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志布志事件の概要・真相・その後社会に起こった影響

Author nopic iconFGakky
重大事件 / 2017年09月18日
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志布志事件の概要

今回、2003年の鹿児島県議会選挙の後にありもしない公職選挙法違反容疑で無実の人たちが不当の取調べを受けたり、逮捕や起訴までされた「志布志事件」についてご説明していきます。無罪判決後の民事訴訟も含め、現在は事件に関係するすべての訴訟が終了していますが、現代の警察・検察・司法・マスコミ・選挙など、事件によって明るみになった問題がたくさんありました。

以下「志布志事件」がどのような事件であったのか、その概要をみていきます。

逮捕から刑事裁判までの概略

まず、志布志事件の概略について確認していきます。志布志事件の始まりは2003年の鹿児島県議会選挙における公職選挙法違反が疑われ、鹿児島県議選で初当選した県議と妻、集落の住民など計15名が逮捕されたことです。県議・住民らが共謀して鹿児島県志布志市で投票依頼のための会合を開き、合計で191万円の授受を行ったという買収の情報があるということで警察は逮捕に踏み切りました。

当初全員が否認していましたが、取り調べによって自白を強要させられ、取調べに耐え切れず一部が自白した結果、物的証拠はないものの自白が決め手となり13名が起訴されました。

公職選挙法の特異性

志布志事件では物証がなく自白だけを根拠に起訴されてしまったわけですが、罪状が公職選挙法違反であったことが逮捕起訴の理由の一つとしてあります。公職選挙法は選挙に関する法律で選挙運動期間内の金品の授受は禁止されています。

ここで例えば、公職選挙法の規定を知りながら寄付を行い選挙を有利に進めようと考える人がいたとします。寄付をこっそり行うためには対面で受け取ってもらい、お互いが口裏合わせをするのが一番です。無事に寄付を済ましその面会を終了しますが、面会の事実がわかり逮捕されたとします。その人物たちは入念に計画して面会を設定していたため物的な証拠は出ませんが、取り調べで結局自白し、自白を根拠に起訴されるのです。

このような例と同様に志布志事件も警察が入念に調書を整え、起訴に持ち込みました。

刑事訴訟の概略

事件の発生した2003年から始まった裁判で被告らは、一転して買収行為の事実を否定しました。(なお、起訴された13名のうち1名は裁判中に亡くなったため公訴が棄却されています。)公判では会合の日程などに焦点があたりましたが、証拠があるわけではないので検察側が会合のあった日付を当初から変更させてきたり、弁護人を解任するなどして裁判を長期化させました。

裁判所の調査などを経て2007年2月になり、ようやく県議の会合があったとされた日付にアリバイが立証できないことをはじめ、会合自体が証明できないということで無罪判決がでました。また検察も控訴を断念したため、翌月無罪が確定しました。

なぜこのような事件が起こったのか

そもそも志布志事件のようなでっち上げがなぜ起こってしまったかについてですが、それは政治の世界が深く関わっており、事件の背景として2003年の鹿児島県議会選挙で普段なら定員以上の候補者が立候補しないような鹿児島県曽於郡選挙区で新人候補が当選してしまったことが原因といわれています。

この招かれざる新人を県議の席からを引きずり下ろすため、当時の現職県議ないしその関係者が公職選挙法違反の事件をでっち上げ、事件の情報を警察へ提供したとされています。この県議とこの事件の担当であった警察官が懇意の中であったため、警察への疑惑も持たれています。

志布志事件の真相とは

志布志事件の真相とは何だったのでしょうか。志布志事件は、うその情報を元に警察が捜査し、証拠も皆無であるのに起訴するため「踏み字」「たたき割り」といった違法捜査を行い自白を強要しました。当初マスコミは逮捕情報を調査もせず報じたとされます。裁判では、裁判を長期化させるために検察が弁護人の解任を何度も請求し、裁判所もこれを認めました。

結局のところ志布志事件は、権力の元に集まった人たちの身勝手で起こった冤罪事件です。冤罪の被害者は、罪のない人たちです。そしてその心に大きな傷を作りました。また、その人たちの人生の多くが警察の取り調べやその後の裁判によって奪われました。

冤罪とは

冤罪(えんざい)とは「罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること」です。志布志事件は今となっては疑いようのない冤罪事件ですが、裁判が終了してなおも事件の考察を行ってる際に時の法務大臣が「冤罪と呼ぶべきではない」と発言して波紋をよんだことがあります。

この発言の裏には裁判を終えてなお、有罪にできた事件だと考える人がいたことを示唆しているようです。またこの発言については当然のように各方面から批判が起こり、その後大臣は発言を撤回する事態となりました。

「踏み字」・「たたき割り」とは

志布志事件で自供をとるために行われた「踏み字」「たたき割り」という手法ですが、特に「踏み字」は志布志事件の代名詞にもなっています。どのような捜査だったかといえば、江戸時代の「踏み絵」を思い出すように家族などの名前を書いた紙や孫からのメッセージのような文言が書かれた紙を足元に持ってこられ、足をつかまれ何度もこの紙を踏みつけさせられるといったものです。

また「たたき割り」は、被疑者の証言が意に沿わないと大声で怒鳴りながら証言を否定し、脅迫などをしながら犯行を認めさせるという手法であったようです。

公表されている警部補

志布志事件の刑事訴訟の無罪判決が出た直後、当初買収のためにビールを配ったという容疑で逮捕され、その後不起訴処分になった当時の被疑者がある訴訟をしました。踏み字裁判とよばれることもありますが、その裁判の被告は当時取り調べを担当し、踏み字を行った張本人である鹿児島県警の警部補・浜田隆広氏です。浜田氏は「特別公務員暴行陵虐罪」という罪で起訴されました。

志布志事件の発生から5年後の2008年に裁判の判決は出ました。懲役10カ月、執行猶予3年の有罪判決でしたが、原告である浜田被告は控訴し棄却となりました。これを受け浜田氏は県警を退職しましたが、在宅起訴を受け退職金は支払われませんでした。

警部補の主張

浜田被告は裁判で、踏み字をしたのは1回で反省はしているとした上で「無罪」を主張しています。弁護士側の手腕かもしれませんが「特別公務員暴行陵虐罪」ではなく、すでに時効が成立している「公務員職権乱用罪」にあたるといった法令適用違反を主張したり、踏み字の回数は1回しかなく違法性を問われるものではない、などと主張し判決不服として控訴しています。

浜田被告は、とても警察に従順な人であったようです。志布志事件での強引な捜査も組織の中で結果を残すために、なんとしてでも自白させること以外に目が向けられなかった結果起こってしまった悲劇であることは明白です。そして、裁判をもってもその姿勢が変わることはなかったようです。

特別公務員暴行陵虐罪

特別公務員暴行陵虐罪は刑法195条の定めに従います。踏み字裁判では、志布志事件の取り調べの際に警察官である浜田被告が、被疑者である原告に対して取り調べの際に行った「踏み字」などの行為で精神的苦痛を与えられたことが同罪の定める凌辱、もしくは加虐と認められたということになります。

なお凌辱(りょうじょく)とは「人をあなどり辱めることであり」、加虐(かぎゃく)とは「他人をしいたげたり屈辱をあたえること」です。

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(特別公務員暴行陵虐) 第百九十五条  裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、七年以下の懲役又は禁錮に処する。 2  法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁された者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときも、前項と同様とする。

志布志事件の判決

志布志事件の刑事訴訟で争われたのは「公職選挙法違反」です。そして裁判の結果は公訴事実を認めるに足りる証拠がないとして無罪となりました。しかし、この裁判の中にいくつかの問題点が浮き彫りになりました。強引な捜査手法、黙秘権の侵害、検察の機能不全、不適切な長期拘留、弁護人との接見交通権侵害、いたずらに裁判を長期化したなどです。

このうち、いくつかについては後に民事訴訟にて争われ、これが制度改革の原動力となり法案として制度が是正されるよう動きがありました。

弁護士の対応

志布志事件では弁護士はどのような立場だったのでしょうか。まず志布志事件の取調官は、弁護士と被疑者を引き離すように働きかけ、私選ではなく国選弁護士を頼るよう指示しました。被疑者・被告人に働きかけ弁護士と被疑者・被告人との接見内容を警察・検察が調書化させました。そして、この国選弁護人は解任させられました。

正常に弁護を行える状況ではなかった志布志事件の特異性が伺われます。そして裁判終了後、鹿児島弁護士会から数々の違法行為について声明が出されました。

志布志事件の影響・その後

志布志事件、その後の刑事裁判を経て何があったのでしょうか。志布志事件の刑事裁判では問題点のみ浮き彫りになりましたが、民事の範疇となりますので民事裁判へその席を移すこととなりました。

まず2007年10月、被告人及びその遺族、また起訴はされなかったが不当な取り調べを受けた人たちが国と鹿児島県を相手に損害賠償を請求する訴訟を起こしました。論点は踏み字訴訟と同じく、不当な取り調べによる精神的苦痛を受けたことです。また、志布志事件で弁護人となった弁護士も接見交通権を侵害されたとして、国と県に対して賠償訴訟を起こしました。

国家賠償請求

志布志事件の刑事裁判終了後、不当逮捕に対して被告だった人たちとその遺族が国と県を相手どり損害賠償訴訟が起こしました。このときに国と県に合計で2億8600万円の支払いを求めました。

ここで国家賠償請求についてですが、国家賠償法により、公務員が職務を行うときに故意または過失で「違法に」他人を損害を与えた場合に国または公共団体が賠償するというものです。この場合、原告側は警察官が違法捜査により原告に精神的苦痛を与えたことによる賠償を国と県に求めています。

この裁判で最終的に判決が出たのは事件から12年も経過した2015年の5月です。捜査の違法性が認定され、鹿児島地方裁判所は国と県に合計で約6000万円の賠償を命じ、控訴されなかったため確定しています。

接見交通権侵害訴訟

志布志事件の裁判の過程で接見内容を警察が調書に取ったことが発覚しました。原告は調書化は警察官が接見に実際に立ち会うのと変わらず「秘密交通権」の侵害に当たると主張し、国と県に総額1億2100万円の損害賠償を求めました。

2008年3月、鹿児島地裁で判決が下され「違法に弁護人固有の接見交通権を侵害した」として原告の請求を一部認め、国と県に計550万円の支払いを命じました。国も県も控訴は断念しています。

事件発生から13年後

志布志事件では、県警の事情聴取を受けたものの起訴されなかった住民もいました。その7人が元被告だった人たちの起こした裁判と同時期に県を相手取り損害賠償を求めた訴訟を起こしていました。この判決は2015年の5月に一審判決で原告3人に対して賠償をするよう判決が出ましたが、原告全員の訴えが認められた訳ではなかったので控訴しました。

判決が2016年8月に福岡高等裁判所宮崎支部にて出ました。「容疑の程度に対し、過度に追及的、長時間の調べがあった。社会通念上、相当な範囲を明らかに逸脱していた」と全員に対して賠償を認める判決でした。事件発生から13年以上経ち、長きにわたる志布志事件に関わる一連の裁判における最後の判決となります。

志布志事件の処分

志布志事件の警察の動きですが、逮捕までの捜査、取り調べについては筋書を事前に決めてシナリオ通りの自白を強引に取って起訴しました。裁判で無罪判決が出た結果、検察も控訴を断念したため無罪確定しました。

無罪判決を受け、当時の警察庁長官が県警本部長を本庁に呼び、捜査指揮や監督全般が不十分であったとして文書で厳重注意しました。このことは極めて珍しいことであったようです。本部捜査班長と当時の志布志署生活安全刑事課長の2人を本部長による口頭の厳重注意処分となりました。

更に踏み字裁判の結果を受け、当時の捜査主任には「所属長訓戒」、取り調べ担当警部補には「3か月間減給10分の1」という処分が下りました。

警察庁の取調べ適正化指針

志布志事件などを受け、警察庁内で取り調べ適正化指針というものができました。取調べの監督・管理を強化するというものです。指針ができてから取り調べ室の机が固定されたり、机の間に仕切りができました。

取調べの可視化

志布志事件のような冤罪被害をなくすため、取調べの可視化ということが度々取り上げられています。裁判員裁判対象の事件に限り実施されるようにはなりますが、しかしその割合は事件全体の3パーセント未満にしか過ぎないといわれています。

なぜ可視化が進まないのかという点については、一つはすべての事件の取調べを録画することのデメリットが大きすぎるというところです。また膨大な量のビデオデータをどう保管してどう検証するのか、というところも議論されなければなりません。また検挙率の低下への懸念もあります。

志布志事件のマスコミの対応

マスコミの対応ですが、志布志事件の第一報を伝える報道は警察発表をそのまま伝えるものでした。結果として冤罪被害者、関係者の精神的苦痛をさらに強めるものとなります。そもそも事件の舞台となった志布志市の懐集落という場所に取材をしに行けば、捜査対象となったような大掛かりな買収事件が発生するのかという疑問を持つはずだと指摘する人もいます。

初期の志布志事件報道は冤罪に加担する動きでした。裁判が始まり少しずつ風向きが変わっていきましたが、容疑者・被疑者など実名報道されてしまった人たちにとって地獄のような毎日だったと推測されます。

マスコミのおかげ?

鹿児島県の中でも知名度が高いとはいえない志布志市での事件が、なぜここまで広く知られるようになったか、という点においてはマスコミによる報道の影響が大きいです。志布志事件が世に大々的に知られるきっかけとなったのは、全国区で放送された1つのテレビ番組でした。

その後、各社様々な角度から志布志事件における警察の違法取調べや冤罪事件をとりあげました。当時、まだ裁判中でしたのでマスコミがこのように大々的にとりあげなかったら「有罪判決」というでっちあげ犯たちの思う壺になってしまったという可能性は否定できません。

志布志事件を繰り返さないために

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以上のように志布志事件についてご説明してきました。まるでドラマや映画のような事件です。行われた取り調べの内容なども現実離れした前時代的な内容ですが、2003年という現代で起きてしまったのです。そして現在、警察・検察などではすでに過去の黒歴史として処理してしまっている可能性もありますが、取り調べを受けた被害者たちの心の傷は永遠に残ります。

志布志事件の教訓から体制などの変化の動きはあるようですが、閉鎖的な組織が大きく変わったということはなく今後も志布志事件と類似の事件が起こる危険性はあります。志布志事件のような冤罪悲劇を二度と繰り返さないためにも組織の理論だけで動かず、間違いは間違いと素直に認められるようになってほしいものです。

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