「徳を積む」生き方のススメ
「徳を積む」という言葉があります。ポジティブな意味の言葉だということは響きからも見て取れますが、同時に簡単には語れない、奥の深い言葉だという印象も受けることでしょう。
「徳を積む」というのは生き方の一つです。人生をより良いものにしていくために考えられ、古くから使われてきたこの言葉を、今回はさまざまな観点から紐解いていきましょう。
「徳を積む」ってどんな意味?
そもそも「徳」とは、人道にかなう行いや、身についた品性、善や正義に従う人格的能力などの意味を持ち、人徳ともいわれます。「積む」は重ねていくことと考えると、前述から考えて「価値のある行いを重ねていくこと」となります。
宗教から「徳を積む」を考える
「価値のある行いを重ねていくこと」と一言にいっても、それだけでは「徳を積む」という言葉を理解するには説明不足です。人の心や生き方と密接な関わりを持つ宗教の考え方には「徳を積む」という言葉を理解する手助けになるようなものがたくさん存在します。
また、宗教の考え方は「徳を積む」という観点だけではなく、教養として非常に役に立つものとなり得ます。この項では、宗教の観点から「徳を積む」という言葉を考えていきましょう。
仏教における功徳とは?
仏教には「縁起」や「因果」と呼ばれる考え方があります。これは簡単にすると「起こる全てのことに原因がある」という考え方です。善い行いには善い結果を招く力が備わっているといわれていて、これを「功徳(くどく)」といい、すなわち「徳を積む」ということになります。
ブッダは「法句経」の一節にて「ものごとは心に基づいて作られる」と説いています。これは「徳を積む」という言葉と密接な関わりを持つ内容で、善い心を伴った行いや、悪い心を伴った行いが、それぞれ後の自分を形作っていくということを表しています。
このことから「徳を積む」ことにとって、行動に心が伴うことがとても重要と見て取れます。
苦しみをなくして心を清めていく
そもそも人生とは「苦しみ」であると考え、苦しみをなくしていくための行動を説いたのが仏教です。このことから、苦しみをなくしていくための行動そのものが、善い心を伴った行動に繋がると考えられます。
そして、苦しみを生み出しているのは「欲望」だといわれています。欲望から来る独りよがりの行動には、その時は良くても「やらなければよかった」のような苦しみが後々付いてくる物です。
独りよがりではなく、自分も周りも幸せになれる「やってよかった」のような、前向きな気持ちが付いてくる行動を積み重ねていくことで、心を清めていくことを「徳を積む」と表すのでしょう。
「徳を積む」とは、心の成熟を表した言葉だといえます。
八正道から学ぶ
ブッダの弟子の規範として考えられた、仏教における実践の徳目に「八正道」というものがあります。八正道は、正しい生き方のための八つの道を示したもので「徳を積む」という言葉をさらに具体的に理解する手助けとなるでしょう。
正見「しょうけん」
仏教には「諸行無常」という言葉がありますが、これは「物事は変わっていくもの」というような意味です。常に正しいというものはなく、状況によって移り変わっていくことを理解し、物事を正しく見ることを「正見」といいます。
八正道の全ては、最終的には正見に納まるといわれています。
正思「しょうし」
欲や怒り、不満などの気持ちを捨て去り、自分中心ではなく公平な心で考えることを「正思」といいます。苦しみを生み出しているのは欲望だという仏教の考えから、「正思」は苦しみをなくしていくための教えだといえます。
正語「しょうご」
嘘をついたり、悪口をいったり、相手によっていうことを変える二枚舌をせず、相手を思いやった言葉で話すことを「正語」といいます。
正業「しょうごう」
命を大切にし、盗みをせず、不純な男女の過ちを起こさないなど、周りの人を思いやった行いをすることを「正業」といいます。正語と正業は正思からくるものとされています。
正命「しょうみょう」
世のため人のためになる正しい仕事で得たお金で、正しく生活していくことを「正命」といいます。
初回公開日:2018年03月28日
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