美を叶える古代エジプトの恐るべき美容法

クレオパトラは、絶世の美女の中でもズバ抜けた美的感覚を持った女性です。湯船にいれるローズの精油だけでなくその足元には常にバラの花びらがまかれていたといい、このエピソードをモチーフにした映画のシーンなども女心をくすぐるポイントであるはずです。

彼女が絶世の美女と言われる理由の一つが「金」を使った美容法で、実際に古代エジプトの出土品から金糸が発見されたこともこれを裏付ける有力な証拠となっています。

今でこそ黄金のワイヤーを使ったリフトアップ術は珍しくないものの、古代エジプトでこのような施術を行うことができたのは、さずがにクレオパトラと言わざるを得ません。

美は一日にしてならず

ここまで世界を代表する絶世の美女に関するご紹介をさせていただいましたが、最期までお付き合い下さった感想はいかがだったでしょうか?

どんな絶世の美女でもただ漫然とその美しさに溺れているような女性は一人もおらず、時に激しく時にはつつましやかに過ごしながら、さらなる美の高みに上って行った様子が少しでも伝わったなら幸いです。

現代人には近いようで手の届かない究極の美容法もあったようですが、信念を持って続ければ毎日の食事からでもマネできるようなヒントが隠されていたと思います。

いつもの美容法を少しだけレベルアップして、絶世の美女を目指していただくきっかけとなれば嬉しいです。