「主体的」とは
「主体的」という言葉を聞いたことがありますか。もしくは「主体的」な人だねと言われたりそう思ったりすることがありますか。「主体的」とは自分で判断し行動することを指します。
何をするか決まっていない状況などで、自分で決めて判断し、行動できることを「主体的」と言います。「主体性」とも言うことがあります。
例えば、「主体的」な人は挨拶をするときに目的を考えます。みなさんは挨拶をするときに目的を考えたことがありますか。「主体的」な人は挨拶をする目的を「人間関係をよくすること」としたとします。そしたらその次には朝礼を始めようと考えるでしょう。こういった自分で状況を判断し、行動できることを「主体的」と言います。
主体的に動くと人生が変わる理由
「主体的」に動くと人生が変わると言う人もいます。今あなたは「主体的」ですか、と聞かれても即答できる人は少ないんじゃないでしょうか。そもそも日常生活の中で「自分は今主体的に生きているか」などを考えることはまずないでしょう。「主体的」であるかどうかは意識の他に育ち方や環境が影響してきます。
生まれ持って「主体的」な性格の人もいるでしょう。そういった方たちが皆良い人生を送っているかと言われるとそうではないでしょう。人生を変えるには「主体的」に自らが動くことが大切です。「主体的」に動くことで自分が変わり、自分が変われば周りも変わります。周りが変われば環境が変わります。そうして人生が変わっていきます。
アイデンティティ
アイデンティティとは一言で言うと、同一性です。同一性とは一体どういうことなのかと言うと、「自分らしさ」です。エリクソンの名言で、「アイデンティティとは自分は何者なのかという問いに答えるもの」というのがあります。この名言のとおり、自分は一体何者なのか、自分らしさとはなんなのか、の問いに対してはっきり答えられることです。
たまに、「自分らしさってなんだろう」と考える時があります。それはアイデンティティを探している状態です。それを見つけた時に「アイデンティティが確立した」という風にいいます。アイデンティティと「主体的」は同じ意味で使われることが多いです。
主体的に生きる方法
「主体的」に生きるとはどういうことなのか。今あなたは主体的に生きていますか。自分で状況を見極め判断し、行動に移すことができていますか。現代の日本では「主体的」に生きている人が少ないと言われています。「今の若いものは主体的でない」という風に言われたりもします。
「主体的」では無くなってしまうとどうなるのでしょうか。自分の意見を否定され続けたり、押さえつけられたりすると主体的ではなくなってしまいます。
そういった状態を自己喪失や、主体性喪失などと言います。一度主体性を喪失してしまうと再構築するのが難しいと言われています。
自分の人生に責任を持つこと
「主体的」とは自分で状況を見極め判断し、行動することを言います。それは同時に自分の行動に責任ー持つことを意味します。
自分の行動に責任を持たずに、自分の意思で行動してしまうのは「主体的」ではなく、「わがまま」や「自己中心的」といったマイナスな印象になります。「主体的」に動くというのは責任を持つことで成立します。
責任を持つというのは、例えば自分が考えて作った企画をやってみたけど失敗して迷惑をかけてしまった。というときでも、人のせいにせずに自分に非があったり、ミスがあったことを認め改善や修復を行うことができることを言います。
7つの習慣
7つの習慣というのをご存知ですか。7つの習慣とはスティーブン・R・コヴィーという方が1996年に出版した本のタイトルです。この本には7つの習慣を人生に取り入れることで、人格の回復をするといったことなどが書かれています。人生を豊かにするために、なにかを成功させるために、などさまざまな思いが込められています。
日本では漫画化されており、非常に分かりやすい内容になっています。成功するには原則があったとされていて、その原則こそが7つの習慣です。7つの習慣のひとつに「主体的」であるという項目があります。「自分がコントロールできる」など「主体的」について書かれています。
「主体的」と「能動的」との違い
「主体的」とは自分で判断し行動することですが、「能動的」とは一体どういうことなのでしょうか。「能動的」とは自ら行動するというよりも、自分から他に働きかける様をいいます。「能動的な人」や「能動的な態度」というように使います。ビジネスシーンでは「能動的な人材」が求められる場面も多いです。
「能動的」な人はリーダシップを発揮することができる人が多いです。自分が先頭に立ち、みんなを引っ張っていく力を持っています。「能動的」な行動を意識することで周りからの評価が良くなったという方もいます。人の上に立つ人間であれば「能動的」な人が向いているでしょう。
受け身
「受け身」とは「受動的」とも言われ、「〜される」側の人を指すことが多いです。「田中さんは班長に選ばれた」とすれば田中さんはみんなから選ばれたのですから、田中さんは「受け身」になります。このように、自分から行動するのではなく他から働きかけられることを「受け身」や「受動的」と表現します。
「傷ついたり否定されるのが嫌だから、つい受け身になってしまう」と言う方は多いです。悪い意味で使われることが多いですが、「柔軟性がある」と捉えることもできます。「受け身」や「受動的」であるからこそどこにいっても差し支えなく仕事ができたり、揉め事が少なくなったりします。
「主体的」と「自主的」の違い
「主体的」と同じように使われるのが「自主的」と言う言葉ですが、このふたつの言葉に違いはあるのでしょうか。「自主的」とは自らやるべきことができることを言います。「やれと言われる前にやる」ということです。例えば挨拶をしろと言われる前に、自ら挨拶ができること。これが「自主的」です。
「主体的」との違いは、考える力があるかどうかと言われています。「自主的」は「やるべきことをやる」ということは分かりますが、「やるべきことが効果的ではない場合やめる」ということができないとされています。
「主体的」は考える力があるので「効果的ではないのでやめる」というさらなる行動ができます。
「主体的」と「積極的」の違い
「積極的な人だね」と言われたことがある方もいるでしょう。「積極的」とはものごとに対して自ら進んで働きかけたり、行動することを言います。また一定以上の意欲を持って取り組むさまにも使われます。「積極的に取り組む」などと使います。
「主体的」との違いは、行動したかどうかに注目するのではなく、意欲的かどうかに着目します。例えば「歩くのが健康にいいと言われたから積極的に取り組んでいるよ」など行動したあとの意欲があれば「積極的」と言われます。
「主体的」の場合は「健康にいいから、もう一駅分歩こう」という考えと行動に対して言います。
「主体的」と「意欲的」の違い
「意欲的」とは「積極的」と同じ意味を持っています。自らが積極的にものごとに取り組む様子などに使われます。
周りに合わせたり、指示されたりして行うものではなく、自分から積極的に行動することを「意欲的」と表現します。指示されてから行う場合でも積極的に行なっていたり真剣に取り組んでいれば「意欲的」と言われます。
「主体的」は指示や周りの人に合わせて行うのではなく、自らが何をすべきか判断し、率先して行動することです。「意欲的」と似ていますが、「意欲的」は嫌々はしませんが「主体的」は場合によっては嫌々でも必要と思えばします。「意欲的」には「主体的」の状況を把握する力や洞察力が含まれていません。
「主体的」は「我儘」とは違う
よく「主体的」であると「わがまま」が一緒にされますが、全くの別物です。「わがまま」というのは自分の思い通りにものごとを進めたり、周りに影響を及ぼします。「主体的」は自分の好き勝手にするのでなく、周りの状況を把握して最善の方法を考えたり、やるべきことを見いだし行動することです。
「主体的」だから「わがまま」という間違った解釈をしないようにしましょう。「わがまま」は周りの状況を把握する力や合わせる力はない場合がほとんどです。
子供に主体的で安全な遊びをさせることのメリット
初回公開日:2018年03月15日
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