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日本の元号の決め方と由来・江戸時代からの歴史|昭和/平成

Author nopic icon和泉
カテゴリ:文化

初回公開日:2018年01月14日

更新日:2020年07月19日

記載されている内容は2018年01月14日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

日本の元号の決め方と由来・江戸時代からの歴史|昭和/平成

日本の元号の決め方や由来は?

元号は日本人なら誰もが使用したことのあるなじみの深い存在です。しかし、元号の決め方やその歴史についてはあまり知られていません。

元号は誰がどのような決め方で選ばれているのでしょうか。また、どんな歴史があるのでしょうか。平成から新しい元号に変わると話題になっているこの時期だからこそ、知っておきたい日本の元号の歴史や元号の決め方についてご紹介します。

そもそも誰が決めているの?

元号はいったい誰が決め方を知らない方は多いはずです。日本には戦後に制定された元号法という法律があり、新しい天皇が即位した時点で変わるように決められています。

そして近代以降、元号は一代につき一つと決まっていますので、今回のように天皇陛下が生前退位する場合も、同じように元号は変えるように法律によって決められています。

決めているのは有識者や政府や議員の人たちですが、決まった手順で考えられています。まずは漢文学や国文学関係の大学教授や有識者がさまざまな書籍から元号としてふさわしい言葉をいくつか候補であげます。その候補の中から官房長官が選定し、閣議で協議します。その後衆参両議院議長の意見を聞いたのち、再度閣議にかけるという手順です。

元号

元号は中国の歴史書にある言葉を使用しています。選定の段階の有識者がそういった専門家が多いのもそのためです。その中から元号としての条件に見合った言葉が選び出されています。元号の決め方はこのように多くの人がかかわる形で行われています。

決め方の条件はおもに下の6つのものがあり、この条件に合ったものになります。また、これ以外にアルファベットで略す場合明治以降のものとかぶらないほうがいいともされています。

Blockquote firstBlockquote second

1.国民の理想としてふさわしい意味を持つ
2.漢字二字
3.書きやすい
4.読みやすい
5.外国を含め過去に元号やおくり名として使われていない
6.俗用されていない

元号の決め方の歴史

元号はどのような歴史があるのでしょうか。歴史があるものだというのはわかるのですが、実際いつ頃かなのかはあまり知られていません。

元号は中国が紀元前より使用していたものが始まりと言われています。そんな元号の歴史とその時代においての決め方をご紹介します。

中国の元号の歴史や決め方

中国の元号は、前漢の武帝の治世、紀元前115年ごろに「建元」という元号をつくり、以来清の時代まで使用されました。基本的に一代一元号で、途中で皇帝が代替わりした場合、その年は即位する月に関係なくすべて新しい元号としています。

明の時代になり、太祖である朱元璋が皇帝即位のたびに開眼する一世一元の制度を決めました。また、その時使用されていた年号が皇帝の死後の通称になりました。

中国の年号は、中国王朝の属国状態にあった周辺国でも使用されました。そして清の時代が終わり、皇帝による治世から共和制に変わると皇帝在位基準の元号はなじまないとされて終了しました。

日本の元号の歴史や決め方

日本で最初に元号が使用されたのは飛鳥時代(592~710年)と言われています。その最初の元号は大化で、以降現代までつながっています。日本の元号は1500年近い歴史があるのは驚きです。

かつての日本は、一代一元号という決まりはありませんでしたから、天変地異が起きたり不吉なことが起きたときや、逆に吉兆のしるしを感じたときに変更されることもありました。そのため、動乱の時代は数年おきに変わることも珍しくありませんでした。

江戸時代

徳川家康が江戸に幕府をひらいて以降、政治の場が江戸に移ります。鎌倉幕府以降武士が政治を担ってきたとはいえ京の朝廷の力は強かったのですが、江戸幕府になって以来朝廷の力は次第に弱まります。

元号の決め方もそれに伴い変化が起きます。それまで朝廷の権限で決められていた元号が家康が定めた禁中並公家諸法度により、江戸幕府が介入するようになりました。

そんな江戸時代最初の元号、「元和(げんな)」は家康の命で唐の憲宗の年号をそのまま用いましたが、それ以降は朝廷のやりかたに従って中国の元号をそのまま使用することはありませんでした。

現在の決め方は?

現在では内閣が有識者とともに新しい元号を決めています。その際に、国民の理想としてふさわしい意味を持つとか、漢字二字であるとか、いくつかの条件をクリアした候補の中から決められます。

中国、日本ともに長い歴史のなかで使用されてきたことがわかります。しかし、中国では清の時代(1616-1912年)で元号は使用されなくなりました。現在元号を使用している国は日本だけです。

各元号の決め方や由来

飛鳥時代から始まった元号も、現代までさまざまなものが使用されてきました。各時代の元号とその決め方、由来をその中からいくつかご紹介します。

大化

大化。読み方は「たいか」です。日本で最初の元号と言われていて、当時の天皇、皇極天皇の時代に始まりました。中大兄皇子(のちの天智天皇)が蘇我入鹿ら蘇我氏を滅ぼした事件が起きたのもこの時です。このころから天皇を中心とした国づくりが始まります。

この「大化」に関しては、『書経』『漢書』『宋書』の3つの中国の文書から採用されたとのこと。決め方についての詳細など不明なことも多い元号です。

天平

天平。読み方は「てんぴょう」です。729年~749年までが天平年間です。奈良時代の最盛期で、当時は聖武天皇の治世の時代でした。

この時の元号の決め方はとても面白いです。729年8月5日(西暦729年9月2日)に「天王貴平知百年」の文字を背中に負った、縁起のいい亀が見つかり献上されました。それを由来に年号を神亀から天平に改元しました。

以来しばらく天平感宝(てんぴょうかんぽう)をはじめ、天平〇〇という年号が続きます。

この天平以外に、瑞兆をあらわす神聖な生き物が献上されたことをきっかけに改元されたものは「白雉(はくち)」「霊亀(れいき)」「神亀(じんき)」などがあります。縁起のいいものに願いを込めた昔の人の思いを感じる元号です。こういった決め方があったのも面白いです。

元治

元治。読み方は「げんじ」です。1864年3月27日から1865年5月1日までのわずか2年の年号です。この時の天皇は孝明天皇で、江戸幕府の将軍は徳川家茂です。

江戸時代の元号の決め方は特徴的で、将軍に決定権がありました。この時の決め方も朝廷が将軍家茂に候補である「令徳」「元治」を提案しましたが、どちらも「徳川に令する(命令する)」、「元にて治まる」と読めるので、どちらも幕府から朝廷中心の政治にしようという意図があると幕府側は難色を示しました。

このころは江戸幕府も終わりの頃で、幕府側が討幕の動きに神経質になっているのがうかがえます。結局、元号はこれまで使用された文字を使うという習わしから、「令」という字は用いていないのでふさわしくないと「元治」の方に決まりました。

『周易』の「乾元用九、天下治也」、『三国志』の「天地以四時成功、元首以輔弼興治」が由来です。

慶応

慶応。読み方は「けいおう」です。1865年から1865年。江戸時代末期、いわゆる幕末期の年号で、江戸時代最後の年号です。孝明天皇、明治天皇両方の天皇の時代の元号です。

この時の決め方は江戸時代の頃なので本来なら元治の項目に書いたように、朝廷が考えた案の中から幕府が決めるというものでしたが、この時将軍家茂は、改元については孝明天皇の意向にすべて従うという意見書を出しました。江戸幕府ができて以来、朝廷が案を出し幕府が奏上するという決め方をしていた改元制度がこの「慶応」で終わります。

明治

明治。読み方は「めいじ」です。1868年1月25日から1912年7月29日までの年号です。江戸幕府が終わり、新しい近代国家を築こうと日本が新しく生まれ変わった最初の年です。この時に一世一元の詔を発し、以降天皇一代につき一つの元号が定着します。

『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治(聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む)」という言葉が由来です。聖人が南面をして政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味があります。

この時の年号の決め方は、いくつか挙がった候補を、明治天皇御自らくじを引いて御選出されました。明治はくじ引きという決め方で決まった元号というのは驚きです。

大正

大正。読み方は「たいしょう」です。1912年7月30日から1926年12月25日までの期間使用された元号です。15年間の、近代以降で最も短い期間使用された元号です。

この元号の決め方は、元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の候補の中から枢密顧問の審議で「大正」に決められました。この「大正」はこれまで4回候補に挙がっていましたが、この時初めて採用されました。

由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)」からきていて、「天が民の言葉を嘉納し、まつりごとが正しく行われる」という意味があります。まつりごとは政治を指します。

昭和

昭和。読み方は「しょうわ」です。1926年12月25日から1989年1月7日までの元号です。日本の歴代元号の中でもっとも長い元号です。

この時の決め方は、大正天皇の病状悪化の際に案を検討し、内宮大臣を中心に考えた案と、内閣主導で考えた案、あわせて5つの中から候補を決めるという方法でした。そして大正天皇が崩御された直後、当時の枢密院で審議し即日改元しました。

この元号の由来は、四書五経の一つ、書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)」からきていて、国民や世界各国の平和や共存共栄を願う意味があります。

平成

平成。読み方は「へいせい」です。1898年1月8日から現在まで使用されています。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇が生前退位された際に終了し、新しい元号になる予定です。平成は、昭和天皇が崩御されたあと決められました。

この時の決め方は、政府は昭和天皇の病状悪化をうけて事前に「平成」「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の3つの候補を選出していました。そして昭和天皇崩御の当日に有識者と衆参両院正副議長に提出し、その中から平成に決めました。理由は、アルファベットで省略する際他2つは昭和と同じ「S」になってしまうからです。

平成の由来は、『史記』五帝本記の「内平外成(内平らかに外成る)」と『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からきていて、どちらも「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味があります。

年号の決め方は時代によって異なる

日本の元号の決め方と由来・江戸時代からの歴史|昭和/平成
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出典: Dictionary - Free pictures on Pixabay

年号の決め方はこのように時代によって異なりました。時代によっては縁起がいいものが発見されたからという理由で変わることがあったのも面白いです。時代が現在に近くなればなるほど、さまざまな過程を経てたくさんの人の意見を聞くという決め方に変わっていきます。

この決め方には少しマイナスもあって、近代からは一世一元と決められている上、天皇陛下は譲位をしないという決まりもありました。このため、病などで崩御されることを予測して動く必要があったのですが、亡くなることを想定して決定することはタブーとされていたので水面下でひそかに行われていました。

新しい元号の決め方は昭和や平成の時のように、有識者がさまざまな候補を挙げて国を代表する議員の審議の後に選出される方法をとる予定です。

新しい元号は?

普段の生活にも根付いている年号は、こんなにも長い歴史と伝統の中で続いてきました。決め方も時代に応じてさまざまですが、私たちの先祖がそれぞれの時代にそれぞれの願いをこめて続けてきたと思うと、素敵なものに感じられたのではないでしょうか。

平成31年4月30日の後に発表されるであろう新しい元号も、近代以降と同じ決め方の中で選出されます。元号ひとつひとつに願いが込められています。新しい元号がどのような由来の言葉なのか、また、どのような決め方で、どんな願いが込められているのかなども楽しみになれば幸いです。